邪馬台国と大和王権の謎を解く その15


今回は「魏志倭人伝」に書かれた各国間の距離を検討するため、前回の内容を以下に再掲します。

帯方郡→南東水行7000余里→狗邪韓国→1000余里→対馬国(対馬)→1000余里→一大国(壱岐)→1000余里→末廬国(唐津市)→東南500里→伊都国(糸島市)→東南100里→奴国(博多付近)→100里→不弥国(宇美町或いは飯塚市)→南水行20日→投馬国→水行10日・陸行1月→邪馬台国(女王の都とする所)

狗邪韓国(釜山)から対馬国(対馬)、一大国(壱岐)、末廬国(唐津市)のそれぞれの間の距離は1000余里と書かれており、これが実際の距離を知る手掛かりになりそうです。グーグル地図でチェックすると、それぞれの間の距離の平均が60㎞強となり、これが1000里に相当します。(注:対馬から壱岐は対馬の出発地点により異なる)

史料面では「里」に関してどう書かれているのでしょう?「周髀算経」によると、1里が76m(1000里で76㎞)となっています。いわゆる短里ですが、里数の問題にも様々な議論があり、実に厄介です。

続いて全体の距離を見ていきます。「魏志倭人伝」によれば、帯方郡から女王国までの総距離は1万2千余里となります。ソウル辺りから九州までグーグル地図で行程に従い大雑把な線を引けば、博多までで900㎞を超えることになりそうです。1000里が60㎞とすると、女王国までの距離は60㎞の12倍で720㎞となり、これでは帯方郡から釜山までしか行けません。

短里で1000里を76㎞と考えれば912㎞になり、何とか北九州にまで到達できる距離になります。これらの数値は出発地点どこに設定するかによっても変わってきますし、海上の1里と陸上の1里が同じなのかと言った問題もあります。

魏時代の1里は434.16mとのことですが、それで計算すると帯方郡から女王国まで5千㎞以上にもなってしまい、全くあり得ない話になってしまいます。従って、1里が何mに相当するのかは確定し難く、いい加減だとは思いますが、適当に判断するしかなさそうです。

最も問題となるのは女王国の位置なので、九州に入ってからの距離を検討してみます。奴国は古代の那の津で博多付近となり、不弥国は宇美町だとすれば、宇美町から1300余里で女王国に至ります。1300余里は、1000里を60㎞で計算すると78㎞となります。

宇美町からそれに該当しそうな距離の場所を探すと、候補となるのは宇佐神宮が鎮座する南東方向の宇佐市か、宇美町の南方向では山鹿市の方保田東原(たとうだひがしばる)遺跡や台(うてな)遺跡などが該当しそうです。「魏志倭人伝」には女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。と書かれており、熊本では東に海を渡れず、宇佐市が適当なようにも思えてきます。

他の候補地はどうでしょう?古代史に詳しい安本美典氏は邪馬台国甘木・朝倉説を唱えています。その根拠として福岡県朝倉市・筑前町を中心とする地名の多くが、奈良盆地と一致している点を挙げており、奥野正男氏も「邪馬台国の東遷」でほぼ同様の説を唱えています。同地域における遺跡の多さも加味すれば、朝倉市周辺を女王国に比定できそうですが、東に海はないし、宇美町からの距離が30㎞に満たないことは弱点となります。

以上、あれこれ書いた割には、確実性に欠ける結果となってしまいました。邪馬台国(実際には女王国)の所在地に関しては、九州を訪問していない現状で結論を出せる立場にはありません。今回のシリーズは大和における歴史の謎探求が中心であり、卑弥呼の女王国は九州にあった点のみを確認し、これでよしとしておきます。

一方の邪馬台国は実にややこしい話となります。九州北部から邪馬台国までは水行の合計が30日で、古代船の1日の航行距離を15㎞と仮定した場合、北九州からさらに南に450㎞を航行することになります。例えば福岡市から鹿児島県の最南端まででも300㎞程度ですから、450㎞南は屋久島のもっと南の海上となってしまい、そこから陸行1月となれば海の上を歩くことになって、絶対にあり得ません。

古代船の実験航海では1日当たり30㎞程度の航行距離となったようで、この場合には30日で900㎞となり、非現実的な数値と言えるでしょう。但し、古代船の航行は季節や風向き、風速によって稼げる距離が大きく変わる点、また補給や嵐による停泊がある点は含んでおく必要があります。古代船の航行に関しては既に詳しい論考が「魏志倭人伝の航海術と邪馬台国」(成山堂書店)などに書かれていますので、参照ください。

いずれにしても投馬国を経て邪馬台国へ向かうのに南方向はあり得ないことから、可能性としては、瀬戸内海を通って東に向かうルートが考えられます。北九州から東へ450㎞はほぼ大阪までの距離となり、1日の航行距離を15㎞とすれば丁度30日になります。実際の1日当たりの航行距離が30㎞になるとしても、航海途中の補給や嵐などによる停泊などを考慮すれば、30日はまあ納得できそうな日数です。日数問題を日本側の史料から見てきます。

