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古墳から見た大和の古代 その6

古墳から見た大和の古代
01 /03 2020

昨年末に起きたスパイ映画さながらのゴーン逃亡事件で、司法当局はてんやわんやの大騒ぎだろうと思います。それはさて置き、今回は神功皇后陵とされている五社神古墳(ごさしこふん)を見に行きます。


所在地を示す地図画像。奈良市山陵町宮ノ谷となります。

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神功皇后などを祀る山陵八幡神社の鳥居です。古墳の南にあるので、ここから古墳を拝する形となります。

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古墳へと続く坂道。

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案内板。

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拝所です。

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古墳と周濠。

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もう一枚。

五社神古墳の詳細は以下Wikpediaより引用します。

墳形は左右非対称の前方後円形で、前方部を南方に向ける。墳丘は後円部が4段築成、前方部が3段築成。墳丘長は推定復原で267メートルを測るが、これは佐紀盾列古墳群中では最大規模で、全国では第12位の規模になる。またくびれ部西側では造出の存在が推定されるほか、墳丘表面では葺石・埴輪(円筒・朝顔形・壺形・盾形・家形・蓋形埴輪)が検出されている。
この五社神古墳は、古墳時代中期初頭の4世紀末頃の築造と推定される。奈良盆地北部での巨大古墳としては、佐紀陵山古墳(伝日葉酢媛命陵)・宝来山古墳(伝垂仁天皇陵)・佐紀石塚山古墳(伝成務天皇陵)に後続する築造順序に位置づけられる。特に五社神古墳の場合はヤマト王権の大王墓と目されるほか、造出での祭祀(主に中期古墳で見られる)の実施が初期事例となりうる点が注目される。


墳丘長は267mで巨大古墳と言い得る規模となっており、佐紀古墳群の中でも最大で、全国レベルでも12番目の大きさです。築造時期は4世紀末頃となっていますが、4世紀末から5世紀初め、4世紀後半から5世紀初めなどの見方もあります。一方で円筒埴輪列などの存在から、5世紀初頭より新しくなる可能性も指摘されています。神功皇后の没年は「日本書紀」によると269年(書紀紀年)となりますが、実年代は干支二運の120年を繰り下げて389年となります。これだけの巨大古墳ですから築造に10年かそれ以上かかるとして、4世紀末から5世紀初頭と見てほぼ間違いなさそうです。

次回からは佐紀古墳群の西群及び垂仁天皇陵を総合的に検討してみます。

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酔石亭主

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