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普済寺

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05 /29 2016

今回は熊野神社の近くにある曹洞宗の法憧山普済寺に行ってみます。所在地は愛知県東海市加木屋町西御門23。


位置を示すグーグル地図画像。

このお寺も初めて訪問したのですが、とても立派なお寺で驚かされました。

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門前から撮影。堂々とした構えになっています。

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本堂です。

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振り返ると左右両方に屋根付きの廊下が伸びていました。

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廊下の端には四天王の二人が鎮座。

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もう一方の端。立派な木像です。

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本堂手前の白砂庭園。

お寺の開基は文亀元年(1501年)とのことです。桶狭間の合戦とは関係なさそうに見えましたが、同寺の薬師如来は今川義元の家来だった当地の久野医院の祖先が桶狭間の役の際駿州久能山から招来し、如意寺の本尊としたものとのことです。如意寺は昭和33年に当寺に吸収合併されているので、やはり桶狭間絡みと言えそうです。久野医院の祖先が招来した薬師如来と、久能清兵衛宗政が持って来て熊野神社に納めた弥陀・薬師・観音の三尊は同じ話のような気もしますが…。何かヒントがないか境内を少し見て回ります。

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石碑。逆光になったので、白黒風に色調を変えています。面白そうな内容が記されていたので、大意を以下に記載します。

右馬(朝廷の馬を飼育する右馬寮の役人の意?)の祐生は終わりにおいて神亀3年(726年)に早川の姓を賜り大和国桜井荘を領地とした。九代儀国は本郡名和に帰り居住した。四十八代儀豊は居を寺本に移した。五十四代儀雄は延徳二年(1490年)加木屋へ移住した。今から430年前のことで、姓を賜ってから1194年になる…以下略

石碑は大正八年三月に71代目の方が建立しています。東海市の早川姓の系譜が刻まれている訳ですが、思いのほか長い歴史があったと知りました。普済寺にこの石碑が建てられているのには、きっと理由があるはずです。

単なる想像にすぎませんが、早川氏も加木屋在の今川家臣で、桶狭間の合戦の後久能氏(久野氏)が早川氏を頼ってに加木屋に来たのではないかなどと考えてしまいます。何気なく立ち寄った熊野神社が普済寺へと続き、戦国時代の歴史に思いを馳せることができました。



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酔石亭主

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