FC2ブログ

浜松の秦氏 その3


秦氏の一行は当時大河であった馬込川を遡ります。でも、なぜ遡ったと考えられるのでしょう?かつて大河である馬込川を遡った一帯は麁玉郡覇多郷(あらたまぐんはたごう)で、後に長上郡覇多郷となり、現在の浜松市東区半田町、浜北区内野一帯が相当するとされています。覇多も半田も秦氏地名であり、半田町の半田山は馬込川に沿っていることから、秦氏は船で川を遡ったと理解されるのです。

なお、酔石亭主は機織の職能集団である服部氏も秦氏に同行していたと考えています。服部氏は秦氏の支流との見方もあり、部分的に重なっていた可能性もありそうで微妙ですが、ここでは服部氏を(暫定的に)秦氏と関係の深い渡来の機織技術者集団としておきます。

次に浜松における秦姓を見ていきます。苗字ランキングでチェックすると静岡県内における秦姓は54件と全体数自体が少なく、浜松市全体で10件となり、馬込川流域に集中している様子も見られません。浜松市市内では東区に8件と多く、中でも中野町に4件と集中しており、前回で書いた明善旧宅のすぐ近くにも存在しています。但し、同一人物で二つの電話番号を持っておられる方がいるようで、実際には3件となりそうです。中野町に多いのには何か意味があると思われ、追々検討していきます。また秦氏地名となる浜松市東区半田町には秦姓は存在せず、目秦姓が一件見られます。

秦氏と関連しそうなもう一つの地名に長下郡幡多郷があって、後に長上郡幡多郷となり、現在の浜松市南区富屋町(富屋敷)が該当するとのことです。ただ、小字半田の地名はあったようですが、他に秦氏の痕跡は見られません。

ここで半田の地名が秦氏に関係する点を他の例から見ていきます。例えば、半田山は岡山市北区津島にもあり、備前の地誌である「和気絹」に「秦氏の人が山中に松を数十本植えたので秦山という」と言った趣旨で書かれていました。ここからも、半田山=秦山と理解されます。「和気絹」はデジタル化されていますので、以下の中巻、コマ番号32の最後を参照ください。
http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/waso/0002118750/pageframe.htm

他の例として、秦氏の存在は確認できないものの、愛知県の瀬戸市下半田川町に秦川城があります。

龍禅寺町付近から馬込川を遡ると半田山に至りますが、この山の旧名は舟岡山で京都の船岡山の地名を秦氏が持ち運んだと思われ、船岡山(京都)の麓には秦氏系の命婦稲荷社、義照稲荷神社などがあります。鎮座場所が不明確で論社の多い朝日波多加神社は秦氏の神社と推定されていますが、同社に関して、波多加は秦家の転化だと考えてほぼ間違いなさそうです。なぜなら、秦姓の集中する東京の久我山には「はだか稲荷」があり本来の名前は秦家稲荷とされ、これと同一パターンだと思われるからです。

以上のように半田町周辺には秦氏の痕跡となる地名が幾つも残っていました。続いて朝日波多加神社の論社を検討していきます。論社の候補は数多くあり、浜松市東区半田山の六所神社、浜松市東区神立町の蒲神明宮、浜松市南区飯田町の稲荷神社、浜松市浜北区内野の神明宮、浜松市東区有玉南町の有玉神社の五社が挙げられます。結構な数ですが、蒲神明宮に関しては「浜松探訪 その3」で書いており、同社の鎮座地は源範頼が関係する蒲御厨内にあって、秦氏とは関係なさそうに思えます。

では、位置関係から判断して可能性が高そうな半田山に鎮座する六所神社を見ていきましょう。


六所神社鎮座地を示すグーグル地図画像。住所は浜松市東区半田山1-21-1

DSCN0481_convert_20181126145018.jpg
半田山。

六所神社の祭神は数多く、表筒男尊、中筒男尊、底筒男尊、表津少童尊、中津少童尊、底津少童尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照皇大神、月夜見尊、素盞嗚尊、蛭子尊で海神系が主体のようです。

DSCN0475_convert_20181126144259.jpg
神社へと至る石段。

DSCN0476_convert_20181126144407.jpg
六所神社の社号標。

DSCN0477_convert_20181126144504.jpg
急な石段の先に鳥居と社殿が見えています。

DSCN0478_convert_20181126144617.jpg
朝日宮の扁額。

DSCN0479_convert_20181126144739.jpg
拝殿。

DSCN0480_convert_20181126144854.jpg
本殿。

半田山一帯には古墳時代後期の古墳が80基以上も存在しており、半田山古墳群と呼ばれています。詳細は以下の浜松市生涯学習課ホームページを参照ください。古墳時代後期で600年代後半から700年代のものだとしたら、被葬者は秦氏の可能性も出てきますが確定させることはできません。
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/bunkazai/info/documents/0908info16.pdf

六所神社が秦氏系の神社かどうかは、鎮座地が秦氏地名となる半田山であることから、朝日波多加神社の論社となる可能性はあると思われます。一方で海人の神が多く祀られていることから、秦氏系ではないとも言えるので、結論を出すのは難しそうです。

他の論社となる南区飯田町の稲荷神社(延暦20年で801年創建の説あり)は、近くの南区富屋町が長上郡幡多郷だった関係でしょうか?また飯田町は1171年から松尾大社の社領になった地域(池田庄)に含まれるはずで、そうしたことが影響を及ぼしているのかもしれません。同社の由緒内容は以下。

当神社ハ延喜式内長上郡五座ノ一ニシテ子倉ノ神社ト称ス創立年度詳カナラズ雖モ本村子倉ト称フル字アリ文化11甲戌年9月再建ノ棟札アリ往古ヨリ本村崇敬ノ産土神ニシテ神徳広大霊験殊ニ著シク信仰深大ナリ文録2年九月11日堀尾澤之介殿御墨附ヲ以テ当神社神領トシテ上田一反歩御寄進コレアリ其後慶長6年2月15日伊奈備前守忠次殿本社神領トシテ旧高四石八斗御寄附相成爾後慶安元年徳川家光公右神領ヲ御朱印ニ改メ御下付。天保10年9月徳川家慶公迄継続御下賜相成明治維新ノ際総テ奉還セリ。

かつては子倉神社だったそうで、式内社「子倉神社」の論社の一つとされているようです。(注:磐田市笠梅1156に子倉神社があります)こうした状態では稲荷神社を朝日波多加神社の論社とするのは難しいのではないでしょうか?但し、子倉が小倉であれば、秦氏地名の可能性があります。次回は有玉神社を検討します。
スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる