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尾張氏の謎を解く その112

尾張氏の謎を解く
11 /02 2015

岐阜県各務原市各務おがせ町3丁目85番地(及び各務おがせ町3丁目46 – 1)には村国神社2座が鎮座しています。祭神は天火明命と御子神の石凝老命(後に白山権現と村国男依が加わる)となります。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

車ではやや行きにくい場所にあります。平地を挟んで南側に各務山があります。山の画像を拡大するといかに削られているかよく理解できます。まず村国神社参道のすぐ東側にある村国神社御旅所を見に行きましょう。

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村国神社御旅所の鳥居。

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鳥居の脇には村国男依候古墳地の案内掲示がありました。

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社殿。

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この場所が村国男依の墓地となりそうです。

御旅所からすぐ西に村国神社への参道があります。

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鳥居と参道。御旅所とは撮影時期が異なります。

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鳥居と拝殿。

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村国座の建物。

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村国座の解説石板。画像サイズを大きくしています。

庄屋の長縄八左衛門との名前も出てきます。この人物は各務氏(各務勝氏)の子孫となりますが、村国神社とも関係があるように思えます。となると、遠い先祖の段階でも村国氏と各務氏(各務勝氏)は関係があったはず。各務氏は村国氏が藤原仲麻呂の乱以降衰えた後に各務原で勢力を持ったようですが、なぜ彼らは各務神社を創建して鏡を祀るなどせず、村国神社の社前に自分たちの本拠を置いたのでしょう?不思議ですね。村国氏に関してはWikipediaが詳細を書いていますので、以下を参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%9B%BD%E6%B0%8F

この中に「村国氏は美濃国各務郡を本拠とした氏族で、一説では尾張氏(尾張連)の一族と想定される。」とあります。出典は太田亮氏の姓氏家系大辞典とのことで、チェックしたところ「恐らく尾張連族と思わる。」と記載ありました。詳細は以下の近代デジタルライブラリ―「姓氏家系大辞典第6巻」コマ番号190を参照ください。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123985

太田亮氏は多分、村国氏が天火明命を祀っていることからそのように推測されたものと思われます。けれども、事はそう簡単ではなさそうです。

村国神社の祭神が天火明命(鏡)と御子神の石凝老命であること。村国氏の居住地と各務氏(各務勝氏)の本拠が重なっていること。村国氏の村国神社祭神が鏡と関係し、一方、名前からして鏡と繋がりがありそうな各務氏(各務勝氏)は鏡と関係する痕跡が見られないこと。村国氏と各務氏(各務勝氏)との間には何らかの関係がありそうで、だから上記のように錯綜した部分が出てくると思われるが、どんな関係なのか不明なこと。などよくわからない部分が積み重なっています。もっと詳しく調べれば答えは出るかもしれませんが、ここは問題提起のみにとどめておきます。

なお、各務氏(各務勝氏)に関して近代デジタルライブラリ―「姓氏家系大辞典第2巻」をチェックしたところ、コマ番号135に記載あり、「各務郡地方第一の名族なれど出自詳かならず。」と書かれていました。出自が不明では検討のしようもありませんが、その他の記事を見ると各務氏は各務勝氏から分かれたような記述となっています。詳細は以下を参照ください。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123842

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橋の上から見た境内。

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かなり広い川です。

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拝殿。

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解説板。

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拝殿裏手の石段。

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石段を登ると本殿です。

由緒に関しては岐阜県神社庁のホームページより引用します。

当神社は、飛鳥時代、此の地一帯を治めていた村國氏の祖が、天之火明命と御子石凝老命を御祭神として創建された社であります。弘文元年、壬申の乱が興り豪族村國男依氏は、大海人皇子の命を受け、いち早く農兵3000人を引きつれ、不破の関を守り、大津街道を攻め上がり、大海人皇子の連に大勝をもたらし、天武の世となり、村國男依氏は此の勲功で、封120戸、功田10町とかばね性、連(むらじ)を賜り、帝の新任あつく時の政権の座につきましたが、天武4年天命を全し、此の世を去る。帝より外小柴の位を授り、子息村國連嶋主によって、此の社に村國連男依の命として祀られ、以来、村國の社と呼び、産土神として代々村國一族が守って参りました。

神社庁ホームページは以下を参照ください。
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=819&shrname=%E2%96%A0%E6%9D%91%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%96%A0

代々村國一族が守ってきたとありますが、岐阜県における村国姓はゼロとなっています。全国でも12人ですから、人数的にも極めて少ない姓のようです。村山、村田など村の付く姓は非常に人数が多いのに、相当数いそうな村国だけが少ないのは不思議です。

