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尾張と遠賀川流域の謎を解く その35


前回までの検討により、古物神社における草薙神剣伝承は出雲建雄神社の影響を受けているとの見方が浮上してきました。となると、出雲建雄神社を詳しく見ていく必要があります。 幾つかの史料を探したところ、江戸時代に編纂された「大和志料」の中巻には、「飛鳥浄御原御宇天皇神主布留邑智夢布留川上立騰八重雲其雲中有神剣放光華照六合之内剣頭八龍并座明日到彼地見之有雲石八個于時神託人曰吾尾張氏女所祭之神而今天降於是保皇孫守諸民於是神宮前岡上立社祭之曰出雲武尾神亦曰天村雲神」との記述がありました。

大雑把な内容は、天武天皇の御代、布留邑智(ふるのおち)は夢で、布留川の上に八重雲が湧き立ち、その中に神剣が光り輝いているのを見た。翌日その地に至ると、八つの霊石があり、「吾は尾張氏の巫女が祀る神である。今天降って皇孫を保ち、諸民を守ろう」と告げたので、石上神宮の前の岡に社殿を建てて祀ったのが出雲武尾神でまた天村雲神とも言う。といったところです。(注:出雲建雄神社は出雲武雄神社の表記可能です)大和志料はデジタル化されており、以下のコマ番号127を参照ください。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1143230

赤字で書いた布留邑智や布留川など、古物神社に合祀された布留神社と同じ名前が幾つか出てくる点は注目に値します。次の赤字は尾張氏の巫女が祀る神ですが、尾張氏の巫女は宮簀媛命を、神は草薙神剣を意味しています。宮簀媛命は宮主媛命で固有名詞ではなく、巫女を意味する普通名詞と過去に何度も書いていますが、この由緒はそれを裏書きするものになりそうです。

書かれた内容が天武天皇の時代の話であること、宮簀媛命が祀るのは草薙神剣である点を踏まえると、出雲建雄神社には草薙神剣の伝承が存在すると見て間違いありません。ただ、由緒を読む限りでは神剣の現物があったようには思われず、その理由を考える必要もありそうです。以前にもアップしていますが、出雲建雄神社の解説板には以下のような由緒が書かれています。

出雲建雄神は草薙の神剣の御霊に坐し、今を去ること1300余年前天武天皇朱鳥元年、布留川上の日の谷に瑞雲立ち上る中、神剣光を放ちて現れ、「今この地に天降り諸の氏人を守らん」と宣り給い、即に鎮座し給う。

出雲建雄神は草薙神剣の御霊であり、今から1300余年前の天武天皇朱鳥元年(686年)、布留川上流の日の谷に瑞雲が立ち昇る中、神剣が光を放って現れ、「今この地に天降って、諸々の氏人を守ろう」とおっしゃられ、直ちに鎮座された。

この内容には二つの重要な点があります。まず同社の祭神・出雲建雄神とは草薙神剣の御霊であり、神剣の現物ではない点です。もう一つは天武天皇朱鳥元年(686年)で、これは神剣が熱田神宮に返還された年に当たる点です。この二つを総合すれば、宮中預かりと推定していた草薙神剣は、実際には朝廷の武器庫である石上神宮にて保管・祭祀されており、686年になって朝廷の指示により熱田神宮に返還されたことになります。

返還により神剣の現物がなくなって困惑したのが石上神宮です。彼らはやむなく草薙神剣の御霊を神として祀るための縁起をこしらえ、出雲建雄神社の創建に至ったものと推定されます。(注:出雲建雄神社の由緒に草薙神剣の現物があったと書かれていない理由は、後の回で検討します)

古物神社の祭神に関して、地元史では草薙剱命霊を加えており、その意味では出雲建雄神社と全く同様になります。古物神社が石上神宮摂社である出雲建雄神社の伝承内容を取り入れた可能性がここからも見えてきますね。

ここで視点を少し変え、草薙神剣盗難事件の根本の部分を見ていきます。根本の部分とは、盗難事件のそもそもの始まりを意味します。そうした部分をきちんと見ておくことが、謎の解明の一助になるのではないでしょうか?と言うことで、尾張における事の始まりをざっと書いていきます。(注:盗難事件は捏造と理解されますが、それは一旦横に置いて検討を進めます)

「日本書紀」によると、事件は天智天皇7年(668年)11月に発生しました。新羅僧の道行によって熱田神宮から盗み出された(とされる)草薙神剣は、新羅に持ち去られる前に取り戻され、なぜか熱田神宮にすぐ戻されるのではなく、石上神宮に保管される形で朝廷の管理下となります。もちろん草薙神剣は天皇家の三種の神器の一つとされるのですから、朝廷のものとなっても何ら不思議ではありませんが…。

そして686年に天武天皇が病に伏せり、これは草薙神剣の祟りによるものだとの占いが出て、同年の6月10日、急遽熱田神宮に送り置かれました。708年には元明天皇の勅命により7振りの宝剣が造られ、八剣宮に収められて事件は全て終息します。7振りの宝剣が造られたのは、再び盗賊が入っても同じような剣が何本もあれば、どれが本物かわからず難を逃れられるためともされています。全部持ち去られたら折角の対策も無意味になるのではと心配になりますが、そうした事件は起きなかったので一応良しとしておきましょう。

今回は出雲建雄神社の草薙神剣伝承と、尾張おける盗難事件発生から終息するまでの経緯を見てきました。ただ、史料などから導き出した布留神社や剣神社(3)と石上神宮や出雲建雄神社の関係だけでは、遠賀川流域に神剣伝承が存在する理由として十分ではありません。その背後にどんな歴史イベントがあったのかも確認する必要があるのです。

例えば、本城八剣神社の背後には源平合戦と言う歴史イベントがあり、それに関連して源範頼が1185年に熱田大神を勧請しています。布留神社や剣神社(3)の神剣伝承にも似たような歴史イベントがあったはずで、今後それらを調査・研究することが不可欠となってくるでしょう。

いずれにしても、草薙神剣盗難事件の伝承が北九州へと波及する流れを確認するため、そろそろ次のステップに移る必要がありそうです。

           尾張と遠賀川流域の謎を解く その36に続く
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