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尾張と遠賀川流域の謎を解く その40


前回までの検討で草薙神剣盗難事件は朝廷と尾張氏による捏造事件と確認されました。一方、その情報がいつ北九州に伝達されたのかが非常にややこしくなってきたようです。盗難事件自体は捏造であると纏めた上で、実際にそれが北九州に伝わった時期を再検討してみましょう。まず年代の上限と下限を考えてみます。上限は簡単で、盗難事件が発生したのは668年とされていることから、それ以降になるのは間違いありません。

問題は下限ですが、「尾張国熱田太神宮縁記」の成立年代を鎌倉初期、早くても平安末期と設定すれば、1185年に源範頼が熱田神宮より剣大神を勧請して奉祀したとされる本城の八剣神社と時代的にほぼ重なってきます。従って、上限を668年、下限を1185年と設定し、その範囲内で可能性のありそうな時代を拾い上げていくことになります。

例えば古物神社(に合祀された布留神社と剣神社(3))の場合、石上神宮摂社となる出雲建雄神社との関係が想定され、神剣が熱田神宮に返還された686年以降の可能性も浮上してきます。熱田神宮別宮の八剣宮創建に影響された場合は708年以降。「朱鳥官符」を取り込んだ場合は700年代の終わり頃、「尾張国熱田太神宮縁記」を取り込んだ場合は1185年前後となるでしょう。

岡垣町の高倉神社の場合、明らかに「源平盛衰記」から取り込んでいる部分もあります。1161年から1183年の間を描いた「源平盛衰記」の成立時期は不明ですが、1250年頃とも言われています。但し、史料に書かれた内容は実際にはそれ以前に伝承されたものである可能性も否定できないし、史料の成立がそのまま同時期の北九州への情報伝達に繋がる可能性もそれほど大きくはありません。史料の年代だけで草薙神剣盗難事件が北九州にいつ伝えられたのか決定などできないのです。

ではどうすればいいのでしょう?今まで尾張と遠賀川流域の共通性・相似性を調査してきましたが、必ず各年代においてその根拠となる歴史イベントがありました。神剣盗難事件の場合も同様に考えれば、事件の情報が遠く離れた北九州にまで伝えられる元となった歴史イベントがあったはずです。今後はそうした視点を中心に据えて、じっくり検討したいと思います。

他に注意すべき点もあります。例えば、複数の年代に亘って重層的に情報伝達が行われた結果、北九州に草薙神剣盗難事件に関連する伝承が成立したケースです。ほとんど頭の体操レベルの話になってしまいそうですが、これも順を追って検討する必要があるでしょう。

尾張における盗難事件の時系列は668年の事件発生と剣の奪還、686年の熱田神宮への神剣返還、事件が最終的に終息した708年の八剣宮創建となります。時系列中八剣宮創建に至る経緯がほとんど手付かずだったので、歴史イベントを調べる前にこの部分から見ていきます。

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八剣宮の境内と拝殿。

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各社殿。

熱田神宮のホームページには以下の簡単な由緒が載せられていました。

元明天皇の和銅元年(708)、宝剣を新たに鋳造し創祀されました。一の鳥居(南門)の西側に鎮座し、本宮と同じ祭神をお祀りします。社殿も本宮と同じ造りで年中祭儀も同様に行われます。

祭神は熱田神宮と全く同じで、主祭神が熱田大神、相殿神が天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命となりますが、由緒内容が少なすぎてどうにもなりません。他の史料をチェックしたところ、「尾張志3 熱田」コマ番号15では以下の内容になっていました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764864

大宮の南に坐す延喜神名式に愛智ノ郡八劒ノ神本國帳貞治元亀二本ともに正一位八剣名神とあるこれ也元明天皇の御代和銅元年九月九日勅命によりてあらたに寶劒を齋蔵奉りて多治比眞人池守安部ノ朝臣宿奈麻呂等勅使として参向てことさらにかく八劒神とたたへて祭り給へりといへり…以下略

記事の趣旨は、熱田神宮本宮の南に鎮座する八剱の神は元明天皇の御代の和銅元年(708年)9月9日、勅命によって新たに宝剣を祀り奉り、多治比眞人池守と安部ノ朝臣宿奈麻呂等を勅使として参向させ、八剱神と称え祀られたものである、と言ったところです。重要なのは八剣宮の創建に天皇の勅命があり、勅使となった多治比眞人池守の最終官位は従二位大納言で、安部ノ朝臣宿奈麻呂は大納言正三位と、いずれも極めて地位の高い人物であることです。天皇をも含む当時の政権トップが八剣宮の創建に関与したのですから、これは並大抵のことではありません。

ところで、元明天皇の勅命により和銅元年に造った宝剣は7振りであり、そうであるなら宝剣を納める社の名前は七剣宮になるはずなのに、なぜ八剣宮なのでしょう?八百万の神とか、八幡とか、八岐大蛇とか、古代の神道には八に関係する重要な言葉が多いせいでしょうか?多分そうでしょうし、高倉神社の所伝にも同様の趣旨が書かれていました。これで納得したいところですが、草薙神剣が八剣宮にて他の七振りの宝剣と共に奉斎されていない点を踏まえると、やはり疑問符が頭の中に浮かんできてしまいます。困りましたね。

実は正応4年(1291年)に熱田神宮は火事で被災しており、その際に草薙神剣を八剣宮に遷しています。これは第89代後深草天皇の皇妃である二条が著した「とはずがたり」に記されており、彼女は34歳の時熱田神宮に参詣しています。

「とはずがたり」はデジタル化されており、以下を参照ください。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/atsutajinguuengi/gen01.htm

「とはずがたり」によれば、火事の際赤地の錦の袋に入っている御剣を、八剣宮の御社を開いて納め奉ったとのこと。この話には後日譚があります。「熱田太神宮御託宣記」に火事が起きた同年、深草天皇の皇女が亡くなって、体温が下がらないのでそのままにしていたところ、驚いたことに死人が託宣を発するのです。託宣の内容は以下のようなものです。

「自分は熱田大神だがかつて日本武尊に化現した素戔嗚尊である。社殿が荒れ果てても朝廷が顧みないのが不満で自ら火を放った。」熱田大神は草薙神剣のはずが、日本武尊であり素戔嗚尊であり、現在では天照大神であるとは、一体どうなっているのと言いたくもなります。しかし、尾張、美濃だけでなく全国各地に鎮座する八剣神社の祭神は、例外はあるものの日本武尊、草薙神剣の御霊、素戔嗚尊などのはずですから、後日譚に日本武尊と素戔嗚尊の両神が登場しても筋が通らない訳ではありません。

以上、盗難事件の北九州への情報伝達時期や八剣宮に関しては、すっきりした内容にはならなかったようで、今後さらなる検討が必要です。ただ、八剣宮の創建に天皇家や当時の政権トップが関与していたと確認できたのは収穫です。次回も八剣宮に関連した事柄を追求します。

          尾張と遠賀川流域の謎を解く その41に続く
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