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尾張と遠賀川流域の謎を解く その33


今回から古物神社の検討に入るので、早速由緒を見ていきましょう。詳細は以下の「福岡県神社誌」コマ番号192を参照ください。由緒内容を神社誌の記事から抜粋して以下に纏め書きします。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040130/192

祭神:天照大神、日本武尊、仲哀天皇、素戔嗚尊、神功皇后、宮簀姫神、応神天皇、布留御魂神

祭神の布留御魂神は大正10年に同村同大字々久保に鎮座する布留神社を合祀した。社説に曰く、当社は、もと剣神社(1)、八幡宮の両産土神だったが、文政11年に九州一帯の暴風で剣岳鎮座の剣神社の神殿、幣殿、拝殿がことごとく倒壊した。よってこの西山に鎮座の八幡宮相殿に合祀された。明治4年に神祇官の命により村の名前の旧号を取って、古物神社と改めた。

八幡宮の縁起に曰く、古門村は神代の昔、素戔嗚尊が高天原より出雲国に至る時の旧跡であり、十握剣、素戔嗚尊を往古から祀る神社で、剣神社(2)と号す。

剣神社(3)の縁起に曰く、天智天皇の御世に、僧道行が熱田神剣(熱田神宮の草薙神剣)を盗んで、新羅に至ろうとした時、剣がたちまちその袋を突き破って空に飛び去り、筑前の古門に墜ち、光が放たれて、数里も輝いて見え、里民が驚いて近寄ると剣だった。皆はこれを神のものだと思い、相談して小祠を構え剣を収めた。朝廷がこれを聞き草薙の剣だと判明したので、官吏を派遣して熱田に戻した。剣が墜ちた地なので降物(ふるもの)と言った。剣が自ら降りて来たという意味である。今古門と言うのは訛りである。剣は熱田神宮に戻ったが、その神霊はなお古門に留まり、妖魔を払い、災いを消すので万民が敬服した。石上布留魂大神の座所のゆえ、布留毛能(ふるもの)村と号した。

原文はほぼ漢字の羅列なので読解が難しく、いつものように解釈違いなどがあった際はご了承ください。由緒の検討を整理しやすくするため、三ヶ所の剣神社を青字としている点、順に剣神社(1)、剣神社(2)、剣神社(3)としている点にもご留意いただければと思います。

まず祭神をざっと見ていきます。「福岡県神社誌」では、天照大神、日本武尊、仲哀天皇、素戔嗚尊、神功皇后、宮簀姫神、応神天皇、布留御魂神の八神となっていました。一方、前回でアップした祭神の手書き掲示板には剣大明神と仁徳天皇の名前も見られます。地元史では「福岡県神社誌」の祭神に剱大明神、草薙剱命霊、稲種尊の三神が加わっていました。

本記事では、地元史も尊重し同社祭神を天照大神、日本武尊、仲哀天皇、素戔嗚尊、神功皇后、宮簀媛命、応神天皇、布留御魂神、剣大明神、草薙剱命霊、稲種尊の十一神として検討していきます。祀られている神様は幾つかのグループに分けられそうですが、注目すべきは他社には登場しない布留御魂神です。この神は大正10年に合祀された布留神社の祭神で、石上布留魂大神の座所のゆえ、との表現から大和の石上神宮に関係すると理解されます。その他の祭神に関しては、後の回で整理する予定です。続いて由緒内容を検討します。

古物神社の由緒は非常にややこしいため、比較的簡単な部分から取り上げていきます。まず、古物神社と中山八剣神社の流れを比較してみましょう。両社の経緯には不整合が見られます。剣岳に鎮座していた剣神社(1)は、古物神社由緒では文政11年(1828年)九州を襲った暴風で神殿が倒壊したため八幡宮に合祀されたことになっています。

