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尾張氏の謎を解く その127

尾張氏の謎を解く
12 /08 2015

前回は宇夫須那神社を見てきましたが、一宮市木曽川町里小牧には宇夫須奈神社が鎮座しています。社名は一字違うだけでほとんど同じと理解されます。とても気になるのでチェックしてみます。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

193号線からはやや北に位置していますが、伊福部氏の領域内と考えられます。

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鳥居と社名を刻んだ社号標。

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さらに進むとまた鳥居と社号標。

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境内です。

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拝殿。

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祭神を刻んだ石碑。

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扁額。

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本殿。由緒を知りたいので、解説板を探します。

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解説板。画像サイズを大きくしています。かなり詳しいのですが、読みづらいのでポイントを以下に記載します。

創立年月は詳かでない。當社は往古「青木宮」と称し青木の里に鎮座されていたが後木曽川堤沿いに移されたもので、現在木曽川中学校南西に 南青木 中青木 北青木の地名で残され、最近まで青木宮跡といわれる小高い丘があった。堤沿いの地域は砂塵が甚だしく吹き埋まるので正保二年(一六四五)に現在の神域に遷座されたものである。
當社を「青木宮」と称したのは、初の祭神の名を取り、五百木宮と称えしを、「イオキ」を「アオキ」と唱え、且つ五百木を草書にて青木の如く書きしによるべしと云う言伝えがある。 明治四十一年、村社天神社(祭神伊奘諾命、伊弉冉命)を合祀された。社名「青木宮」は古くは宇夫須奈神社と称していたのを宇夫須奈大明神と称し大明神だけを取って社名としていたが昭和十七年に愛知県知事に申請し、現在の社名「宇夫須奈神社」になった。(宇夫須奈大明神)の名は、延喜式にも見受けられる。



かつての鎮座地付近を示すグーグル地図画像。

木曽川中学校の住所は一宮市木曽川町里小牧北青木25ですから、青木の地名は現在も残っています。伊福部氏は幾つもの別名がありますが、青木まで伊福部氏絡みとは驚きです。木曽川中学校の位置ですと193号線から1㎞ちょっとの距離となり、明らかに伊福部氏の領域となります。青木宮跡はもうないようですが、中学校の南西に青木宮跡と刻まれた石柱が残されているとのこと。詳細は以下の木曽川中学校ホームページを参照ください。
http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=2320076&type=1&column_id=618964&category_id=6745

石柱には青木宮跡だけでなく宇夫須奈神社旧跡とも書かれているそうです。宇夫須那神社で書いたように、「尾張国風土記逸文」によればこの地は廬入姫(いおきのいりひめ)の生誕地となります。廬入姫は「古事記」では五百木之入日売(いおきのいりひめ)と表記され、宇夫須奈神社の祭神・五百入姫大神と同じです。つまり、宇夫須奈神社と宇夫須那神社は 共に廬入姫の生誕地に関係する同じ神社だったと考えられます。

この裏付けになりそうな話として、景行天皇が美濃国に行幸し、同国の美女として名高い八坂入彦命の娘弟媛を妃にしようとしたが、弟媛からはすげなく断られ、代わりに姉の八坂入媛(八坂之入日売命)を妃にしたと言う記事が「日本書紀」に見られます。二人の子が五百木之入日売(廬入姫)となるので、美濃のお隣の尾張で八坂之入日売命が五百木之入日売を生んでもさほど違和感はありません。

ちなみに景行天皇は彦坐王の子である神骨(神大根王)の娘が美人だと聞き、大碓命に本当かどうか確かめに行かせますが、大碓命は此の娘と密通し復命しなかったので、天皇は大碓命を恨んだと「日本書紀」には書かれています。色々繋がりがありそうで面白いですね。

さて、宇夫須那神社、宇夫須奈神社に続きあれこれ調べていくと、岐阜県羽島郡笠松町に綾衾神社(あやぶすまじんしゃ)が鎮座していました。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

