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尾張と遠賀川流域の謎を解く その1


今回から久し振りに歴史の謎解きに挑戦します。以前、「熱田神宮の謎を解く」シリーズを書いている中で、尾張と遠賀川流域の間に不可解な共通性があることに気付きました。「熱田神宮の謎を解く その34」、「その35」、「その36」にて少し触れたように、物部氏の本貫地と考えられる北九州の遠賀川流域と尾張との間には神社構成、祭神、伝承、地名などで極めて酷似したものが見られたのです。この事実はとても興味深いため、是非一度北九州を訪問してみたいなどと「その36」で書いていました。

特に奇妙だと思ったのは、遠賀川流域に尾張限定のはずの宮簀媛命を祀る神社があったり、草薙神剣盗難事件に関連した所伝が幾つも存在していたりする点です。これらを踏まえると、尾張と遠賀川流域の間には古代から、いや多分それ以前から、交流があったことになります。けれども、尾張から遠賀川流域へと何らかの情報伝達があったのか、あるいはその逆なのか。また、そうした情報伝達は一回限りのものだったのか、或いは何度かあったのか。またどのような事情でそうしたことが起きたのかなど、様々なケースが想定され極めてややこしそうに感じられました。

尾張氏の拠点である尾張と物部氏の原郷である遠賀川流域の相似性はある日突然発生したものとは考えられず、双方向的に長い時代の積み重ねがあったはずです。尾張においては南部が尾張氏の、その北隣一帯が物部氏の支配的領域でした。そうした地理的・位置的関係も影響しているでしょうし、尾張と遠賀川流域の相似性・共通性は、尾張氏と物部氏の関係によるとも言えそうです。尾張氏の祖神・天火明命と物部氏の祖神・饒速日命(にぎはやひのみこと、以降ニギハヤヒと表記)が同一神とされているのも両者の関係性の一例なのかもしれません。などとあれこれ考えだせば、収拾がつかないことになります。では、どこから検討を始めればいいのでしょう?

尾張と遠賀川流域の相似性や尾張氏と物部氏の関係性を根源から解き明かすには、それらの基点となる事柄が、いつ、どのような形で始まったのかを見ていく必要がありそうです。謎の解明にはもちろん北九州に足を踏み入れ、詳しく調べることが必須となります。費用も時間も馬鹿にならず悩ましい限りですが、行かなければ何も進まないので、ようやく重い腰を上げることにしました。

とは言え、遠賀川流域を訪問するに当たり、前もって調査・検討しておくべき課題が幾つかあります。例えば、かの有名な遠賀川式土器です。遠賀川式土器は福岡県水巻町の遠賀川河床(立屋敷遺跡、立屋敷八剣神社の少し上流部に位置します)から出土した弥生時代の土器につけられた名称で、遠く離れた尾張にまで伝播しています。


立屋敷遺跡の位置を示すグーグル画像。表示はありませんが、立屋敷八剣神社の南側です。

遺跡に関しては水巻町のホームページにも書かれていますので、以下を参照ください。
https://www.town.mizumaki.lg.jp/town/outline/hst_01.html

今からおよそ2300年前、後代の物部氏支配地となる遠賀川流域から遠賀川式土器が尾張にまで伝えられました。弥生時代前期に物部氏と呼称される豪族は存在していませんが、北九州・遠賀川流域と尾張を結ぶ最初の接点となるので、この時点を検討の始まり・基点にしたいと思います。と言うことで、早速調査を始めましょう。まず尾張側から見ていきます。

弥生時代前期に北九州の遠賀川周辺にいた弥生人たちは、陸路ではなく船で北九州から尾張にまで至ったと推定されます。長い航海は北九州の海人系が担当したはずで、彼らは紀伊半島を回って伊勢湾に入り、濃尾平野の奥深くまで到達したのでしょう。弥生人たちの移動ルートを勘案すれば、遠賀川式土器は知多半島、熱田台地、庄内川流域を遡った現在の濃尾平野でなどで出土していることになりそうです。そうした推定に沿って尾張の各地を見ていきます。なお、必要な資料の多くは名古屋市博物館の展示物より引用しました。

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名古屋周辺の弥生時代の地形。名古屋市博物館の資料より。画像サイズを大きくしています。

名古屋周辺の地形図で注目すべきは、弥生時代の海岸線(推定)です。この推定地形図によれば、名古屋市西部のほとんどが海の底になっていたと理解されます。(注:地形図ではあゆち潟の下方が知多半島になりますが、半島部分は表示されていません)あゆち潟の北側の象の鼻のような台地が熱田台地で、断夫山古墳と高蔵遺跡の表示があり、断夫山古墳の南側先端部が現在の熱田神宮に当たります。熱田台地北側は沖積低地となっており、庄内川に沿った位置に西志賀遺跡、志賀公園遺跡の表示があります。両遺跡の北西部には朝日遺跡があり、重要な検討対象はこの地形図でほぼ網羅されていると言えるでしょう。

