尾張と遠賀川流域の謎を解く その11


前回で嶋戸物部と贄田物部の尾張移住が確認できました。加えて、彼らがプレ物部氏の最重要メンバーであった点も明らかとなっています。両者が移住した熱田台地には高倉下を祀る高座結御子神社が、そのすぐ南には熱田神宮が鎮座しています。この位置関係こそが物部氏と尾張氏の間に密接な関係を築かせたと見てほぼ間違いないでしょう。密接な関係は彼らの祖神からも窺えます。

尾張氏の祖神は天火明命で、一方物部氏の祖神はニギハヤヒ。この両者は同一神とされ、子神が尾張氏の場合天香山命、物部氏においては高倉下(天香山命の天降ってからの別名)になっているのも、尾張氏と物部氏が隣接していたことに起因すると思われます。けれども、弥生前期における遠賀川式土器の尾張への伝播や、末期における遠賀川流域と尾張の関係が両地域における神社名、祭神、数々の伝承などの共通性にそのまま繋がるとは思えません。

弥生時代における遠賀川流域と尾張の関係が両地域の共通性を齎す基盤になったことは確かだとしても、それ以降の各時代において、遠賀川流域と尾張を繋ぐ幾つもの歴史イベントがあったはずです。謎の解明には、両地域で酷似し共通しているものをそれぞれの時代毎に検討の俎上に載せ、分析する必要があるのです。

例えば、八剣神社は当然のことながら尾張と美濃に多く、それに次いで多いのが福岡県で、主祭神は基本的には日本武尊です。(注:例外も幾つかある)剣岳山麓に位置する新北の地名は、表記は異なるものの尾張の熱田と同じです。また剣岳の近くには小牧(おまき)の地名があり、尾張にも読み方は(こまき)で異なりますが、同じ表記の地名があります。遠賀川流域に鎮座する剣神社の祭神の多くは尾張の熱田神宮祭神と同じです。

北九州には日本武尊の伝承があり、尾張にも同様に日本武尊の伝承があります。特筆すべきは、尾張における草薙神剣盗難事件に関連した伝承が遠賀川流域にも数多く見られる点です。これらの問題を解き明かすため、物部氏の本拠地である遠賀川流域に足を踏み入れましょう。


遠賀川流域の主要な山を示すグーグル地図画像。

上記の画像の下部に笠置山があり、上部に六ヶ岳、そのほぼ北側が表示はありませんが剣岳となっています。既に書いたように、剣岳の周辺には剣・八剣の名を持つ幾つかの神社が鎮座しており、谷川氏は物部氏の信仰に結び付く神社であると考えられる、としています。また同氏は吉田東伍氏の「地名辞典」も引用しており、そこには「物部氏の兵仗を祭る所にして云々」と書かれている、としています。記紀の記述を見るまでもなく、物部氏と剣は分かちがたいものがあるのでしょう。

「日本の神々 1」(白水社)で下新入剣神社の項を担当された奥野正男氏も、「こうした各社の伝承に共通するのは剣霊を祀るということで、この祭祀圏の深層には、日本武尊伝承が社伝として語られる以前の、物部氏の兵仗(ひょうじょう)を祀る古い祭祀があったと考えられるであろう。」と同様の見解を語っています。(注:兵仗とは武器や武器を持った武官)

けれども、以前に書いたように谷川氏、奥野氏両氏の見解には疑問があります。剣岳や笠置山はプレ物部氏にとって重要な山でしょうが、ニギハヤヒ時代の彼らに剣霊を祀る信仰があったとは思われません。物部氏の剣霊信仰に関しては、彼らが朝廷の命により、石上神宮の鎮座地において武器を管理するようになってから始まったと推定され、それがいつ頃北九州に伝わったのかを見ていく必要があるのです。

また剣霊が草薙神剣を意味しているとすれば、神剣の話が北九州に伝わったのは668年に起きたとされる盗難事件以降の話となるので、うんと遅い時代になってしまいます。時代の分別をきちんとしないまま伝承やイベントを一緒くたにしてしまうと、大きな混乱の原因となるので十分な注意が必要です。

