尾張と遠賀川流域の謎を解く その28


今回は中山八剣神社における草薙神剣伝承を追ってみましょう。中山八剣神社の解説石板記載の由緒には、以下の内容が書かれていました。

本社に草薙剣を奉護す 天智天皇七年二月

これでは簡単すぎますね。紙に書かれ掲載されていた解説は多少詳しくなっています。

天智天皇7年11月に新羅(今の韓国)沙門道行が草薙剣を盗んで筑紫まで逃げ、雨風のため帰り得ず発見され、剣は難を免れた。その時往古の縁故から当社に仮殿を設けてしばらくの間安置し奉った。このことがあってから八剣大明神は更に栄え、国主領主は神意を畏み社殿を建立し、参拝者は日に月に多くなった。

往古の縁故からと書かれていますが、これは剣岳に日本武尊が来たことを指しているのでしょう。ただ、何度も書いているように北九州の武人としての日本武尊と尾張や大和の日本武尊は別人(別の神)です。中山の八剣神社に伝わる草薙神剣盗難事件の話は「福岡県神社誌」にも記載されていました。

また曰く、天智天皇七年十一月、新羅の沙門道行が草薙剣を盗んで帰る中、筑紫まで至ったが風雨に迷い、御剣は日本の境を出る事はなく、この御山(剣岳)にしばらく安置し奉ったと。

天智天皇7年は668年で、盗難事件発生年となります。解説石板は天智天皇7年2月となっていますが、これは同年11月の誤りです。但し、「日本書紀」の記述を見る限りでは11月とも言い切れない曖昧さが残ります。上記した各盗難事件関連記事によれば、道行が草薙神剣を盗み出し、博多まで逃げて捕まり、取り戻された神剣を本社、すなわち剣岳山頂にて一時的に奉護していたことになります。これだけの内容ではほとんど検討の余地がありません。

続いて尾張における伝承を見ていきましょう。新羅僧・道行による盗難事件は天智天皇7年(668年)に発生しますが、道行は捕えられ神剣は宮中に留め置かれます。(注:宮中に留め置かれたとする史料はなく、天武天皇に祟ったので返還したとの記述に基づく推測)朱鳥元年(686年)6月に、天武天皇の病が神剣の祟りだとの占いが出たことから、神剣は熱田神宮に送り還され、元明天皇の和銅元年(708年)に八剣宮が創建されることで全て終息しました。よって八剣宮の創建は盗難事件の後日譚として位置付けることができます。(注:再び盗難に遭わないためとの説もありますが、それが正しいのか後の回で探っていきます)

中山八剣神社の伝承では、盗難事件が発生した668年から熱田神宮に返還される686年までの間、剣岳に安置されていたことになるようです。神剣盗難事件の伝承が残るのは中山八剣神社以外に、古物神社、岡垣の高倉神社(旧称八剣宮)、立屋敷の八剣神社があります。中山八剣神社を除く各神社に関しては後の回で取り上げる予定ですが、それぞれの神剣盗難事件に関連する内容を簡単に書いてみましょう。

古物神社の由緒によれば、博多で取り戻された神剣は同社が鎮座する古門の地に舞い落ちで祀られたことになっています。ただ古物の社名から石上神宮との関連が想定され、面白いことに石上神宮摂社の出雲建雄神社にも草薙神剣関連の伝承が伝わっています。そうした面も含め、神剣盗難事件関連では古物神社のありようや由緒内容が主たる検討対象になりそうです。

高倉神社の場合、神剣が博多で取り返され、暫く清浄な地である同社に安置されたとあります。その後の記述は尾張の八剣宮の内容を取り込んだものになっており、俗説で同社を八剣宮と言うのは熱田に倣っているとまで書かれています。詳細は後の回で見ていく予定なので、これ以上触れませんが、「福岡県神社誌」や「太宰管内志」などの主要史料で高倉神社の項を読んでも事件の記載はなく、尾張側の情報から高倉神社の伝承が成立した可能性は高そうです。

立屋敷の八剣神社は道行が持ち逃げして博多に至った後、取り戻されて立屋敷の地にて祀ったとのことです。同社の場合、酔石亭主が知る限りでは「筑前国続風土記拾遺」に記載があるだけで、それほど一般化されてはいないようです。

同じ遠賀川流域で、神社によって多少内容面の違いはあるものの、基本部分は高倉神社、中山八剣神社、古物神社、立屋敷八剣神社のいずれも同じでした。違うのはそれぞれが自社で神剣を奉斎していた点でしょう。各社の伝承をそのまま素直に受け取れば、草薙神剣は遠賀川流域において少なくとも4本あったことになりますが、そんなはずはありません。これらの由緒は盗難事件が捏造だったことを示す証拠とも言えそうです。

草薙神剣盗難事件に関して他の史料も少し見ていきましょう。伊勢神宮外宮の禰宜である度会行忠が著した書に「伊勢二所太神宮神名秘書」があり、八剣宮に関して以下の記述が見られます。

其草薙劒今在尾張國熱田社也。沙門道行盗-取之。赴異國。逢風雨不達先路。有霊威被送熱田社。自爾以降。造-加於劒七柄天 為八劒宮也。

その草薙剣は今尾張国の熱田社にある。新羅僧の道行がこれを盗み取り新羅に持ち帰ろうとしたが、暴風雨に遭って進めず、霊威があるによって熱田社に送り還された。それ以降新たに七振り剣を造り加えたのが八剣宮である。

「伊勢二所太神宮神名秘書」はデジタル化されており詳細はコマ番号63、64を参照ください。
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0257-004106&IMG_SIZE=1000%2C800&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E4%BA%8C%E6%89%80%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E5%90%8D%E7%A7%98%E6%9B%B8%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&IMG_NO=64

上記は草薙神剣が盗まれたことと八剣宮の創建をリンクさせて書いています。ここから、草薙神剣に七振りの剣を加えておけば、泥棒が入ってもどれが本物かわからず惑わせることができるとの考えで八剣宮が創建されたとの推定が出てきます。盗難事件に関連する尾張側の史料は他にも幾つかありますが、それらの検討は後の回とします。

草薙神剣盗難事件に関して、九州側と尾張側、その他の伝承などをうんと簡単に見てきました。盗難事件と直接関係はしませんが一点留意すべき部分があります。遠賀川流域に鎮座する剣神社、八剣神社には尾張の熱田神宮を勧請したとする記述が各時代に亘って数多く見られるのに対し、尾張に鎮座する熱田神宮やその関係神社に遠賀川流域の神社から勧請した記述は全く見られない点です。そうした事実関係を踏まえると、遠賀川流域における草薙神剣関連伝承もまた尾張側から伝わった可能性が高いと思われます。

ただ、草薙神剣盗難事件に関する中山八剣神社の由緒は比較検討の材料に乏しいので、謎の本命と期待される古物神社において出来る限り詳しく検討し、この問題に道筋を付けたいと思っています。

以上、中山八剣神社が大和王権や物部氏、尾張氏の影響を強く受けて創建された点は何とか確認できました。遠賀川流域における草薙神剣の伝承は、上記したように後の回で集中的に検討することとします。次回は剣岳の西麓に鎮座する熱田神社を訪問します。

           尾張と遠賀川流域の謎を解く その29に続く
スポンサーサイト
プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる