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熱田神宮の謎を解く その8


ほとんど熱田神宮が出てこないまま熱田神宮の謎解きが続いています。まあ、本丸突入は最後のお楽しみにとっておきましょう。

前々回は神剣の謎解きに熱中し過ぎ、前回は成海神社に飛んだため、松炬島(=笠寺台地)の検討がおろそかになってしまいました。今回はじっくり見ていきます。まず乎止與命は小牧市から尾張氏にとっての重要拠点松炬島に移住したと判断されます。松炬島の想定範囲は地形分類図で見たように、山崎川と天白川に挟まれた、呼続(よびつぎ)から桜、星崎にかけての一帯でした。そこでヤフー地図とにらめっこです。


ヤフー地図画像。

画像では、北側の山崎川と南側の天白川に挟まれた台地が松炬島に相当します。それほど広い土地ではありません。この範囲内を詳しく探索していきます。地図を拡大して見ると、呼続駅のほぼ北側に迦具土神社が鎮座していました。イザナギが十握剣を振るい迦具土神の首を切り落とした話に対応しているかもしれないので、早速行ってみましょう。

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迦具土神社です。

川沿いに鎮座する小さな祠でした。通常迦具土神は火伏せの神として秋葉神社に祀られるのですが、迦具土神そのものを祀るのは、十握剣との関係も想定されます。でもこの社では可能性は薄そうです。では呼続を頂点として名鉄線沿いに南に下ってみます。地図を見ると呼続駅のほぼ南に熊野三社が鎮座していました。ちょっと寄ってみましょう。


熊野三社と迦具土神社を示すヤフー地図画像。

駅から旧東海道に入り山崎の坂を登ります。すると…。

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熊野三社の鳥居です。参道が奥に伸びています。鳥居手前には解説石板が。

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解説石板。

この島の表記と読みは幾通りもありますが、解説板では巨大な松から「松巨嶋」で、読みは「まつこじま」でした。酔石亭主としては「松炬島」で「しょうきょじま」と読みたいと思います。なぜなら、既に書いたように松炬はたいまつを意味して「しょうきょ」と読み、尾張氏の重要拠点である松炬島を敵の襲来から守るため夜にたいまつで照らす、或いは狼煙を上げるなどの行為があったものと推定されるからです。

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由緒もありました。戦国時代に佐久間信盛が祀ったそうです。

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松巨嶋の由来も書かれています。

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松巨嶋の古図までありました。

訪問者にとってはとても懇切丁寧な説明がなされており、有難い限りです。ただ難点は、ガラスが反射して見にくくなっていることで、色調を調整しています。まあ、ショーケースタイプの解説板なら文字が薄れて見えなくなることはありませんが…。(文字が日焼けする問題はあるかもしれません)

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二つ目の鳥居。まだ社殿は見えません。

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三つ目の鳥居。社殿がようやく見えてきました。

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拝殿。楠の古木が社殿の上を覆うように繁っています。

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松巨嶋の解説板。

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松巨嶋と刻まれた手洗い。

背後は見られませんが「明和丙戌歳五月吉辰願主三宅徳左衛門年定」と刻まれているそうです。一帯が松炬島であることがここからも理解されます。松姤社の元になった地名が存在することが実物で確認できました。

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境内にはおたすけ石が…。何を助けるのでしょう?

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横から見ると見事な土坡です。水石には大きすぎますが…。

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境内から見た呼続の町。家のある辺りは内浦状態となっていたのです。

なお呼続の地名は東海道に沿っており、熱田の宮の宿から渡し舟が出る際に「船が出るぞ~」と人から人へ呼びついだことから呼続となったそうですが…、声を聞いてどんなに急いでも、宮の宿に着いた頃には船は出ているはずと思います。まあ、次かその次の船には乗れるでしょうけど…。

余談はさて置き、次にヤフー地図画像で山崎川に沿って南下します。すると…。


千竈通り1の表示がありました。

おや、これは…、千竈(ちかま)じゃないですか。熱田神宮境内には上知我麻神社、下知我麻神社が鎮座していますが、このやや妙な社名の由来は明らかに千竈であろうと思われます。

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熱田神宮境内の上知我麻神社です。祭神は乎止與命(=尾張版日本武尊)です。

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熱田神宮境内の下知我麻神社です。祭神は真敷刀俾命(=宮簀媛命)です。

松姤社のある熱田神宮南端で日本武尊と宮簀媛命は出会ったとされますが、松姤は松炬であり、知我麻は千竈であることから、二人の本当の出会いの場所は熱田ではなく、松炬島と断定できそうです。乎止與命と真敷刀俾命の拠点も同様に松炬島でした。よって、上知我麻神社と下知我麻神社の元になる神社も松炬島の中にあるはずです。

千竈とは製塩の際塩水を煮る釜を意味しています。一帯に沢山の塩田があり釜があったのでしょう。だから千竈通りの南はずらりと塩屋町の地名が続き、荒浜の地名もあります。地名探索は本当に面白いですね。

そして千竈通りの川を挟んだ西には「豊」の地名です。乎止與命(小豊命)の豊ですね。豊の南が「戸部下」となりますので、これも既に書いたように真敷刀俾命(ましきとべのみこと)の「とべ」にちなんでいそうです。この点からも松炬島が二人の最初の出会いの場所だったと理解できます(と勝手に解釈しました)。

(注:一般的には、笠寺台地に沿って曽池、新地、松本池などの沼が続き、「沼地」を意味する言葉が「とべ」であることから、この地が戸部になったとされています。しかし、「とべ」が沼と言うのはアイヌ語のトベツ(=沼、川)に由来するもので、この説には疑問が残ります)

ところで知我麻の名前が千竈に由来しているとすれば、上・下知我麻神社の祭神は乎止與命や真敷刀俾命ではなかったのかもしれません。例えば釜で海水を煮る技能民が祖神を祀っていたのが二つの知我麻神社と言うこともあり得ます。そこで調べてみると、千竈氏と言う一族が存在していました。以下Wikipediaより引用します。

千竈氏は鎌倉時代を通じ、尾張国千竈郷(現在の名古屋市南区千竈通)を本拠地とした御家人であると同時に得宗家の被官として海上交通を掌握したと見られている。千竈氏の支配領域は、鎌倉時代後期の千竈時家による処分状によると、尾張国千竈郷のほか、常陸国、駿河国、薩摩国の得宗領の代官職となっており、かなり広範囲に及んでいる。


鎌倉時代に海上交通を掌握した一族であれば、千竈氏は尾張氏の流れかもしれません。そうなると、乎止與命は初代尾張国造なので上・下知我麻神社の祭神は最初から乎止與命と真敷刀俾命であった可能性が高くなります。

               熱田神宮の謎を解く その9に続く
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