由緒は神社庁ホームページより引用します。

創祀不詳。当社は天正年前、尾張國葉栗郡の内なり。里伝に、旧記無之縁由不詳。尾張國式内従三位宇夫須那神社、正考美濃國中野村綾衾明神と呼ぶもの是れなるべし。綾衾はあぶすまと読むべし。あやぶすまと読むは非なり。阿夫須万は則ち宇夫須那の転声なり。里老曰く、栗木は葉栗郡根本の地なり。後世今の川(宇井松本より海西郡古中島と伊勢の全廻り本まで)の川中となりて潰れたり。今絶々薬師寺の西大堤の外に民三戸ありて栗木と呼ぶ。正生考(中野、栗木、薬師寺、円城寺、無動寺、若宮地、笠田島は葉栗郷の市員なるべし)和名抄葉栗郡葉栗郷天野曰く、宇夫須那は産土の云ひなり。出口延綴曰、風土記を按ずれば、此の郷は庵入比□羊命降誕の地也。正生考葉栗臣は天押帯産命の裔なり。其の葉栗臣の子に廬入姫生れ給ひけるとなむ。猶考葉栗郷は栗木中野の辺に当たり葉栗郷は島村の方に当たれるなるべし。尾張國神明帳集説考訂に式内宇夫須那神社尾張國葉栗郷門間庄島村に在とし、張州府志亦同じ。神明帳考証には門間庄とありて村名なし。又廬入姫は五百木入姫にて景行天皇の皇女なり。此姫命は尾張國にて生坐けむと平田篤胤が古史伝に云へり。

神社庁ホームページは以下を参照ください。
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=163&shrname=%E2%96%A0%E7%B6%BE%E8%A1%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%96%A0

前回で見た宇夫須那神社の伝承と似通った内容が見られるものの、「当社は天正年前、尾張國葉栗郡の内なり。」との記述には注意を要します。位置的にはどう考えても美濃の領域と思えるのに、由緒は天正年の前は尾張国葉栗郡に含まれていたとしているからです。理由ははっきりしており、古代における木曽川の流路はもっと北で現在の境川辺りとされ、そこが尾張と美濃との境界となっていたのです。だから川の名前も境川なのでしょう。

従って、宇夫須那神社、宇夫須奈神社、綾衾神社のいずれも尾張国に鎮座し、元は同じであり、一帯には伊福部氏と関係しそうな五百木入姫の伝承が存在していることになります。そう言えば、熱田神宮の境外摂社に青衾神社(あおぶすまじんじゃ)がありました。「熱田神宮の謎を解く その11」で書いていますので参照ください。(あおぶすま)=(うぶすな)とも読め、何か見えない糸で繋がれているような気がしないでもありません……。

青衾神社の祭神は天道日女命(あめみちひめのみこと)となっています。彼女は大己貴神の娘であり天火明命の妻ですが、祭神に関しては諸説あってはっきりしません。

さらに周辺を見ていくと、伊富利部神社のすぐ近くの一宮市大毛五百入塚73に大毛神社が鎮座していました。祭神は大御食都姫命(おほみけつひめのみこと)ですから、神名が転訛して地名と神社名になったと考えられます。伊福部氏との関連が推定されるのは鎮座地が「五百入塚」とあることで、この神社も地名からして伊福部氏に関係するのは間違いなさそうです。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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境内。

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拝殿。

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本殿。

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解説板。

解説板の内容は以下。

昌泰2年(899)の創建で古事記によれば祭神大御食津姫命は伊弉諾・伊弉冉二柱尊の所生神にして五穀の神なりとあり延喜式神名帳(927年頃)に葉栗郡大毛神社本国帳に従三位大毛天神と記されている式内の古社であります。古くより景行天皇の皇女五百木入姫命(庵入姫)ゆかりの人形よりひながたの宮と称えられ、また霊験あらたかな神として六所明神と称えられたと言われております。明治五年式内村社大毛神社と定められ、明治40年10月26日幣饌料供進社に指定されています。大正14年4月16日郷社に昇格し式内郷社大毛神社となりました。

これだけではやや不十分なので以下Wikipediaより引用します。

大毛神社の別名として「ひながたの宮」と称されていたという。これは、景行天皇の皇女五百木入姫命(五百城入姫皇女)ゆかりの人形が祀られていたからという。ここの地名が五百入塚ということ、大毛神社の古跡として、庵入塚、天子塚、景行天皇墓が挙げられている(葉栗史誌)ことから、景行天皇、五百木入姫命に関わりが深いと言われている。

景行天皇の時代に雛人形があったなど考えられず、五百入塚(=庵入塚)に関しても実際にどのようなものだったのかは不明なため、地元でも証拠となるものは何もないとして否定的な見方が強いようです。とは言え、伊福部氏の存在がそのような伝承を生んだことは間違いないと思われます。

以上、尾張北部には伊福部氏の痕跡が濃厚に残されており、倭姫命関連の遺跡もありました。これらは両者が行動を共にしていた証拠にもなりそうです。一行はこの先さらに南下していきますが、その足跡を辿りつつ元伊勢・中島宮比定地の幾つかを見に行きましょう。

           尾張氏の謎を解く その128に続く
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酔石亭主

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