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古墳から見た大和の古代 その4


今回は垂仁天皇陵とされる宝来山古墳を見に行きます。佐紀古墳群は最寄り駅が大和西大寺ですが、宝来山古墳の場合は一駅南の尼ヶ辻駅となります。


位置を示す地図画像。所在地は奈良市尼辻西町11。

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後円部です。逆光気味となってしまいました。

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周濠がきれいです。

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横から見た全景。画像サイズを大きくしています。

鏡のような周濠の水面に古墳が映り実に美しく、驚かされました。ただ、濠は後世に拡張されたようです。少しでも雰囲気を味わっていただくため上記のように画像サイズを大きくしています。

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両側に松が植えられた参道。こちらもいい雰囲気です。

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古墳らしきものが見えます。垂仁陵飛地は号で、陪家と思われます。

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綺麗に清められた拝所。

詳細は今回も以下Wikipediaより引用します。

奈良盆地北部、奈良市街地から西方の位置に築造された巨大前方後円墳である。北東方では五社神古墳・佐紀陵山古墳などの巨大前方後円墳からなる佐紀古墳群(佐紀盾列古墳群)の築造が知られるが、宝来山古墳や周辺の小円墳も佐紀古墳群南支群としてその古墳群中に含める説がある。
墳形は前方後円形で、前方部を南方に向ける。墳丘は3段築成。墳丘長は227メートル(一説に240メートル)を測るが、これは全国で第20位の規模になる。
この宝来山古墳は、宮内庁採集の埴輪により、古墳時代前期の4世紀後半頃の築造と推定される。奈良盆地北部での巨大古墳としては、佐紀陵山古墳(伝日葉酢媛命陵)に後続し、佐紀石塚山古墳(伝成務天皇陵)・五社神古墳(伝神功皇后陵)に先行する築造順序に位置づけられる。特に宝来山古墳の場合はヤマト王権の大王墓と目されるほか、それまでの古墳と異なり、周濠が同一水面で墳丘を一周する古墳としては初期事例になる点が注目される。被葬者は明らかでないが、現在は宮内庁により第11代垂仁天皇の陵に治定されている。


築造時期は4世紀後半とありますが、奈良市の観光協会は5世紀初めとしています。垂仁天皇皇妃の日葉酢媛命の佐紀陵山古墳を4世紀の終わりに近い時期と推定していますので、前回で既に推定したように垂仁天皇陵は4世紀末頃の築造と設定するしかありません。なお「日本書紀」によると、日葉酢媛命のときから殉死をやめさせて、古墳に人・馬などの埴輪を埋納したことになっていますが、人物埴輪や動物埴輪の登場は5世紀中頃であり、また埴輪の起源は弥生時代後期後葉の弥生墳丘墓(例えば、楯築墳丘墓)から出土する特殊器台・などとされていることから、殉死をやめた話は垂仁天皇と土師氏の近い関係を語った説話であり、事実とは異なると思われます。

問題は、既に書いたように、どう考えても垂仁天皇は景行天皇の後になる点で、これらは後の回で総合的に検討していきます。次回は、成務天皇陵となる佐紀石塚山古墳を見ていきましょう。

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