(注:みやま市瀬高町(せたかまち)大字太神(おおが)には「こうやの宮」(磯上物部神)が鎮座しており、こちらには七支刀を持つ武人の神像まであります。社名からして石上神宮の元宮のような存在だったのかもしれません。石上神宮の場合、境内の出土品や周辺の発掘状況から5世紀前半に祭祀が行われていたと考えられ、「こうやの宮」がそれより古い可能性は十分あります。実に興味深く機会があれば訪問してみたいところです。同社詳細は以下に非常に詳しく書かれているので参照ください)
http://www.geocities.jp/bicdenki/oogatizu.html


こうやの宮の位置を示すグーグル地図画像。

話が少しそれたので元に戻します。谷川氏や奥野氏は遠賀川流域に物部氏の兵仗(ひょうじょう)を祀る古い祭祀があると指摘されていますが、そのような痕跡など見当たらず、北九州の武人としての日本武尊もは尾張や大和側からの情報により祭神や伝承を上書きされた可能性が強そうに思われます。剣岳がプレ物部氏の聖山であるにもかかわらず、山麓の剣、八剣神社各社で祀られているのは尾張氏の神々が中心であることからもそれが窺えます。

もちろんこれらは検証なしに即断できないので後でじっくり考えてみましょう。差し当たっての問題は遠賀川流域に数多く見られる剣・八剣の名を持つ神社です。剣神社と八剣神社は何がどう違っているのか理解しにくい部分があり、取り敢えず各神社を以下に列記してみます。(注:剣神社や八剣神社に関して「剱」、「劒」などの表記も見られますが便宜上「剣」で統一しておきます)

まず八剣神社です。鎮座地で列挙すると、北九州市の八幡西区本城鎮座、北九州市若松区小敷鎮座、北九州市若松区塩屋鎮座、遠賀郡遠賀町今古賀鎮座、遠賀郡遠賀町広渡鎮座、遠賀郡水巻町立屋敷鎮座、中間市中底井野鎮座(浅木神社より勧請)、鞍手郡鞍手町中山鎮座、鞍手郡鞍手町小牧鎮座(中山八剣神社より勧請)と9社になりました。

鎮座位置から見ると北九州市に3社、中間市と遠賀郡に4社、鞍手郡に2社とグループ分けできそうな雰囲気です。主祭神は日本武尊になりますが、中山の八剣神社祭神は日本武尊、素戔嗚尊、宮簀媛命となっています。剣岳西麓の鞍手郡鞍手町大字新北に鎮座する熱田神社は宮司家の史料によると八剣神社などと称していた時期があり、祭神は中山と同じ3神でした。

岡垣町の高倉神社の社伝にも、俗説には當社をも八剣宮と申し奉るなり、とありました。八剣神社は柳川市にもありますが、創建時期が新しすぎるので省きます。植木の日吉神社のかつての社名は八剣宮だったようです。他にも探せばあるかもしれませんが、土地鑑のない酔石亭主では探し切れません。

次に剣神社です。チェック結果、鞍手町新延鎮座、鞍手町木月鎮座、宮若市龍徳鎮座、鞍手町古門鎮座の古物神社(剣神社を合祀)、直方市下新入鎮座の剣神社などが挙げられます。祭神は日本武尊、素戔嗚尊、宮簀媛命ですが、別の要素の影響で他の祭神の神社もあります。

上記各社は基本的にデジタル化されている「福岡県神社誌」、「太宰管内志」などを参照しています。ただ、八剣神社が剣神社と書かれていたり、剣神社が八剣神社と書かれていたりする例が幾つも見られ、大きな混乱があります。剣神社と八剣神社の違いがどこにあるのかは、相当ややこしそうな問題ですが、何とか整理していきたいと思います。なお上記した全ての神社を訪問するのは難しいので、主要な各神社を探索しつつ答えを出していく予定です。うまく整理できるか神のみぞ知るですが …。

          尾張と遠賀川流域の謎を解く その12に続く
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