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熱田神宮の謎を解く その9


松炬島一帯(笠寺)や大高、鳴海など尾張氏と日本武尊に関連する場所では、なぜか秋祭りに猩々(しょうじょう)が登場します。猩々は鳴海村から始まり、酒造業と関係ある地域に広がりを見せているようです。ご興味のある方は以下のホームページを参照ください。
http://www.geocities.jp/shoujouhozonkai/oodaka/eeshoujou.htm
http://www.geocities.jp/shoujouhozonkai/

では、再び地図に戻りましょう。桜には富部神社も鎮座しており、近くには古墳も見られますがストーリーから離れますのでパスします。また前浜通との表記もあります。前浜とはいかにも海を連想させ、一帯で産出される塩は前浜塩とも言われたそうです。


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桜から本笠寺一帯を示すグーグル地図画像。

さらに下り名鉄本笠寺駅の南には笠寺小学校(本星崎駅に近い)があって、本城町とか掘割と言った地名が見られます。ここには鎌倉時代の一歩手前、治承年間(1177年~1181年)頃に山田重忠が築城した星崎城があったとのことです。

またこの場所には欽明天皇期(629年~641年)に星宮社が創建されたものの、星崎城築城の際さらに南に遷座したとのこと。(注:Wikiによれば織田信長が星崎城を築城する際、現在の地へ移されたとの説があるそうです)早速行ってみましょう。


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星崎一帯を示すグーグル地図画像。

ちなみに星崎は松炬島の中心地だったようで、荒井・牛尾・南野・本地・笠寺・戸部・山崎を星崎七カ村とするとの慶長13年(1608年)の記録があります。星崎においては、鎌倉時代以降大量の塩が生産され各地に送られていったようです。となると、千竈の地名は鎌倉時代に成立したと推定されますが、実際には平安時代中期にまで遡るそうです。

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尾張名所図会に描かれた星崎の塩田。

本星崎の駅で電車を降ります。駅からこんもりした森が見えます。それが星宮社です。この一帯には星宮、星崎、星園など星にちなんだ地名が多く見られます。日本武尊や宮簀媛命とはあまり関係なさそうですが…。


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星宮社を示すグーグル画像。下の端の森。

駅からは線路に沿った道を本笠寺駅方面に戻る形で歩くと小河川を埋めた遊歩道が出てきますので、ここで左折して遊歩道に沿って歩くだけです。

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駅に設置された案内板。

星宮社を赤で囲いました。元の鎮座地である星崎城址(現在の笠寺小学校)からは目と鼻の先の距離と理解されます。

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駅近くの居酒屋に熊さんのはく製が…。

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星宮社です。鎮座地:南区本星崎町字宮西616 祭神は天津甕星神。

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正面からもう一枚。

天津甕星神は星の神様で、天孫降臨の前に経津主神と武甕槌命によって、誅されたとされます。十握剣で切られたとすれば面白いのですが、尾張氏とは直接の関係はなさそうです。一帯は星に関連した地名が多くあります。なぜかなと思い調べたところ、不思議なことにこの地にはしばしば隕石が落ちたとのこと。以下Wikipediaより引用します。

星宮社は、舒明天皇の時代(629年 - 641年)にこの地へ星が降り、それを祭るために創建されたといわれる。8世紀、13世紀にもこの地方に隕石が落ちたという言い伝えがある。星宮社から南西700mほどにある喚續神社の記録では、寛永9年8月14日(1632年9月27日)の午前0時過ぎ、南野村に隕石が落ちた。石は喚續神社へ寄進され長く社宝として祀られていた。1976年に国立科学博物館の村山定夫によって隕石と確認され、南野隕石と命名される。現在は国立科学博物館に所蔵され、日本で2番目に古い隕石とされている。


なるほど隕石で有名な場所だから星宮社なのですね。

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拝殿。扁額は星崎宮となっています。

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横から見るとこんな感じ。

本殿の両脇には摂社があります。右脇には加具土社と軻遇突智社が鎮座していました。

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加具土社と軻遇突智社。

同じ神なのに二つの社があります。加具土社は「古事記」、軻遇突智社は「日本書記」の表記です。しつこく二つの社で祀っていることの意味は、イザナギが迦具土(加具土)神を十握剣で切り殺したことにちなんでいるような気がします。また呼続の北つまり松炬島の北端部にある迦具土神社と南端部にある加具土社で、松炬島を二つに割っているようにも見えます。

摂社のさらに右脇には石段があります。これを上がった本殿の背後に上・下知我麻両社が鎮座しています。早速行ってみましょう。

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石段脇に立派な石が祀られていました。

隕石で有名な星宮社だから、イン石が祀られているのです。でも、これは隕石ではない??何となく女性の局部に見えませんか?そう、これは多分女陰石です。女陰石は子孫繁栄と豊穣を願う石ですが、隕石と陰石をかけたとしたら…、きっと駄洒落好きな方がこの石を祀ったのでしょうね。

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両知我麻神社。右が上知我麻神社、左が下知我麻神社となります。

下知我麻神社の祭神が伊奈突智翁命、真敷刀俾命で、上知我麻神社が大國主命と乎止與命になります。 伊奈突智翁命はこの地の民に製塩を教えた神とのことです。

上知我麻神社はかつて本地村に鎮座していたとされ、鎌倉時代に熱田に遷座したようです。また、下知我麻神社は下千竈に鎮座していたものが、熱田に遷座して、現在熱田神宮境内に上・下知我麻神社が鎮座することとなりました。結局、宮簀媛命(=真敷刀俾命)を祀る松姤社も真敷刀俾命と乎止與命を祀る両知我麻神社もその深源は松炬島にあったのです。

そして真敷刀俾命は宮簀媛命であり、乎止與命は尾張版日本武尊であった訳ですから、松炬島は熱田神宮の元々宮と言える位置を占めていたことになります。

千竈氏が尾張氏の流れであるなら、尾張氏の祖神である真敷刀俾命と乎止與命を祀っていたのは当然だと思われます。一方熱田神宮の本宮において、乎止與命は日本武尊の陰に隠れ、真敷刀俾命は宮簀媛命の陰に隠れて名前が表に出てはいません。それはまずかろうと言うことになって、千竈氏が祀る二人を熱田神宮に持って来たのではないでしょうか?

千竈氏が祀っている時点での上・下知我麻神社はそれぞれ別の場所にあったものの、両社とも熱田神宮境内に遷座したため、星崎にとって重要な星宮社境内の同じ場所に新たに祀られたものと推測されます。言い換えれば、星宮社境内の上・下知我麻神社が熱田に遷座したのではないことになります。

熱田神宮境内において、下知我麻神社が境内北側に鎮座し上知我麻神社が境内の南端に鎮座しているのは上・下が逆転しているとの説があります。しかし、酔石亭主の視点からすれば、尾張氏の祖である真敷刀俾命の方が入り婿の乎止與命より格が上となりますので、逆転はしていないと理解されます。

さらに、上知我麻神社は本地村に鎮座していたのですから、鎮座地は星崎となり笠寺台地のほぼ南端となります。一方下知我麻神社の鎮座地は下千竈で、笠寺台地の中央付近となります。つまり、当初は下知我麻神社が北に、上知我麻神社が南に鎮座していたのです。その位置関係のままで熱田神宮に遷座したのですから、別に逆転はしていないことになると思います。

今回は熱田神宮の元々宮に当たる松炬島を探索しました。次回は熱田神宮の元宮とされる氷上姉子神社を訪問します。

             熱田神宮の謎を解く その10に続く
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