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尾張と遠賀川流域の謎を解く その48


今回は新延の剣神社を見ていきます。同社の神域内には古墳もあり日本武尊の面白そうな伝承も残っているので期待されます。鎮座地は鞍手郡鞍手町新延1998。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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鳥居と境内です。

同社を管理されているのは熱田神社の金川宮司家となります。理由は多分、鎮座地が新延であり、宮司家の先祖が新延も賜った鞍橋君だったからなのでしょう。

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拝殿。

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本殿。

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石祠と中の石。

祠の内部が見える状態になっているのは、尾張ではほとんどないのでちょっと違和感があります。

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鎧塚古墳。

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鎧塚碑。

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別の面に由来も書かれていますが読めない。

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古墳の上の祠。

同社の由緒に関しては「福岡県神社誌」のコマ番号193を参照します。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040130/193

祭神は、素盞嗚命、宮簀姫命、日本武命、應神天皇、高龗神、闇龗神、宗像三女神となっています。素戔嗚尊、宮簀媛命、日本武尊の3神が祀られており社名も剣神社になっています。由緒は必要部分を以下に抜粋します。

社説に曰く、第十二代景行天皇二十七年冬、皇子日本武尊熊襲及西國の賊を征伐せんが爲め御通行の時當所に行在所を經營し軍事を謀らせ給ふ。後ち尊御歸途の際此の社に立ち寄られ、奉賽の御祭盛んに行はせ給ひて、太刀及甲冑を留め起きて歸らせ給ふ。故に社殿の傍らに埋め奉り永く神璽と崇信す俗に之を鎧塚と今に言傳ふ。されば村民相集まり齋鍬を以て土地を平げ木工齋斧を以て小祠を建て之を崇敬す。世々武人の尊信淺さからず日に月に盛となれり。

由緒によれば、日本武尊が熊襲を征伐するためここを通った際に行在所を建て、帰途にも社に立ち寄り太刀と甲冑を留め置いて帰った。このために社殿の傍らに埋めて神璽とし崇信したのを鎧塚と言い伝えるとあります。鎧塚古墳群に関しては以下の鞍手町歴史民俗博物館ホームページを参照ください。
http://kurate-museum.com/index.php?%E9%8E%A7%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

由緒では日本武尊の太刀や甲冑を留め置き、それを埋めたので鎧塚と称することになった訳ですが、この内容だと日本武尊が太刀や甲冑を留め置いたのと、それらを埋めて神璽としたのはほぼ同じタイミングとなります。既に書いたように、古墳の築造年代は5世紀頃とされているので、北九州の武人のいた時代も同じ5世紀頃となります。

古墳の築造場所に神社を建てるのはよくあることで、実際には古墳が築造されその場所に日本武尊が太刀や甲冑を留め置いたと言う時系列になりそうです。日本武尊(北九州の武人)の時代はもっと古いはずとの批判も出そうですが、大和や尾張の日本武尊にしても、宮内庁が治定した3ヶ所の古墳でさえ4世紀末や5世紀後半の築造とされているので、その意味では大きな違いはありません。

           尾張と遠賀川流域の謎を解く その49に続く
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