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古墳から見た大和の古代 その10


今回はヒシアゲ古墳を見て行きます。


位置を示す地図画像。所在地は奈良市佐紀町字ヒシゲ。

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古墳の南側にある大きな池です。いい雰囲気ですが写真ではまるで表現できていません。

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もう一枚。

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古墳に向かいます。

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正面から撮影。

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接近します。

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仁徳天皇皇后磐之姫平城阪上陵とあります。

この古墳の概要も以下Wikipediaより引用します。

奈良市佐紀町字ヒシゲにある、全長219m、後円部径124m、後円部高さ16.2m、前方部幅145m、前方部高さ13.6mの前方後円墳。 現在宮内庁に管理されていて、自由に立ち入りできない。陵名は平城坂上陵(ならのさかのうえのみささぎ)。佐紀盾列古墳群に属する。 築造時期は5世紀中葉~後半と思われる。磐之媛命の墓とされている。

磐之媛命は仁徳天皇の皇妃となった葛城襲津彦の娘であり、豪族(葛城氏)から皇妃を迎えた最初の例とされています。馬見古墳群の被葬者が葛城氏だとすれば、彼らもまた大王クラスの豪族なので有り得る話だと思えます。また彼女は嫉妬深いことでも有名です。「日本書紀」によると、天皇が磐之媛命の不在中に八田皇女(応神天皇の娘)を娶って宮中に入れたのを知り、大いに恨んで筒城宮(現在の京都府京田辺市多々羅付近とされる)に移り、天皇が面会に来ても会うことはなく同地で没したそうです。

ただ筒城宮は継体天皇の5年から12年にかけての都であり、この書き方だと磐之媛命はタイムマシンに乗って70年程度の未来へと向かったようにも見えてしまいます。そこで「古事記」を読んだところ、筒木の韓人、奴理能美(ぬりのみ)という百済系の豪族の館に入ったとありました。まあこれが事実関係なのでしょう。

筒城宮のあった京田辺市多々羅からヒシアゲ古墳までは約11㎞なので、この場所に埋葬されても距離的にはそう遠くありません。けれども、葛城氏の娘であり河内に埋葬された仁徳天皇の皇妃でもある磐之媛命が、佐紀王朝の墳墓域に埋葬されるのは筋が通りません。時代的に見合う古墳が佐紀古墳群(東群)に存在していたので磐之媛命の墓とした可能性が高そうです。或いは山城国にいた佐紀王朝の王が佐紀に移住したことが背景にあり、磐之媛命の伝承にリンクさせたとも考えられます。次回はコナベ古墳を見ていきます。

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