ところが、中山八剣神社における由緒では、剣岳山頂の本殿は天正元年(1573年)に炎上し、天正年間に再建され、宝永2年(1705年)山腹に移され、明和3年(1766年)9月に現在地に遷座しています。中山八剣神社の由緒だと、剣岳山頂に剣神社(中山八剣神社の立場では八剣上宮)が鎮座していたのは1705年までで、その後は山腹、現在の鎮座地へと遷座したことになります。一方、古物神社の由緒では1828年まで山頂に存在していました。近世の話なのに両社の由緒の間には大きな食い違いが見られます。

こうした話の場合は、各社それぞれが自社にとって都合よく書くため、整合性のある説明は難しいようです。中山八剣神社の場合は剣岳の中腹に移された剣神社本殿から1766年に現在地に分祀されたもので、その中腹に鎮座していた神殿、幣殿、拝殿が1828年に悉く倒壊したので、今度は古物神社(の西山八幡宮)に合祀したとでもするしかなさそうです。

続いて古物神社の社名を見ていきます。同社の鎮座地は鞍手郡鞍手町古門1237で、古門(ふるもん)の地名と社名は明らかに関連しています。「剣神社(3)の縁起」などによれば、この地に神剣(草薙神剣)が墜ちてきたので降物(ふるもの)と言い、それが訛って古門の地名になり、明治4年に村の旧号を取って古物神社になったとのこと。

つまり、古門の地名は草薙神剣盗難事件に由来し、社名もまた同様に盗難事件にちなんでいたのです。同社の草薙神剣関連伝承が他社より濃密であるのは、この一点を見ただけでも明らかです。(注:草薙神剣盗難事件に由来して地名ができた例は大阪にもあるので、後の回で見ていきます)

ところがです。由緒にはこれとは別に、石上布留魂大神の座所のゆえ、布留毛能(ふるもの)村と号した、とも書かれていました。面白いことに、古物神社の社名には、この地に神剣(草薙神剣)が墜ちてきたので降物(ふるもの)と言い、それが訛って古門となり、明治4年に古門村の旧号を取って古物神社に改称したものと、石上神宮の座所だから、布留毛能(ふるもの)村と号し、その旧号を取って古物神社に改称したもの、の二通りがあることになってしまいます。この二通りは、明治4年云々を除きいずれも「剣神社(3)の縁起」の中に書かれており、神剣が古門に墜ちた話と、石上神宮、布留神社はリンクしていると確認されます。

由緒にある「剣神社(3)の縁起」は草薙神剣に関係するので、常識的には神剣の伝承がある剣岳鎮座の剣神社(1)と同じにも見えますが、剣神社(3)の神剣伝承は剣岳山頂に草薙神剣を安置していたとする中山八剣神社の由緒とは大きく異なります。中山八剣神社の場合、沙門道行が草薙剣を盗んで筑紫まで逃げ、雨風のため帰り得ず発見され、剣は難を免れた。その時往古の縁故から当社に仮殿を設けてしばらくの間安置し奉った。と言った内容になっていました。これでは簡単すぎて検討の余地がありません。

一方「剣神社(3)の縁起」の場合、僧道行が熱田神剣を盗んで、新羅に至ろうとした時、剣がたちまちその袋を突き破って空に飛び去り、筑前の古門に墜ち、に始まり、細かな描写が続いているのでその違いは明らかです。由緒内容が大きく異なる以上、「剣神社(3)の縁起」の剣神社は剣岳山頂の剣神社(1)とは別物になるはずです。

「剣神社(3)の縁起」の最後の部分は、石上布留魂大神の座所のゆえ、布留毛能(ふるもの)村と号した。となっています。石上布留魂大神は石上神宮を意味し、それは当然のことながら古物神社に合祀された布留神社に関係してきます。そして、「剣神社(3)の縁起」の全体は草薙神剣に関係するものでした。

以上から、剣神社(3)は布留神社を介し、石上神宮とリンクすることで草薙神剣の伝承を持てた神社だと理解されます。ここからも、社名を同じくする剣神社(1)と剣神社(3)は別物と確認されますね。でも、なぜ剣神社(3)は石上神宮とリンクすることで草薙神剣の伝承を持てたのでしょう?理由は明快、石上神宮にも草薙神剣の伝承があったからです。

