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高槻市探訪 その7


歴史館をさらに続けます。

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年表です。画像サイズを大きくしています。

年表によれば、太田茶臼山古墳の築造は450年頃で、今城塚古墳の築造開始は520年となっています。続いて今城塚古墳の石棺の原材料を見ていきます。

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阿蘇ピンク石です。阿蘇(熊本県宇土産)からはるばる運ばれてきたとは驚きです。

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竜山石。これは兵庫県高砂市産。

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二上山白石。大阪から奈良にまたがる二上山からの石。

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阿蘇ピンク石を用いた石棺のレプリカ。

古代船を模した船で運び造られたそうです。床から浮いているようにも見えるのですが、目の錯覚でしょうね。

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産地と輸送経路を示す地図。

非常に不可解なのは、この阿蘇ピンク石を石棺に使用した例が、大和、近江、河内など十数件も見られるのに、肝心の北九州には今のところ見られない点です。となると、この場所は大和王権の直轄地だったのでしょうか?他の理由もあるかもしれませんが、その辺りは専門家の研究にお任せしたいと思います。

さて今城塚古墳には数多くの相似墳が見られます。それらの中の一つに磐井の墓とされる岩戸山古墳があります。磐井は大和王権と対立し磐井の乱(527年から528年頃に起きたとされる)で殺された人物として有名ですが、ではなぜ対立関係にある両者の古墳が相似墳となっているのでしょう?

そもそも磐井の乱の評価・見方は諸説あって未だに定まらず、この問題は以前にも少し触れていますが、そう簡単ではないと思われます。従って今回は、どちらの古墳の設計図(マスタープラン)が他方に配布されたのかと言う問題のみを取り上げて検討してみます。最も理解しやすいのは古墳の規模による比較でしょう。大きな古墳(地位の高い人物の墳墓)のマスタープランが小さな古墳(地位の低い人物の墳墓)築造のために配布されたと考えるのです。

今城塚古墳(摂津)の相似墳には、断夫山古墳(尾張)、七輿山古墳(上野毛)、岩戸山古墳(築後)、五ヶ庄二子塚古墳(山城)、西山塚古墳(大和)、味美二子山古墳(尾張)、林之腰古墳(近江)などがあって、墳丘長が190mの今城塚古墳を10とした場合、それぞれ8、8、7、6、6、5、5と見事な序列関係になっています。

しかも各古墳の被葬者は継体天皇の后や支持勢力の可能性が高いとされています。例えば断夫山古墳の被葬者は継体天皇の支援勢力である尾張氏系の尾張草香とされ、味美二子山古墳の被葬者は継体天皇の即位以前に妃となった目子媛(尾張草香の娘)、西山塚古墳は天皇即位後の后・手白香皇女、林之腰古墳は継体天皇から任那への赴任を命じられた毛野臣とされています。

配布の序列関係からすれば、岩戸山古墳のマスタープランは今城塚古墳から配布され、磐井も当初は継体天皇の支持勢力だった可能性が出てきます。今城塚古墳の築造開始は520年頃と想定されていますので、その時点では両者の関係は良好で、527年頃に至って悪化したのでしょうか?この辺の事情は何とも言えませんが…。

ここまで今城塚古墳を中心に検討してきましたが、それだけでは片手落ちなので、岩戸山古墳のマスタープランが近畿やその他に配布されたとする見方ができないか考えてみます。その場合、少なくとも磐井の后、臣下、支援豪族などの古墳に相似墳が存在していなければなりません。

調べたところ、福岡県八女郡広川町に所在する善蔵塚古墳(長さ約95mの前方後円墳で磐井の子である葛子の墓ともされる)があり、岩戸山古墳を10とするとほぼ7となって序列関係が見られます。今城塚古墳との比率ではどんぴしゃりの5となります。他には熊本県八代郡の中の城古墳、佐賀県の剣塚古墳などが出てきました。ただ善蔵塚古墳の場合、葛子の墓だとすれば、それは継承であり岩戸山古墳からの配布には当たらないので除外すべきでしょう。単純に配布数から見れば、マスタープランは今城塚古墳から岩戸山古墳に配布されたとする方が合理的なようです。またこれら3件の古墳のマスタープランは今城塚古墳から配布されたと見ることも可能です。

もちろん古墳の規模は一つの物差しに過ぎませんし、例えば岩戸山古墳が今城塚古墳より前に築造されていたら、この物差しは揺らぎます。そこで次の物差しを当ててみます。それが古墳編年です。これも絶対的なものではありませんが、一定の物差しにはなり得ます。古墳編年で見ると岩戸山古墳は9期で、それ以外はほとんどが8期で、8期から9期が一件ありました。編年から見ても今城塚古墳から岩戸山古墳への配布の可能性が高そうです。

相似墳の場合の配布に関して書いてみましたが、これは狭い切り口に過ぎません。磐井の乱は朝鮮半島の動きも絡めて検討する必要があるはずです。時間があれば一度磐井の乱をテーマにじっくり考えてみたいところです。

この地方には、3世紀後半に築造された安満山古墳から藤原鎌足の墓とされる阿武山古墳まで、各時代の古墳が見られるので興味のある方はご訪問ください。高槻市探訪は以上で終了とします。
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