「日本書紀」の推古16年夏4月条によれば、小野妹子が隋より使人裴世清・下客12人を伴って筑紫に着き、6月15日、裴世清らが難波津に上陸し新館に入ったとあります。仮に4月末頃筑紫に着き、そこで十分な休息を取り、九州の様子も見て回った後の5月半ば頃に出航、瀬戸内海の何カ所かで補給や荒天を避けるため停泊し、難波津に到着したと考えれば、30日はあり得そうな日数と言えるかもしれません。

仮に瀬戸内海ではなく日本海側を航海して、出雲経由丹波辺りで上陸すると水行で450㎞程度となり、丹波から畿内まで陸行1月と考えても辻褄は合いそうです。でも、なぜ投馬国と邪馬台国への方位や距離、航海の必要日数にこれほど悩まされなければならないのでしょう?既に書いたように投馬国と邪馬台国の情報がより新しい時代に得られたものなら、もっと正確度が高くなってもよさそうなものですが…。この問題を理解するため、「隋書」の倭国伝を見ていきます。そこには、「夷人不知里數、但計以日。」と書かれていました。

現代文では、倭人は里数を知らない。ただ日数をもって計るだけだ、となります。ここから、投馬国と邪馬台国の情報は中国側の使節・役人などが直接得たものではなく、倭人から聞いた伝聞的情報に過ぎないと理解されます。伝聞による情報だけに、投馬国と邪馬台国に関する記述は正確性に欠けていたのです。

従って、投馬国と邪馬台国に関する航海日数や方位は共に曖昧で不正確なものとの前提で考えるしかありません。ただ、邪馬台国は北九州から相当遠い場所にある雰囲気だけは感じ取れます。それに当てはまりそうな最有力候補地を考えると、やはり畿内(大和)しかなさそうです。

以上、「魏志倭人伝」の行程に関する記事などから判断して、卑弥呼の女王国が北九州にあり、女王の都とする邪馬台国は畿内にあったとする方が、話の筋も通りそうに思えてきます。でも、なぜこんなにややこしく誤解を招きやすい結果となったのか?それをチェックするには、「魏志倭人伝」の撰者やその編纂年代を知る必要がありそうです。この問題は次回で検討することとして、次に卑弥呼が登場する場面を見ていきます。

其國本亦以男子為王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名曰卑彌呼、事鬼道、能惑衆、年已長大…以下略。

またその国(文章の流れからすると女王国)は、元は男性を王としたが、7、80年で中断し、倭国が乱れ、互いの争いが何年にも及んだので、一人の女性を王として共立した。名を卑弥呼といい、鬼道に通じ、よく衆を惑わした。年齢は既に高齢で…以下略。

既に書いたように、「後漢書」の倭伝によれば178年から184年の間、倭国は戦乱のさなかにありました。「後漢書」の記事と「魏志倭人伝」をベースにすれば、紀元100年から178年の7、80年は男性が王であったが、178年から184年の間に倭国大乱があり、185年頃に卑弥呼が共立されたとの流れが見えてきます。続いて各国の戸数を見ていきたいので、その部分を抜粋します。

対馬国千余戸。一大国三千許家。末盧国四千余戸。伊都国千余戸。奴国二万余戸。不彌国千余家。投馬国五万余戸。邪馬壹国七万余戸。

上記の伊都国に関しては以下のような記事があります。

自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。

伊都国は女王国の統治下にあり、女王国傘下の各国を監視・統制する監察官のような役割を担っていたことから、諸国はこれを畏れ憚っていたようです。邪馬台国畿内説が正しいと仮定し、さらに女王国=邪馬台国とした場合、畿内にある邪馬台国(=女王国)は北九州の国々まで統治下に置いていることになり、この時代ではあり得ない話です。ここからも女王国と邪馬台国は別の国と理解されます。

伊都国に関して、監察官の役割を担っているにしては千余戸と戸数が少ないようです。奴国が二万余戸ですが、この国は1世紀から3世紀前半にかけて、「魏志倭人伝」のみならず、「後漢書」の東夷伝にも出てくるので、相当な勢力があると理解されます。

理解できないのは、投馬国が奴国の2.5倍もの規模の戸数を持っていることです。邪馬台国にしても7万余戸ですから、仮にこれが卑弥呼の国として、共立された女王の国としてはあまりにも大きすぎるように感じられます。戸数問題は、投馬国と邪馬台国が九州に存在していないとの見方を強める要素の一つになり得ます。今回の検討においては、卑弥呼の女王国が北九州にあり、女王の都とする邪馬台国は畿内(大和)にあったと纏め、次回でその正否をさらに検討していきます。

        邪馬台国と大和王権の謎を解く その16に続く
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