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尾張と遠賀川流域の謎を解く その26


今回は六嶽神社のありようを探りつつ、それが中山八剣神社と同じようなケースにならないかチェックしてみます。同社の祭神は宗像三女神で、この神を奉斎するのは水沼君。「日本書紀」には、宗像三女神は宇佐嶋に天下り、筑紫の水沼君等の祭(いつきまつ)る神、是なり、と書かれていました。

また、景行天皇18年7月7日条には、時に水沼県主猿大海、奏して言さく、「女神有します。名を八女津媛と日す。常に山の中に居します。とあります。水沼君は筑後国三潴郡(みずま、現在の久留米市三潴町)を本拠にしていたとされ、各記述から古い歴史を持つ実力豪族であったと理解されます。

ところがです。「先代旧事本紀」には物部阿遅古(あじこ)連は水間君らの祖なり、とありました。水沼と水間は同じです。物部阿遅古連は物部麁鹿火の弟になるので、阿遅古が水間(水沼)君の祖となると「日本書紀」の記述とは全く整合しません。この矛盾をどう考えたらいいのでしょう?

上記以外にも別の不整合があります。水沼君は久留米市三潴町を本拠とする豪族でした。彼らが奉斎する宗像三女神の最初の降臨地は、前回の由緒に、皇女3神霊山六嶽崎門峰にご降臨あり、と書かれているように六ヶ岳となっています。(注:「日本書紀」には、宗像三女神は宇佐嶋に天下り、とありますが、これは六ヶ岳から遷ったもの)水沼君の本拠地は久留米市のはずなのに、彼らが奉じる宗像三女神の最初の降臨地は久留米市から直線距離でも60km近く離れている六ヶ岳。本拠地と三女神の降臨地は距離が離れすぎています。

いかがでしょう?水沼君を少し見ただけで、二つの矛盾や不整合に直面しました。これらを整合させ再構成するのはかなり大変そうなので、取り敢えず水沼君のありようや物部氏、磐井との関係などから探っていきます。

最初に、水沼君は磐井を支える主要豪族の一つだったとの前提で検討してみます。磐井の本拠地は三井郡(現在の久留米市)であり、水沼君の本拠地も久留米市の三潴町であることから、両者の協力関係が窺えます。水沼君が磐井の協力者であれば、彼らは大和王権に敵対する立場となります。

水沼君一族が大和王権に敵対していたら、磐井の乱の後、彼らは当然厳しい立場に置かれます。例えば、自分の本拠地から離れた場所に強制移住させられることもあり得るでしょう。大坂の陣後の江戸時代初期には、徳川に味方しなかった大名が江戸から離れた地方に国替えされていました。水沼君の移住と時代は異なるものの、似通った処置と言ってよさそうです。

水沼君が移住(転封)させられたとの推定に、宗像三女神が六ヶ岳に天降りしたとの伝説を重ね合わせれば、水沼君は磐井の乱の後、六ヶ岳のある鞍手町に強制移住させられたとの筋書きが成立します。物部麁鹿火は弟に命じて久留米市三瀦(みずま)にいた水沼君一族を物部氏の監視下に置ける六ヶ岳山麓に移したのではないでしょうか?

このように考えれば、宗像三女神を奉斎する水沼君一族の本拠地は久留米市三潴町で、一方三女神の最初の降臨地が久留米市から遠く離れた六ヶ岳になる矛盾は解消されることになります。

でも、なぜ最初の降臨地が六ヶ岳になり、剣岳ではなかったのでしょう?剣岳山上には、彼らが移住する少し前の段階で尾張の日本武尊、宮簀媛命が鎮座しました。だから剣岳ではなく、六ヶ岳が三女神の最初の降臨地となったと推定されます。神の降臨とは熱田神宮や籠神社の例からもわかるように、ある特定の神を奉じる集団が別の地に移動してそこに居住したことを意味します。従って、三女神が六ヶ岳に天降ったのは紀元前700年などではなく、530年代となります。

ここまでの検討で、水沼君一族は磐井の乱後鞍手町に移住させられ、背後に聳える六ヶ岳に宗像三女神を祀ったとの暫定的な結論に至りました。この経緯を事実として認定するには、どうしたらいいでしょう?例えば、水沼君の後裔が現在も鞍手町に数多く在住していたなら、きちんと認定できることになります。

と言うことで、まず水沼姓をチェックしたところ、全国で977人。栃木県がダントツの362人で、九州は何と全体で6人しかいません。これでは全く証明になりませんね。水間姓はどうでしょう?全国で836人。北海道が最大で100人。福岡県が31人で飯塚市が最も多く13人。遠賀川流域の各地域には一人もいません。今までの経験から、特定の姓の分布は議論を正解に導く有力な手段になると理解していました。残念ながらそうした理解も今回は的外れのようです。

頭を抱えたくなりますが、ここでギブアップしては前に進まないので、水間の「間(ま)」を別の漢字に置き換えて再度トライしてみます。具体的には水麻、水磨、水摩、水馬、水真などが当てられます。全国で見てほとんどの名前はゼロか数人ですが、水摩姓だけは全国で64人いました。この姓が最後の命綱となりそうです。

