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浜松探訪 その3

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11 /09 2018

今回は浜松市東区神立町471番地に鎮座する蒲神明宮を見ていきます。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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鳥居です。浜松八幡宮と同様に長い境内のようです。

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境内。

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解説板です。読みにくいので以下に書き出します。

創建は大同元年(806年)、伊勢皇大神宮の勧請であると言われる。平安時代初期のことである。三代実録の貞観16年5月11日の条に「遠江国蒲大神に従五位下を授く」とあり、これによって国史現存と言う。蒲氏の祖越後守藤原静並公霊験により蒲二十四郷を開発、これを皇大神宮に寄進神宮御厨となる。鎌倉幕府以来の古文書を保存しなかでも蒲冠者範頼の妻吉祥子を地頭代職に任命した北条時房下文は有名である。
御朱印の石高 二百六十石
明治6年郷社
大正10年県社

主祭神は当然のことながら、天照皇大御神となっています。ちなみに浜松市のホームページでは以下となっています。

藤原鎌足十世(ふじわらのかまたりじっせい)の孫、越後守静並(えちごのかみしずなみ)が伊勢神宮の神託を受け、この蒲の地を開拓し、美田(みた)550町歩(ちょうぶ)を神宮に寄進し蒲御厨(かばみくりや)となし、神明宮を創設したと伝えられている。以来、静並の子孫が神官と御厨(みくりや)の支配者を兼任し、蒲氏(かばし)を名乗った。
明治6年、蒲神明宮と改称され今日に至っている。

蒲神明宮の鎮座地は伊勢神宮の神領で蒲御厨と称されました。解説板にも書かれていますが、この地で生まれたのが源範頼で、酔石亭主のブログにおいては結構重要人物となります。彼は源平合戦の際に九州まで行き、本城に八剣神社を創建。それが遠賀川流域の各地に分祀され、十数社の八剣神社が鎮座することになり、尾張と遠賀川流域の関係の掉尾を飾っています。

源範頼に関しては以下Wikipediaより引用します。

源範頼(みなもとののりより)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。河内源氏の流れを汲む源義朝の六男。源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄。
遠江国蒲御厨(現静岡県浜松市)で生まれ育ったため蒲冠者(かばかじゃ)、蒲殿(かばどの)とも呼ばれる。その後、藤原範季に養育され、その一字を取り「範頼」と名乗る。


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ご神木のクスノキ。浜松八幡宮とは比較になりません。

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すっきりした形の拝殿。

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豊受大神を祀る外宮もありました。

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社殿は木々で隠されています。

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蒲桜伝説の解説板がありました。

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まだ若木の状態です。
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酔石亭主

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