FC2ブログ

「古墳から見た大和の古代」の補足

古墳から見た大和の古代
03 /08 2020

「古墳から見た大和の古代 その22」において以下のように書いています。

さらに「日本書紀」の編纂者が狡猾だと思えてならない点があります。神功皇后摂政前紀12月14日条に誉田天皇(応神天皇)が筑紫にお生まれになった。と書いた後に、一に云う、として新羅征伐に関する神と仲哀天皇のやり取りが繰り返され、その夜に天皇は崩御したと記述しているのです。しかも、天皇が神の名を尋ねると神は住吉三神と答え、それに重ねて速狭騰尊(はやさのぼりのみこと)と答えます。天皇は皇后に向かって語り、聞き悪いことを言う婦人か、何で速狭騰尊と言う、と難詰しています。

上記から神と天皇とのやり取りが、実際には神功皇后と天皇のやり取りであったと判明します。と言うか、編纂者が今まで神の言葉として書いてきたものを、最後になって真実を暴露したのです。以上から、仲哀天皇は新羅討伐の評議をしていたその日に崩御していたと確認されますし、応神天皇誕生の記述に続いて仲哀天皇が新羅討伐の評議後に崩御したと書いていることから、応神天皇が仲哀天皇の子でなかった点も明確になります。


この記事は神の言葉が実際には神功皇后の言葉である点を論じたものですが、実はもう一点気になる部分がありました。それが今回で青字にした内容です。天皇は皇后に対して「婦人」と言っているのですから、これは一般的な成人女性の意味と解せられ、神功皇后は仲哀天皇の后ですらなかったと指摘できそうに思いました。ただ、確信を持てなかったのでそれは書かずにおいた訳です。

そしてたまたま、本日付の日経新聞の『「婦」にこめられた高貴』という漢字学者のコラムを読んだところ、この問題に関する疑問が完全に解消されましたので、以下にご紹介します。

このコラムによれば、今から三千年ほど前の時代に使われていた漢字では、「婦」は一般の女性ではなく、王妃という身分を示す漢字だったとのこと。「婦」の解釈のポイントは、文字の右側にあるホウキが、神聖な祭壇の周囲を掃除するための道具だと言う点にあるそうです。神が降臨して着座する祭壇の前は、必ず事前にきれいに掃き清めた上で祭祀を行う必要があり、神の祭祀にかかわる仕事は最高位の女性しか担当できません。だから王妃の地位にある女性がホウキを手に持って神に仕えたのです。

以上、神功皇后は仲哀天皇の后ですらなかったと早とちりせずに済みましたし、彼女は正しく神に仕える最高位の女性だと理解されることになります。「古事記」では沙庭(忌み清めた祭場)で建内宿禰が神の命を請い、皇后に神がかかって新羅(注:「古事記」では西の方の国と表記)を帰服させるとの言葉を発している訳ですから、完全に漢字学者の解説に見合ったシチュエーションとなっています。

これは驚くべきことで、三千年前の中国で「婦」が王妃を示す漢字だったと記紀の編纂者は知っており、新羅討伐の是非を神に請う場面で彼らは的確に使用していたことになります。従って、1300年前の日本においても「婦」は王妃(注:日本の場合は王妃ではなく皇妃)を示す漢字だったのです。
スポンサーサイト



酔石亭主

FC2ブログへようこそ!