次に水摩姓を県別で見ていきます。すると、福岡県が46人と集中しており、後の県はほとんどないも同然でした。これは期待できそうですが、福岡県で多くても鞍手町或いはその周辺地域に集中していなければ意味がありません。で、チェックするとどんぴしゃり、鞍手町に30人の結果となっていました。従って、現在の久留米市にいた水沼君一族は鞍手町に移住させられ、六ヶ岳に宗像三女神を祀ったと確認できることになります。

六嶽神社の由緒は簡単すぎるので念のために「福岡県神社誌」の記述を見ていきます。同社の場合コマ番号188に出てきますが、かなり長くやや読みにくいので、ポイント部分のみを以下に纏めます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040130/129

宗像三女神の最初の降臨の地で、孝霊天皇の御代に宗像三所(沖津宮、中津宮、辺津宮)に遷幸された宗像大神が顕れたものである。その後成務天皇7年、室木の里の里長の長田彦が神勅を得て、山上に神籬(ひもろぎ)を営んだのが当社の始まりである。「筑前国風土記」、「風土記附録」、「福岡県地理全誌」、「宗像宮録記」などに六ヶ岳が宗像大神の最初の降臨地とあるので、「六嶽神社縁記」はここが最初の影向(ようごう、神仏が仮の姿をとって現れること)の霊地であるのは疑いない、としている。

上記の由緒で孝霊天皇や成務天皇は伝説に過ぎません。唯一確認したかったのは、宗像三女神の最初の降臨地が六ヶ岳である点です。記事には各史料を引用する形でしつこいほど宗像三女神の最初の降臨地は六ヶ岳で疑いないと書かれていました。(注:宗像三女神と慣例的に書いていますが、水沼君時代には宗像の名は付いていなかったはずです)

宗像三女神の最初の降臨地は六ヶ岳。三女神を祀る水沼氏の後裔となる水摩姓は鞍手町に集中している。「先代旧事本紀」によれば、水間君(水沼君)の祖が物部麁鹿火の弟の物部阿遅古連となっている。大連の物部麁鹿火は磐井の乱において磐井を討伐した大和王権側の将軍クラス。これだけの条件が揃うなら、水沼君は物部麁鹿火の弟によって鞍手町に強制移住させられたと見てほぼ間違いなく、移住は大和王権による磐井の乱後の北九州統制強化策の一つであったと確認されます。

逆に、水沼君一族が磐井討伐の際物部麁鹿火に協力したので、その功績により物部氏の主要エリアに移住できたとの見方ももちろん可能です。ただ、「日本書紀」の記述と異なり物部氏の史書に書かれている点、不案内な物部氏エリアに喜んで移住するのかと言った点、常識的には自分の現支配地域の拡大を求めるはずと言った点などを踏まえると、やはり強制移住と考えた方が筋は通ります。

大和王権による北九州統制強化の一環として、磐井の乱の後、水沼君一族は物部阿遅古連に率いられ、物部氏の本拠だった現在の鞍手町に強制移住させられました。それが事実とすれば、「日本書紀」の景行天皇期に水沼県主の話が出てくる理由も明らかとなります。そう、景行天皇時代の記事は彼らが久留米市三潴町にいた頃の話だったのです。

一方、「先代旧事本紀」には「水間君の祖、物部阿遅古連」と書かれていました。これは水沼君一族を強制的に移住させたのが物部阿遅古連で、宗像三女神の最初の降臨地が六ヶ岳だった点の二つが影響を与えていると思われます。言い換えれば、物部阿遅古連が三女神を六ヶ岳に降臨させたことになり、その事実が物部氏の史書である「先代旧事本紀」に、「水間君の祖、物部阿遅古連」との内容で表現されてしまったのです。

宗像三女神はその後、宗像大社の鎮座する宗像市田島に遷座します。ところが宗像市における水摩姓は一人だけ。従って、水沼君一族は宗像市に移住していないことになります。もしかしたら、物部阿遅古連は祭神だけを宗像市田島に遷してしまい、その祭祀を宗像氏が引き継ぎ、後の宗像大社創建に至ったのかもしれません。この一つを見ても、水沼君は強制移住させられたと理解されます。

中山八剣神社の場合は、磐井の乱後、大和王権による統制強化の一環として、北九州の武人が尾張や大和の日本武尊に置き換えられ、尾張限定の宮簀媛命まで祀られることになりました。六嶽神社の場合、磐井の乱後、大和王権による統制強化の一環として実力豪族の水沼君一族が移住させられた訳で、両者は似通ったケースと言ってもいいでしょう。

以上で本記事の最初に提起した矛盾や不整合は解消され、整合性のあるものになりました。今回は水沼君が磐井に与し大和王権に敵対する立場との前提で書き進めましたが、一方向から見るだけでは片手落ちとなります。次回は逆に水沼君が大和王権側か中立的な立場であった前提で検討してみます。

           尾張と遠賀川流域の謎を解く その27に続く
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