以前に石上神宮を訪問した際、同社にも草薙神剣に関連した伝承がある点を「大和王権と邪馬台国の謎を解く その37」、「その38」にてご紹介しています。古物神社(に合祀された布留神社)が石上神宮と関係し、石上神宮の摂社となる出雲建雄神社に草薙神剣の伝承があるなら、それが古物神社に伝わったとしても不思議ではありません。

以上を総合すれば、古物神社における神剣盗難事件関連伝承は石上神宮から布留神社を経由して取り入れられたことになりそうです。では、布留神社と剣神社(3)の関係はどうなるのでしょう?

ここで古物神社一帯のグーグル地図画像を参照します。


グーグル地図画像。

地図画像には何の表記もありませんが、池の北側辺りにかつての布留神社(下宮)が鎮座しており、その少し西側が(中宮)で多分それが剣神社(3)に当たり、さらに西側に龍神社(上宮)が鎮座していたようです。この配置はネット上にある1930年頃の古物神社一帯の地図を参照したものです。詳細は以下のブログをご覧ください。
https://blogs.yahoo.co.jp/yamato2863/33547092.html

ブログの地図上では龍神社が(上宮)で、(中宮)に社名が書かれておらず、布留神社の後に(下宮)とあり、その上が浮いたような形で剣神社となっています。このため、剣神社(3)が(中宮)に当たると推定しました。

推定通りであるにせよないせよ、上宮(龍神社)、中宮(剣神社(3)と推定)、下宮(布留神社)の3社は明確に関連付けられています。そして布留神社は大和の石上神宮を勧請したものでした。(注:いつの時代に勧請したのかは後の回で検討します)

布留神社の神社配置(龍神社、剣神社、布留神社)は、大和において日の谷に鎮座する奥宮の龍王社、石上神宮境内摂社の出雲建雄神社(若宮で草薙神剣伝承がある)、本宮となる石上神宮と全く同じです。従って、剣神社(3)は草薙神剣の伝承を持つ出雲建雄神社に相当することになります。これで剣神社(3)と布留神社の関係は明確となり、剣岳山頂の剣神社(1)とは社名が同じであっても別の神社だと再確認できたことになります。

では、剣神社(2)はどう位置付けられるのでしょう?剣神社(2)に関しては、八幡宮の縁起に曰く、…中略…十握剣、素戔嗚尊を往古から祀る神社で、剣神社(2)と号す。と書かれていました。縁起によれば、古門村には八幡宮以前に剣神社と号され十握剣、素戔嗚尊を祀っていた剣神社があったことになります。

となると、この剣神社(2)は1828年に合祀された剣岳鎮座の剣神社(1)とは別物になりますし、草薙神剣の伝承がある剣神社(3)とも無関係になるので、第三の剣神社となります。

本当に驚かされますが、古物神社には社名のみが同じで、実際には別々の剣神社が三社あったことになります。その中で、草薙神剣に関係するのは剣岳に鎮座していた剣神社(1)と石上神宮に関連する剣神社(3)です。中山八剣神社における草薙神剣伝承の検討では遠賀川流域にこの伝承がある理由を明確にできないのは既に検討した通りです。

従って、今後の検討課題は布留神社を介して石上神宮にリンクし、草薙の剣の霊威を祀った出雲建雄神社に相当する剣神社(3)となります。地元史が草薙剱命霊を古物神社の祭神に加えているのは、この事実の反映だとも思われます。以上から、古物神社の草薙神剣盗難事件に関する伝承は尾張のみならず、石上神宮の強い影響を受けていることになりそうです。もちろん、これだけではなお具体性に欠けるので、今後さらなる検証が必要でしょう。

今回は古物神社の草薙神剣盗難事件に関連する伝承を大雑把に見てきました。ある程度の方向性は見えてきましたので、次回からはより詳しい検討に入ります。

             尾張と遠賀川流域の謎を解く その34に続く
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