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尾張氏の謎を解く その128


「その122」にて「伊富利部神社由緒」の福塚の項を見てきましたが、この中に中島宮(丸宮神明社)、坂手神社、酒見神社の名前が挙がっていました。倭姫一行が尾張北部から伊勢に向かうとしたらどんどん南下しているはず。そうした関係を踏まえ、坂手神社、酒見神社、真清田神社の境外末社である浜神明社、中島宮(丸宮神明社)の順に各元伊勢・中島宮の候補地を探索していきましょう。

上記候補地の内、最も北側に位置するのが坂手神社なので、同社から検討に入ります。鎮座地は一宮市佐千原宮東91。祭神は高水上神とのこと。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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坂手神社鳥居。

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鳥居と蕃塀。 

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神橋と拝殿。

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拝殿です。思ったより大きな神社です。

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本殿。

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「神石 坂手大神」とあります。どんな神様なのでしょうね。

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磐境石(おぼれ石)とあります。

さて、坂手神社は元伊勢中島宮なのでしょうか?取り敢えず、Wikipediaを参照してみます。

明治時代までは、毎年伊勢神宮より幣錦を賜っていた。一説には伊勢神宮の御厨であったという。創建時期は不明。垂仁天皇14年、天照大神の御霊代を祀る地を探していた倭姫命は、美濃国伊久良河宮(現天神神社)から尾張国中島郡にたどりつく。この地に坂手大神を祀ったのが最初という。天照大神の御霊代は現在の坂手神社のやや北に仮宮を築き祀ったという。

一帯は佐千原御厨と呼ばれていたそうです。この場合の御厨とは、伊勢神宮が神饌を調進させるための領地を意味します。しかも毎年伊勢神宮より幣錦を賜っていたのですから、伊勢神宮と関係が深いのは間違いありません。Wikiによれば、倭姫命はこの地に坂手大神を祀ったとのこと。写真の神石は倭姫命に関係すると理解されます。

坂手神社には高水上神とか坂手大神とかあまりなじみのない神様が見られます。伊勢神宮と関係がありそうに思え調べたところ、Wikipediaに以下の記事がありました。

坂手国生神社(さかてくなりじんじゃ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。社名は坂の上に鎮座することに由来し、灌漑用水の神を祀る。祭神は、高水上命(たかみなかみのみこと)。内宮の神田を守護する水神である。伝承によると、外城田川(寒川)を遡ってきた倭姫命を高水上命が出迎え、「田上神田」を献上したことから、坂手国生神社が祀られたという。

高水上命はWikiによると、内宮の神田を守護する水神とのことです。佐千原の一帯は御厨であることから、多分伊勢神宮に献上する米を作っていたのでしょう。この2点を総合すれば、伊勢神宮において高水上命が倭姫命に「田上神田」を献上したことと、佐千原が伊勢神宮の御厨であることが結び付いて坂手神社が創建されたと推測されます。さらに、伊勢の伝承に倭姫命が登場したことが坂手神社元伊勢説に繋がったのではないかと思われます。

一方、図書館で「葉栗郡紀要」をチェックしたところ関係する記述が出てきました。

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「葉栗郡紀要」に記載ある坂手神社由緒。

坂手神社 大字佐千原字宮東に在り、高水上命を祭る。当社は人皇十一代垂仁天皇の御代倭姫命神鏡を奉じて美濃国伊久良川宮より尾張国に移り給ひし時、坂手神社を祀り給ひて樹木を伐らしめ、太神宮の仮殿を造らしめ給ふと申し伝ふ。字北郷に御鎮座ありし所を太神宮御厨といふ。神鳳抄に尾張国佐千原御厨を載せられたり、然るに太神宮の御社は何時しか荒廃して今は七坪の塚を存するのみ、此塚へ入る道を御厨道といふ、又御厨塚より十八間東に荷置塚といふ所あり、当時に関係ある所なるべし。伊勢太神宮神官年々此の所に来り幣帛を奉りしが維新以来此儀絶えたり、斯る由緒地の或は煙滅に皈せんかを虞れ目下宮尾本県知事に染筆を請ひ記念碑建設に着手せり

上記の「佐千原御厨」に関しても詳しい記述がありました。

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「葉栗郡紀要」に記載ある佐千原御厨の詳細。

内容を以下に書き出します。

佐千原御厨 大字佐千原字北郷にあり、往古倭姫命、神鏡を奉じてこの地に移り給ひし時、大神宮の仮殿を造らしめ給ひし跡なりといふ。今や此地を永遠に伝へんが為に碑を建て碑面に宮尾知事の筆に成れる『御厨之塚跡』の字を刻す、而して其碑陰は左記の如し。尚別に同知事の『荷置塚之跡』と記されたる小碑を建つ。

垂仁天皇ノ朝倭姫命神鏡ヲ奉シテ美濃國ヨリ尾張國ニ遷リ給ヒシ時此ノ地御厨塚ニ御假泊アラシトイフ御厨塚道荷置塚ハコレニ因メル舊跡ナリ明治維新ニ至ルマデ伊勢大神宮神官年々コノ地ニ来リテ幣帛ヲ奉レリ斯カル由諸地モ後世ニ至リ或ハ煙滅センコトヲ慮レ里人相謀リ愛知縣知事宮尾舜治閣下ノ揮毫ヲ請ヒ此ノ碑ヲ建ツ一言其ノ事由ヲ記スト云爾 
大正九年十月十四日 愛知県葉栗郡長 板津森三郎

大字佐千原字北郷は現在の一宮市佐千原北郷から佐千原垣崎一帯と思われます。坂手神社からは西に数百メートルの、現在はほとんど田圃だけのような場所になっています。「垂仁天皇ノ朝」以下の文面は御厨之塚跡の石碑背面に書かれていたもののようです。


一帯を示すグーグル画像。

上記にも、倭姫命が美濃国から尾張国に遷られたとき、この地に仮泊したと書かれており、一時的な滞在地との位置付けで元伊勢中島宮ではなさそうな雰囲気です。なお、「荷置塚」は伊勢の御師が荷物を置いたことから生じた呼称のようで、これは「尾張国地名考」に記載ありました。

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尾張国地名考。右のページの「正生考」の中に書かれています。

以上から坂手神社一帯は、天照大神を奉じる倭姫命が美濃国から尾張国の中島宮に至る途中、一時逗留した場所となります。そうした情報が後世に伝えられ、伊勢神宮の御厨となり摂社の坂手国生神社がいつの頃か勧請され、毎年伊勢神宮より幣錦を賜り、伊勢の御師も訪れるようになったものと思われます。よってこの場所は、倭姫命に関係する伝承があるにせよ、中島宮ではないと思われます。

坂手神社から次の目的地である酒見神社までは、直線距離で3㎞程度。酒見神社こそが元伊勢中島宮の最有力候補と思われますので、期待されます。

          尾張氏の謎を解く その129に続く
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