実はこの推定海岸線に関して悩ましい部分があります。縄文時代の前期(BC4000~3000年頃)、気候の温暖化に伴って海水面が4~5m上昇しました。いわゆる縄文海進ですね。ところが縄文時代中期には海退が始まり、寒冷化した弥生時代には海退がさらに進みます。その結果、紀元1世紀頃には海水面は現在より2mも低くなったとのことで、弥生海退と称されています。(注:弥生海退があったかどうか議論もあるようです)

弥生海退が仮にあったとした場合、海水面が低くなって陸地は広がります。そうした状況と尾張における弥生時代の推定海岸線は整合していないようにも見えてしまいます。博物館以外に参考資料がないかネットで調べたところ、弥生時代から古墳時代の推定海岸線が以下のPDFファイルに出ていました。(注:弥生時代がP6、古墳時代はP8に記載あります)こちらも、名古屋市博物館とほぼ同様の推定となっています。
http://www.city.nagoya.jp/kyoiku/cmsfiles/contents/0000091/91791/dai1syou.pdf

仮に弥生時代における海水面が現代とほぼ同じだったとして考えてみましょう。ここで国土地理院の「デジタル標高地形図、中部」を参照します。

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「デジタル標高地形図、中部」。画像サイズを大きくしています。

この地図で見ると名古屋市の西部は海抜0m~1mの地域が広範囲に見られます。濃尾平野においては約286平方キロが海抜ゼロメートル地帯とされ、津島市や弥富市、愛西市、あま市、海部郡、名古屋市の一部などが該当します。干拓や河川整備、堤防の整備などにより現在では陸地になっている上記地域も、それらの要因を取り除けば現在でも海の下になってしまうのです。従って、弥生時代の海岸線は名古屋市博物館の資料に沿った形と見てほぼ間違いなさそうです。

弥生時代の推定海岸線問題は解決したようなので、同時代の範囲について少し触れてみます。名古屋市博物館では弥生時代を前期、中期、後期に分けて解説しており、わかりやすい展示となっています。最近の研究では弥生時代の始まりが今から3000年前にまで繰り上がっていますが、本論考では従来の説に基づいた区分けにしたいと思います。

すなわち前期を2300年~2200年前、中期を2200年~2000年前、後期を2000年から1750年前としますのでお含み置き下さい。理由は参照資料等がその観点から書かれているからです。また弥生時代の始まりや区分は検討課題の本筋とは関係ないことも理由に挙げられます。と言うことで、まず以下の写真を参照ください。これは館内のモニターを撮影したものです。

IMG_1989_convert_20170723071620.jpg
画像サイズを大きくしています。

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尾張の弥生時代の概観。

この図と次の解説でほぼすべての必要事項が出ており、弥生時代前期、中期の大きな遺跡としては朝日遺跡と西志賀遺跡があると書かれています。朝日遺跡に関しては「清須市周辺散歩 その4」を参照ください。図に記載ある高蔵遺跡に関しては弥生時代を通じて集落が営まれたとあり、その重要性が見て取れます。高蔵遺跡所在地は高倉下(たかくらじ)を祭神とする高座結御子神社一帯となり「熱田神宮の謎を解く その23」を参照ください。

地形図に表示された高蔵遺跡、朝日遺跡、西志賀遺跡(と平手町遺跡、志賀公園遺跡)からは遠賀川式土器が出土しているので、いずれも検討対象となります。また地形図には出ていませんが、知多半島からも遠賀川式土器が出土しており、ざっと見ておく必要はありそうです。

これらの遺跡から遠賀川式土器が出土する理由は何でしょう?答えは既に書いているのでおわかりですね。弥生時代の前期に北九州の遠賀川流域にいた弥生人の集団が伊勢湾を北上し、まず知多半島に立ち寄り、次に熱田台地に入って高蔵遺跡に集落を営み始め、続いて当時は入海状態と推定される庄内川を遡り、朝日遺跡、西志賀遺跡の地にまで至ったからです。彼ら或いはその後裔はさらに上流部へと進出した可能性もありますが、それはまた後で検討していきます。

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弥生時代前期の解説。

西志賀遺跡、堀越町遺跡、高蔵遺跡が弥生時代前期の遺跡で集落は環濠集落になっていると記載あります。また縄文時代の条痕文系土器と遠賀川式土器が共存していることから、尾張は縄文文化と弥生文化のせめぎあいがあった場所だと理解されます。次回は知多半島の遺跡から見ていきます。

注:本シリーズの記事カテゴリは熱田神宮との関連も考慮して「熱田神宮の謎を解く」シリーズの次に設定しました。

           尾張と遠賀川流域の謎を解く その2に続く
  

       
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