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邪馬台国と大和王権の謎を探る その39

邪馬台国と大和王権の謎を解く
03 /18 2017

前回で出雲建雄神社の創建は、尾張の熱田神宮にて祀られる草薙神剣に関係していると確認されました。実は天理市に八剣神社が鎮座しています。熱田神宮境内にも別宮として八剣宮が鎮座しています。だとすれば、天理市の八剣神社も尾張との関係が推測されるのでチェックしてみたいと思います。鎮座地は天理駅の西側になります。


八剣神社の位置を示すグーグル地図画像。鎮座地は奈良県天理市田井庄町273。

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八剣神社の鳥居。

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拝殿。

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本殿。

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解説板。内容は以下の通りです。

神代のむかし素盞男尊八岐大蛇を退治したまいき。大蛇は身を変え天に昇り神剱となって布留川の上流八箇岩に天降りしを水雷神とあがめ貞観年間にこの地に氏神として斎られた。 もと村社で五穀豊穣、邪霊退散、招福の守護神として尊信されている。

素戔嗚尊に退治された八岐大蛇が草薙神剣となって、布留川上流の八箇岩に天降ったと書かれています。貞観年間は859年から877年までの期間となります。「大和志料」中巻には、草薙神剣に関係して「布留川の上に八重雲が湧き立ち、その中に神剣が光り輝いているのを見た。翌日その地に至ると、八つの霊石があり、」との出雲建雄神社に関係する記述がありました。八剣神社由緒の布留川上流の八箇岩と、出雲建雄神社由緒に見られる布留川の上の八つの霊石は同じものと考えられ、従って八剣神社の祭神である八剣神も草薙神剣(の御霊)を意味していると確認されます。

「日本の神々」巻4の八剣神社の項には「石上振神宮略抄」の内容が以下のように引用されていました。

夜都留伎ノ神ハ八岐大神ノ変身ニテ、神体ハ八ノ此札、小刀子ナリ、乃チ八剣ノ神ト申ス  神代ノ昔、出雲ノ簸谷ノ八岐大蛇ハ一身ニテ八岐アリ、尊(素戔嗚尊)剣ヲ抜テ八段二切断シ給シカ、八ツ身二八ツ頭カ取付八ツノ小蛇トナリテ天ヘ昇リテ水雷神ト化為テ聚雲ノ神剣二扈従シテ、当国布留河上ノ日ノ谷(都祁郷属)二臨幸アリテ鎮座ス 八龍王八箇石是也、貞観年中(859年~877年)ニ吉田連カ族都祁ノ村公庸敬ガ神殿ヲ造リテ神格ヲナシテ八剣神ト申ス 今ノ田井之庄ノ八頭神殿是也

上記が八剣神社の由緒の元になっていると理解されます。大意は、夜都留伎(八剣)の神は八岐大神の変身であり、神体は八つの小刀で八剣の神と言う。神代の昔に素戔嗚尊が八岐大蛇を剣で八段に切られたが、八つの身に八つの頭が取り付き、八つの小蛇となって天に昇り水雷神となって叢雲の神剣に従い、当国の布留川上の都祁郷に属する日の谷に降臨して鎮座した。八龍王の八個石がこれである。貞観年中(859年~877年)に吉田連の一族である都祁の村公庸敬が神殿を造り八剣神と申すのが、今の八剣神社である。

八剣神社の由緒では八岐大蛇が草薙神剣に変身し、布留川上流の八箇岩に天降りしたとあり、「石上振神宮略抄」では八つに切られた八岐大蛇が八つの小蛇になって草薙神剣に従い、布留川上流の八箇岩に天降りしたような主旨となっています。両者の内容は微妙に異なっていますね。いずれにしても、尾張の八剣宮とは話の由来が異なるので、尾張の八剣宮と八剣神社の間に直接的な関係があるとは言えません。

ただ、八剣宮は元明天皇の和銅元年(708年)に草薙神剣のコピーを新たに鋳造し創祀されたものですから、話の内容は異なるものの、その根源に草薙神剣がある点では八剣神社の由緒と一致しています。尾張の八剣宮創建に石上神宮の話が影響を及ぼしている可能性はなお残りそうに思えてきました。

由緒の最初に夜都留伎ノ神とありますが、「日本の神々 その4」(白水社)によれば、この神に比定される長滝町日の谷(火の谷)の龍王社は現在の夜都伎神社(やつぎじんじゃ)の上社的存在と考えるなら、夜都伎は本来夜都留伎であった可能性もある。とのことです。

日の谷の龍王社に関しては以下に詳しく書かれていますので、興味のある方は参照ください。
http://kamnavi.jp/as/yamanobe/nagaryuou.htm

と言うことで、次回は夜都伎神社に行ってみましょう。

       邪馬台国と大和王権の謎を探る その40に続く


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酔石亭主

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