由緒には「飛鳥時代、此の地一帯を治めていた村國氏の祖が、天之火明命と御子石凝老命を御祭神として創建された社」と書かれています。美濃も各務原となると尾張に近いから天火明命が祭神となったのでしょうか?後の回で書く予定の村國真墨田神社由緒には、美濃國一宮の南宮大社(不破郡垂井町)の主神金山彦命(かなやまひこのみこと)と、尾張一宮の真清田神社(愛知県一宮市)の主神天火明命を祀ったとの趣旨で記載されています。

一見するとなるほどとも思えるのですが、実は大きな問題があります。それは真清田神社の主祭神が天火明命となったのは江戸時代以降で、それ以前は国立常尊や大己貴命など諸説あるからです。村國真墨田神社と村国神社の創建はほぼ同じと思われ、村国男依かその父が関与していると思われます。そう考えると、なぜ飛鳥時代の村国氏が天火明命を祀ったのか、うまく説明できなくなります。

各務原(各務郡)は鏡に関係する地名なのに、鏡作部がいたかどうか確認できない。村国神社や村國真墨田神社の主祭神は天火明命(=鏡)だが、なぜ村国氏が天火明命を主祭神としたのか説明できない。と言う厄介な事態になってしまうのです。

村國真墨田神社のもう一柱の祭神が南宮大社より勧請した金山彦命であるのは特に問題なさそうです。当時各務原の豪族だった各務氏は南宮大社の氏子だったとのことで、そうした関係も踏まえて南宮大社から金山彦命が勧請されたのでしょう。では、どんな回路を通して村国氏は天火明命を祀ったのでしょうか?

村国氏はWikiによれば、「一説では尾張氏(尾張連)の一族と想定される。」とあるものの、村国男依で見ると、「村国氏は美濃国各務郡の豪族である。『日本書紀』では一貫して「連」姓で記されるが、『続日本紀』大宝元年(701年)7月壬申条に「村国小依」とあることから、壬申の乱当時は姓を持たず、乱の功績で連を授かったとする説がある。」とのことです。つまり、村国氏は各務原における一介の在地豪族に過ぎなかったのです。村国氏に関しては以下Wikipediaより引用します。

平安時代に作られた和名類聚抄には、美濃国各務郡、尾張国葉栗郡、大和国添下郡の三か所に村国郷がある。このうち美濃と尾張の村国郷は、両国の境をなす木曽川を隔てて向かい合うと推測されているので、もと同じ地域をさしたものであろう。

上記で面白いのは大和国添下郡の村国郷です。村国氏の発祥が大和だとしたら、例えば彼らも彦坐王に率いられて各務原に入ったのかもしれません。けれども、それを証明するような史料は何もなく、想像の域を出ない話になってしまいます。他に何かないでしょうか?実は「その108」で以下のように書いています。

正倉院にある御野国山方郡三井田里戸籍(大宝2年、702年)には、三井田里戸籍の五百木部君木枝と村国奥連小竜売の婚姻が記載されています。これは三井田里の伊福部氏と各務郡の村国氏の婚姻を意味しています。

彦坐王に従って美濃に入った伊福部氏は鏡(天火明命)を奉じていました。村国氏が伊福部氏と婚姻関係を結ぶことで、彼らは鏡と天火明命の存在を知り、この地方が各務郡となり村国神社の祭神が天火明命となったのかもしれません。

もちろん、村国氏と伊福部氏は近接した場所にいたので、両者の婚姻以前にも親しい関係を持っていた可能性は十分あります。なお各務原の伊福部氏は因幡国のメンバーが主体のはずですが、飛鳥時代の時点では既に天火明命を祖神とする形で系列化されていたと考えられます。

ここで、村国神社と村國真墨田神社の主な祭神を対比してみましょう。

村国神社:天火明命、御子石凝老命、白山権現、村国男依
村國真墨田神社:金山彦命、天火明命、村国男依


上記から白山権現と村国男依を除けば、村国神社が天火明命と御子石凝老命、村國真墨田神社が金山彦命と天火明命になります。天火明命の御子が石凝老命(いしこりどめのみこと、石凝姥命)であれば、天火明命は天糠戸命(あめのぬかどのみこと)となります。また、天火明命御子が石凝老命であれば、石凝老命は天香山命となり、天香山命の別名は手栗彦命(たぐりひこのみこと)で、伊弉弥命の嘔吐(たぐり)から生まれたのが金山彦命となります。

このように明快なパターンが生まれる背景には、たとえそれが飛鳥時代のものであったとしても、鏡(天火明命)を奉じて移動した伊福部氏の存在があったと見る以外にありません。では、伊福部氏が各務原にもいたと確認できるのでしょうか?藤原宮跡から出土した木簡には、以下のようなものがあります。

表 己亥年(699年)三野国各…(注:各美評=各務)
裏 汙奴麻里(うぬま、鵜沼)五百木加西…

以上から各務郡の鵜沼里にも伊福部氏の存在が確認されます。

           尾張氏の謎を解く その113に続く
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酔石亭主

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