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尾張と遠賀川流域の謎を解く その18


ここまでの検討で、遠賀川流域における八剣神社のありようには、源範頼による熱田神宮勧請(1185年)が大きな影響を与えていると確認されました。新入剣神社の場合は、戦国時代に熱田神宮から日本武尊を勧請して「八劔大神」と称えています。

「八劔大神」の表現には熱田神宮別宮の八剣宮の影響がありそうですが、八剣宮の創建(708年)には草薙神剣盗難事件が色濃く影を落としており、一方遠賀川流域には草薙神剣盗難事件に関連した伝承を持つ神社が何社かあるので、この点にも留意する必要がありそうです。また、前回で剣神社と八剣神社の社名に混乱がある原因を大雑把に見てきました。この問題もさらなる検討が必要でしょう。

既にご存知のように、1185年の出来事だけでは尾張と遠賀川流域の共通性や相似性を十分に説明できません。そうした部分を追求するための検討対象として、剣岳山麓の鞍手郡鞍手町大字中山1588に鎮座する八剣神社(やつるぎじんじゃ)を取り上げます。この神社は複雑な要素を抱えているようなので、時間をかけてじっくり探索する必要がありそうです。


鎮座地を示すグーグル地図画像。背後が剣岳になりますので、拡大して確認ください。

まず祭神を見ていきます。同社の祭神は日本武尊、素戔嗚尊、宮簀媛命の3神となっていました。これらの神様はいずれも熱田神宮・本宮において相殿神として祀られています。表面には出てこないものの、各祭神の背後には草薙神剣があり、素戔嗚尊は八岐大蛇の尾から神剣を取り出した人物、日本武尊はその剣で草を薙ぎ窮地を脱した人物、宮簀媛命は日本武尊から預かった草薙神剣を後に熱田台地に遷し熱田神宮にて祀った人物となり、いずれも草薙神剣に関係しています。

基本的に遠賀川流域に鎮座する八剣神社各社は、1185年に熱田神宮から本城に勧請され、それが分祀された、或いは影響を受けたもので、祭神は日本武尊となります。ところが前回で書いたように、中山八剣神社は剣岳山麓に鎮座している点、祭神が3神になっている点から、本来は剣神社だった可能性があります。

この見方はかなり大雑把なので、本当にそれでいいのか、より詳しい検討が必要となるでしょう。加えて同社には草薙神剣盗難事件関連の伝承も存在します。これらの問題は一筋縄ではいかないので、具体的な解明は後に回し、取り敢えずは中山八剣神社の写真をアップしていきます。

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中山八剣神社が鎮座する剣岳。写真は中山八剣神社側ではなく、山の西側から撮影したものです。

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社前より撮影。

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石段を登ると社殿が見えてきます。

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もう少し。

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拝殿です。

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境内。

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拝殿と本殿。

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八雷社の石碑。

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解説石板。

本武尊熊襲平定の折往き還りともに剣岳に留まり給う。帰路行宮を発ち多くの軍率と共に御山をお下りの折辻屋敷の地で激しい雷雨にあわれ林の中で雨宿りされ給う。其の折尊雷鳴の神を祭り給う雷鳴忽ち鎮まる。後世に里人其の地に祠を建て八雷の神を祀り危難を拂い開運を祈る。これが八雷社の起こりである。

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かつての境内図。

剣岳山頂が上宮になっていることから、現在の中山八剣神社は山頂から山麓に遷座したものであると確認できます。

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中山八剣神社の解説石板。

この解説石板は、今回の最初の写真「社前より撮影」の鳥居右側に設置されています。全文を以下に記載します。

八剣神社由緒

日本武尊熊襲征伐の折當国を経歴し給う酋長田部今朝麿村人と共に之を迎う尊喜び一方ならず 帰路再びこの地に留り給う酋長行宮を集英して守護し奉る 尊いたく当地の人情風致をし給う
安閑天皇の御時今朝麿の遠孫人麿に神託ありて当社を剣岳山上に奉仕す
祭神日本武尊 須佐鳴尊 宮簀姫命
創立剣岳山上 中山の称起こる 安閑天皇時代
本社に本堂を建て不動尊像を祀る 平安末期
本社に草薙剣を奉護す 天智天皇七年二月
御社神威益々著し
六坊の社僧奉仕す 仁安三年戊子八月
薬師を馬場の南北に建立す 仁安三年
八剣神社を植木庄本社という 建武年中以前より
梅野土佐山上に城を築き本社を山の艮に移す 応仁年中
秋月城代跡部安藝守城 天文年中
本社を山上に再建す 元亀二年
本社を新北に分霊す 元亀二年
本社炎上 天正元年七月
本社を小牧八剣神社に分霊す 寛文五年
本社を山の中腹に移す 宝永二年十二月
本社を現在地に移す 明和三年九月
不動尊像を本社より北薬師に移す 明治元年
本社の拝殿新築神殿葺替 昭和三年
神楽堂新築 昭和二十七年四月

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紙に書かれた由緒。やや読みにくいので現代文で概要を書き出します。

日本武尊が熊襲を征伐されるに当たり当国を巡られた。酋長の田部今朝麿は村人と共にこれを厚く出迎えた。尊は酋長の対応を大変喜び、帰路にも再び立ち寄られて留まった。酋長は行宮を築造し守護奉ったので、尊は当地の人情を賞した。安閑天皇の御代今朝麻呂の遠孫人麿に神託があって当社を剣山上に祀った。

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草薙神剣盗難事件に関する記載もあります。

天智天皇7年11月に新羅(今の韓国)沙門道行が草薙剣を盗んで筑紫まで逃げ、雨風のため帰り得ず発見され、剣は難を免れた。その時往古の縁故から当社に仮殿を設けてしばらくの間安置し奉った。このことがあってから八剣大明神は更に栄え、国主領主は神意を畏み社殿を建立し、参拝者は日に月に多くなった。

由緒を一読しただけで、中身の濃さ、課題の多さに驚かされます。神社の紹介と由緒だけでかなり長くなったので、今回はここで打ち止めとして、次回は同社の由緒内容を詳しく探っていきます。

           尾張と遠賀川流域の謎を解く その19に続く

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