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小原町の四季桜 その5

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11 /22 2015

石垣などを横目に山道を登り、市場城址の本丸跡に向かいます。

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本丸跡。

かなり広い敷地となっています。山頂を開削する労力は大変なものだったでしょうし、そもそもそれだけの人夫をどこからどう調達したのか不思議です。

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市場城址の石碑。

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解説板。文字が薄れていますので以下に記載します。

市場城は昔は小原谷大草城と云い、標高三百八十メートルの山頂にある室町時代の山城である。小原村には当時の山城が十一あり、その中でも市場所は主城の役割を担っていた。
旧記によると、室町時代が始まる応永年間(1394~1482)は足助重春の一族が小原谷市場古城に居城しており、長禄3年(1459)には鱸藤五郎親信が足助の鈴木小次郎忠親から小原村を与えられ領有していた。
その後、文亀2年(1502)に鱸藤五郎親信が今の市場城を築いてから、第二代肥後守長重、第三代伊賀守直重、第四代越中守重愛までの88年間、市場城は鱸氏四代の居城であった。
 第四代重愛は徳川家康の下で大功をたて、天正11年(1583)に領地を加増され、石垣を積み曲輪を構えるなど城郭の大改修を行って堅城としたが、重愛は天正18年(1590)何らかの理由で改易となり市場城を出城させられ、文禄元年(1592)廃城となった。
山頂がいわゆる本丸跡で、その南側には石垣が積まれ、西側には二の丸がある。また帯曲輪が二重、三重に巡らされており、「竪堀群」や「枡形門」、「家老屋敷跡」といわれる「さんざ畑」が現存している。
江戸時代の浅野文庫「諸国古城之図」にも、この市場城が掲載されており、中世の城郭史上貴重なものである。


城主の名前はお魚の鱸(すずき)ですが、元は鈴木姓だったのでしょう。彼らは多分紀伊国藤白(現在の和歌山県海南市)の藤白鈴木氏(穂積氏流鈴木氏の流れ)からの分流で、12世紀頃に熊野から藤白へと移動し、その後三河に入ったものと思われます。「東三河の秦氏 その24」でも穂積氏流鈴木氏について少し書いています。

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本丸跡からの眺望。山以外ほとんど何も見えません。

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もう一枚。

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降る途中も様々な遺構があります。

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こちらも築城当時開削したものでしょうか?

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平場に四季桜が植えられています。

市場城址は以上です。川見四季桜の里では巨大な原木椎茸を買い、419号線を下った「たまご村」でも卵を買い求め家で食べましたが、スーパーの品物と違ってどちらもおいしく頂けました。

次回は尾張氏の謎解きに戻ります。
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酔石亭主

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