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浜松の秦氏 その32


今回は浜松市東区豊町2501番地に鎮座する服織神社(はたおりじんじゃ)を見ていきます。この一帯はかつての羽鳥庄であり、社名から判断すると秦氏と服部氏に関係しそうな場所に思えます。興味津々なので、早速行ってみましょう。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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鳥居と境内。

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鳥居に掲げられた扁額。

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境内です。

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拝殿。

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本殿。

同社に関して浜松市のホームページをチェックすると以下のような記載がありました。

延喜式内社(えんぎしきないしゃ)として歴史がある神社である。織物をつかさどる神・天穂日命(あめのほひのみこと)と機械の神・建御名方命(たてみなかたのみこと)が祭ってある。

これだけではよくわからない由緒です。解説板の内容をチェックしてみましょう。

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解説板。

当社は、今からおよそ1280年前、元明天皇の和銅元年(708年)出雲国から、神様をお迎えして造られたといわれている。
祭神は「天穗日命」 (織物・文学の神)と「建御名方命」(織物の機械の神)で、その当時は、天竜川沿いのこの辺には、織物に関係した職人が集団で住んでいたらしい。
当社は、延喜式内神名帳にのせられており、明治8年(1876)郷社に列せられ、8月25日の例祭日には、幣帛使と呼ばれる人が見えて、紅白の絹布を献上し、豊西村長をはじめ、小学校の児童達も参列した。

天穗日命は主に農業神、稲穂の神で、養蚕の神、木綿の神と言った要素もあるので勧請されたのでしょうか?けれども、服織神社の社名にはそぐわないとしか言いようがありません。建御名方命は軍神や農耕神、狩猟神で、諏訪大社にて祀られている神です。この神は「日本書紀」の国譲り神話、「出雲国風土記」、「出雲国造神賀詞」のいずれにも登場しないので、その実態は諏訪における地方神と考えられます。浜松と諏訪は天竜川で繋がっているので、後の時代になって勧請された可能性があり、現在の検討課題とは関係がありません。

由緒には「天竜川沿いのこの辺には、織物に関係した職人が集団で住んでいたらしい、」などと書かれ、かろうじて服織神社の社名との関連付けをしているように見受けられます。けれども、「いたらしい」と書くなど、おざなりな感じでしっくり来ませんね。どう考えても社名と祭神が整合していないし、秦氏や服部氏の存在感も皆無です。天穂日の子神が建比良鳥命で、その子孫が遠江国造と言った関係が影響を及ぼしているのかもしれませんが、創建が708年なら既に国司の時代に入っており国造は関係なさそうです。では、どう考えればいいのでしょう。

検討を進めるため、同じ服織神社の社名を持つ他の神社を見ていきます。最初が豊川市に鎮座する服織神社です。詳細は以下のホームページを参照ください。ホームページから関係部分を抜き出します。
http://hataori-jinja.com/history.html

服織神社の祭祀は天機姫命(てんきひめのみこと)という女性の神様です。また羽鳥大明神と呼ばれ服織神社の名前の由来になったと言われています。現在地は慶長の頃に移転したもので、古くは南方の田の中のハトリという地名の所にあったと言われ、…以下略。

いかがでしょう?祭神は機織に関係し、羽鳥大明神と呼ばれ社名の由来になっており、当初の鎮座地はハトリの地名の所にあったとのこと。その基本構造は浜松市の服織神社と全く同じですね。鈴鹿市の服織神社は祭神が栲機千千姫命、一宮市は萬幡豊秋津師比賣命で別名は棚機姫神とのことですから、いずれも機織の女神が祭神となっています。要するに、浜松における服織神社だけが社名と祭神の不整合を示しているのです。問題解決のため高名な歴史学者の意見も参照してみましょう。

太田亮氏の「遠江」によれば、「穂日命とあれど服織ははたおりの同義にて服部と同じ。大和城下郡服部神社祭神天御桙命といえばこの神も同神なるべし、」とあります。記事は「遠江」のコマ番号151を参照ください。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176478/151?tocOpened=1

浜松における服織神社の問題は、社名と祭神の間に矛盾がある点です。矛盾があるとしたら、それがないように再構成すれば真相に迫れるはずで、太田氏の場合は多分周辺の状況も勘案して社名に祭神を合わせ矛盾がない形に再構成したのでしょう。けれども、由緒に出雲からの勧請とある以上天御桙命にはなり得ません。

社名と祭神をそのままで再構成すれば、644年以降に服部氏(と秦氏)が服織神社を創建した。708年に何らかの事情が加わり、社名は変更されないままで祭神が変更になった、となります。

服織神社に関してネット情報によると、「神名帳考証」では多奈波太姫命、「神祇宝典」は天棚機姫神になっているとのことで、いずれも機織の女神です。内容は未確認ですが、本来はそれが正しいと思われます。以上の検討からある見方が浮上してきます。

浜松市の服織神社は当初(644年頃以降)秦氏と服部氏が機織の女神を祀ったものであったが、708年に出雲系の神に改変された。

このシナリオが成り立つかどうか、次回で検討してみましょう。
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