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尾張と遠賀川流域の謎を解く その27


前回で、水沼君の移住は強制的なものであり、大和王権による磐井の乱後の北九州統制強化策の一つとの結論に至りました。今回は全く逆の見方ができないか考えてみます。逆の見方とは水沼君を大和王権側とする見方で、その場合の移住は自主的なものになります。この両方を比較検討することで、より明確な答えを導き出せるかもしれません。

問題は、水沼君が一筋縄ではいかない一族である点です。久留米観光サイトホームページによると、久留米市大善寺町にある御塚(外堤外径123m)と権現塚(外径150m)の両古墳は5世紀後半から6世紀前半の築造で、被葬者は水沼君の一族と考えられているとのこと。ホームページ詳細は以下を参照ください。
http://www.kurume-hotomeki.jp/event/?mode=detail&isSpot=1&id=402036000018

これだけの規模であれば、北九州における準大王墓クラスと言えそうな古墳となります。磐井の拠点近くに磐井に劣らない実力豪族・水沼君がいて、彼らは磐井に敵対する勢力(大和王権側)なのか、中立的な立場だったのか、或いは磐井の協力者だったのか、なかなか判断の難しい問題です。

彼らの祭神にも厄介な問題があります。古墳と同じ久留米市大善寺町に鎮座する大善寺玉垂宮は、水沼君が玉垂神を祖先神として祀ったとされています。高良玉垂宮神秘書によれば、祭神玉垂命の別名が太政大臣物部ノ保連(やすつら)とのことで、物部氏系の人物となってしまいます。

祖先神が物部氏系であれば、水沼君は磐井の時代に至るまでずっと物部氏系として存在してきたことになり、磐井の敵対勢力(大和王権側)と位置付けできそうです。そうなると、彼らの移住は戦後の荒廃した地を自主的に離れ、同じ物部氏系が濃厚に分布する鞍手郡に来たことになります。ただ既に書いたように、常識的には自分の現支配地域の拡大を求めるはずで、不案内な土地に移住するかどうか疑問は残ります。

水沼君の祖先神とされる玉垂命の実像に関しては、武内宿禰など諸説あって定まりません。玉垂命や水沼君は、九州の古代史ファンには有名ですが、その他の地域ではほとんど知られていないようです。いつか現地訪問の上、関係地を巡り調査できればと願っています。

以上あれこれ検討しても、水沼君が磐井の敵対者(大和王権側)と見定めるのは難しそうな雰囲気です。困りましたね。続いて、水沼君が中立的であったとして検討してみましょう。

水沼君の本拠地が磐井の本拠地に近い点、水沼君が磐井の時代に大きな古墳を築いた豪族である点などを踏まえると、磐井側、水沼君側の双方に一定の配慮が働いていた可能性があります。仮に両者が激突するとどちらも傷が大きくなるので、双方が相手に対して支配しようなどと言った意思がないことを示していたとも考えられます。

言い換えれば、磐井の乱の以前においては、水沼君は磐井側、大和王権側のどちらにも与せず中立的だったのです。仮に中立的だったとして、旗幟を鮮明にしない水沼君の態度が大和の物部氏からするとけしからんとなり、磐井の乱の後、鞍手町に強制移住させられたのかもしれません。

水沼君一族が大和王権側である、中立的であるのいずれのケースも、やや無理があるように思えてきました。やはり彼らは鞍手町に強制移住させられたと結論付けたくなります。ここで少し視点を変えて考えてみましょう。彼らの移住先は鞍手町なので、他にも鞍手町近辺に強制移住させられた一族があれば、抱き合わせで移住させられた可能性が浮上してきます。そうした視点に見合う適当な候補者がいないでしょうか?

あれこれ考えたところ、絶好の候補者が浮かび上がってきました。鞍手郡の地名由来となった鞍橋君(くらじのきみ)です。彼は磐井の子で、磐井の乱当時はまだ幼子であり、当然磐井の本拠地である御井郡にいたはずです。その彼がなぜ鞍手郡の地名由来になったのでしょう?

戦いに敗れた磐井の子で、幼さを理由に殺害を免れたのであれば、常識的に見ても同じ場所には居られません。当然、彼らの拠点から遠く離れた場所に強制移住させられたはずです。それが久留米市から直線距離で60km近く離れた、物部氏系の拠点となる鞍手町だったと考えられます。

水沼君と鞍橋君の移住先はいずれも鞍手郡。鞍橋君は敗者側の人物。移住後の水沼君は巨大古墳を築造していない、宗像三女神は宗像市に遷ったのに水沼君一族が移住した痕跡はないと言った現実を踏まえれば、水沼君は強制移住させられたと見てよさそうに思えます。鞍橋君に関しては他にも色々課題がありそうなので、後の回で詳しく検討する予定です。

水沼君が磐井側、大和王権側のいずれであったとしても、磐井の乱の影響により鞍手町に移住したのは間違いなさそうです。磐井の乱の影響と言う意味では、中山八剣神社とほぼ同じようなケースと見ることができます。

以上、磐井の乱と言う大きな歴史イベントを契機として、安閑天皇の御代に日本武尊と宮簀媛命が剣岳山頂に祀られたこと、宗像三女神が六ヶ岳の降臨したことは、いずれも大和王権やその主要メンバーである物部氏、尾張氏の影響によるものと確認されました。そして彼らの目的は大和王権による北九州の統制強化にあったと言い切ってもいいでしょう。

ただ、宮簀媛命に関してまだ曖昧な部分が残っています。何度も書いたように宮簀媛命は特定の個人を指す固有名詞ではなく、宮主媛命であり、氷上姉子神社辺りにいた尾張氏系の巫女を指す普通名詞です。

つまり、宮簀媛命は祀られる側ではなく、祀る側の人物となるのです。(注:宮簀媛命は氷上姉子神社の祭神となっている)さらに、「筑前國續風土記」には、剣岳の山上に剣大明神の社があるので、剣岳と号している。と書かれていました。剣大明神とは日本武尊を意味していると考えて間違いないので、この記事からは宮簀媛命の存在が全く見えてきません。

いかがでしょう?上記のように考えると中山八剣神社の祭神宮簀媛命は雲霧消散してしまうのです。けれども、祀る側が祀られる側になる例は幾つもあり、宮簀媛命にしても上記のように氷上姉子神社の祭神となっています。こうした例を中山八剣神社の祭神宮簀媛命にも当て嵌め、ストーリーを再構成してみましょう。具体的には以下の通り。

北九州の統制強化を目論む大和王権は同地にて広く崇敬されていた武人の伝承を消し去ろうとした。その目的を達成する手段として、尾張の大高にいた尾張氏系の巫女を剣岳まで派遣させ、尾張や大和の日本武尊を祀らせた。これにより、北九州の武人は尾張や大和の日本武尊によって上書きされた。彼女は剣岳にて日本武尊の分霊を祀ったが、祀った自分自身も祀られて中山八剣神社の祭神の1柱に加えられた。

このストーリーなら話の筋はある程度通ってきますね。まあ、実際にそうだったかは何とも言えず、頭の体操的なものとお考えいただいても結構です。正しいかどうかは、それこそ神のみぞ知る、なのです。ここまでをざっと纏めてみましょう。

安閑天皇以前から剣岳で崇敬されていたのは北九州の武人だった。安閑天皇の時代に大和王権の政策により大和や尾張の日本武尊(剣大明神)に上書きされ、宮簀媛命も祭神に加わった。地元民も大和王権の意向に従う形で剣岳山上の祭神を日本武尊、宮簀媛命にせざるを得なかった。

けれども、地元民は崇敬する北九州の武人を山上の豊日別神社に遷してひそかに祀ることにした。長い時代の経過で混同が起き、地元民の間でも武人は剣大明神と称されるようになってしまった。彼らは剣岳と何の関係もない宮簀媛命など無視し、北九州の武人としての剣大明神を崇敬し続けたので、「筑前國續風土記」の、剣岳山上に剣大明神の社がある、と言った記事だけが残る結果となってしまった。中山八剣神社は本来剣神社だったので、他の剣神社と同様に素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命の3神を祀り続けることになった。
とのシナリオが考えられます。このシナリオでもあまりすっきりはしませんが…。

ややこしさを極める中山八剣神社についてあれこれ見てきました。「その19」で最初に提示した以下の問題点に関してはほぼ整理ができたようです。

日本武尊と素戔嗚尊は北九州にて数多く祀られているが、尾張限定のはずの宮簀媛命がなぜこの地にて祀られているのか?
創建は安閑天皇の時代だが、そこにどんな意味があるのか?


まだ不十分な面も多々ありそうですが、尾張と遠賀川流域における地名、神社構成、祭神、伝承が共通し酷似している根底には、

1.弥生時代前期における弥生人集団の尾張(熱田台地)移住。
2.190年代頃のニギハヤヒ東遷に伴う贄田物部、嶋戸物部(プレ物部氏)の尾張への移住。
3.528年(実際には531年)に磐井の乱を平定した物部麁鹿火による北九州遠征。
4.1185年に源範頼が尾張の熱田神宮を勧請し、本城の八剣神社を創建したこと。

の四段階があったと確認されました。但し、物部麁鹿火と源範頼の間が飛び過ぎていること、上記の段階だけでは668年に発生した(とされる)草薙神剣盗難事件に関連する遠賀川流域の伝承を説明できないことから、531年と1185年の間にもう一段階の歴史イベントや何らかの出来事があったはずと推測されます。

それは後で検討するとして、遠賀川流域から尾張への流れが、6世紀になって尾張(と大和)から遠賀川流域への流れに逆転した点には注目すべきだと思われます。つまり、大和王権が支配力を増した6世紀以降の日本は大和が中心となり、人、物、情報の流れは大和と尾張から北九州へと変わってきたのです。

中山八剣神社の祭神や安閑天皇の御代に創建された理由の検討が終わり、ようやく次回で草薙神剣盗難事件を探索できる段階に到達しました。これが「その19」で提起した問題点の最後の部分となります。

           尾張と遠賀川流域の謎を解く その28に続く

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