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熱田神宮の謎を解く その11


前回まで実質的には熱田神宮境内外にある松姤社を見ただけで、神宮から外の世界に飛んでしまいました。あれこれ探索しながら熱田神宮の元々宮、元宮を見終わり、ようやく本丸となる熱田神宮境内の探索に入れそうです。なので、改めて上知我麻神社から見ていきます。以下の熱田神宮のホームページ境内図を参照ください。
http://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/keidai/

正門南を入ってすぐ左手に上知我麻神社が鎮座しています。

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鳥居です。境内は広くほとんど一つの独立した神社の様相を呈しています。

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社殿。祭神はもちろん乎止與命です。

同社の栞には、「乎止與命は、尾張氏の祖神天火明命の十一世の孫で、熱田神宮の御祭神、宮簀媛命・建稲種命の御父神にあたります」と記載ありました。また由緒には尾張の国を開拓したのは尾張氏の人々で、繁栄の基礎を作ったのは乎止與命なので、乎止與命は熱田も含めて尾張国の地主神と言えるとの主旨が書かれています。尾張国の地主神と言う最高位の人物が本宮ではなく摂社に祀られている事実から、彼の立場が見えてきます。

他には大国主社と事代主社が社殿の左右に鎮座し、大国主命と事代主命が祀られていました。同じ敷地内には八剣宮が鎮座しています。

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八剣宮。

八剣宮は別宮とも呼ばれ境内社の中では最も格上の神社です。まあ、祭神が本宮と同じなので当然ですが…。創建は和銅元年(708年)とされ、元明天皇の勅命により新たに神剣を作ったのでそれを収める目的で創建されたそうです。なお八剣神社は愛知県と岐阜県に集中して存在しています。

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本殿。格の高さがそのしつらえから感じられます。

参道の東には日割御子神社が鎮座しています。

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日割御子神社。

神社の名前は「ひわりみこ」ではなく、「ひさきみこ」と読みます。この神社も海に張り出した地にあったと考えられ、「干崎」が転じて日割になったものとされています。この神社には天照大神の子である天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)が祀られていて、尾張氏の祖神とされる天火明命の父神に当たり、天孫降臨の邇邇芸命(ににぎのみこと)の父神でもあります。

日割御子神社の祭神は話が古いだけに創建は第6代孝安天皇の御代とされ、熱田神宮本体より古い時代に創建されたことになります。けれども実際には、初代尾張国造である乎止與命以前の系図を天皇家と結び付ける形で創作して以降の創建と思われます。

日割御子神社の北側には孫若御子神社が鎮座しています。

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孫若御子神社。

祭神は尾張氏の祖神天火明命(あまのほあかりのみこと)となります。天火明命は日割御子神社の祭神天忍穗耳尊の御子ですから、熱田神宮には天照大神―天忍穗耳尊―天火明命と皇祖神から尾張氏に繋がる神様が祀られていることになります。しかし、天火明命の扱いが小さ過ぎるような気がしてなりません。孫若御子神社の北東にはスサノオを祀る南新宮社が鎮座していますが、本宮で祀られているのでパスします。

参道を進み第二鳥居の左手はかつて神宮寺があったところで、休憩所やお店などになっています。第三鳥居の先には立派な拝殿が…。

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拝殿です。

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一番奥に見えるのが本殿と東宝殿です。

ようやく熱田神宮の本丸(城ではありませんが…)前に立つことができました。でも、まだ謎は解けていません。既に書いたように、本来は尾張氏が祀る神剣を、朝廷が自分たちの神器の一つであると捻じ曲げたことから、神宮のありようにゆがみが生じました。例を挙げれば祭神の問題です。

祭神の問題に関しては「その6」で既に取り上げていますが、検討が終わったとはとても言えません。祭神に関するゆがみを本来の形(尾張氏だけに関連する祭神)に復元・再構成できるのでしょうか?非力ではありますが、何とか挑戦してみたいと思います。

と言うことで、この機会にもう一度熱田神宮の祭神をおさらいしましょう。主祭神は草薙神剣を御霊代とする天照大神。相殿神は天照大神、スサノオノミコト、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命の五神でした。この中で実に奇妙な印象を受ける問題があります。「その2」で既に提起した、天照大神は主祭神として祀られているのに、相殿神にも入っていると言う理解し難い謎です。この謎には、まだ明確な答えがありません。

ではこの問題を、熱田神宮は本来尾張氏ゆかりの神だけを祀るはずとの前提で検討してみましょう。その前提からすると天皇家の最高神天照大神に相当する尾張氏の最高神は天火明命となります。

天火明命は「古事記」に記載された名です。「日本書紀」ではどうでしょう?調べてみると火明命、天照国照彦火明命となります。「先代旧事本紀」はやたら長いのですが、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくし たまにぎはやのみこと)となっていました。つまり天火明命の別名は天照何某なのです。

ここからある方向性が浮かんできました。相殿神の天照大神、或いは主祭神の天照大神の実体が天火明命であったと考えれば、主祭神と相殿神の問題は解消されることになるからです。熱田神宮における扱いが小さ過ぎると思われた天火明命が、仮に相殿神として祀られているなら、粗末にはされていないことになります。

しかしその場合でも、主祭神、相殿神のどちらかが天照大神となってしまいます。御承知のように天照大神自身は皇祖神であり尾張氏の祖神ではありません。この問題も悩ましいところなので、じっくり考えてみたいと思います。

話は急に変わりますが、京都都府宮津市には籠神社が鎮座しています。同社の宮司家には何と国宝に指定された系図が伝わっています。その一つが「丹波国造海部直等氏本記」(たんばのくにあまべあたえとううじほんき)で、一般には「勘注系図」と称されています。

「勘注系図」には、丹波国造の大倉岐命またの名を大楯縫命が、稚足彦天皇(成務天皇)の御代に桑田郡大枝山(現在の亀岡市)辺で大蛇が人々を苦しめていたので、これを切ったとあります。「国造本紀」には、建稲種命の四世孫大倉岐命が丹波国造を賜ったとあります。東国版日本武尊である建稲種命の子孫が丹波に繋がっていました。

しかもです。楯縫は出雲の郡であり、全域が出雲市に該当しています。そうなると、この大蛇が八岐大蛇のモデルであった可能性も浮上してきます。建稲種命の子孫は出雲と濃厚な関連を有していたのです。ちなみに、楯縫の字義は盾を作ること、または作る人を指しています。

面白いことに「勘注系図」では、建稲種命について「またの名を須佐之男尊」としており、建稲種命が草薙神剣を所持していたことも書かれています。さらに別の史料では、尾が張っていた大蛇を開くと剣(尾羽張剣)が出てきたとの記述もあるようです。(注:原文に当たっていないので「尾張国風土記逸文」、「熱田風土記」のいずれに記載あるのか不明)

この場合、尾羽張剣は十握剣となります。本来はスサノオノミコトが十握剣で八岐大蛇の尾を切ると出て来たのが天叢雲剣(後の草薙神剣)ですが、尾張側では話が全く逆になっているのです。東国版日本武尊である建稲種命と十握剣の関係がここからも読み取れます。「その10」で石碑に「倭武天皇皇妃 尾張国造之祖 宮簀媛命宅址」と彫られていたのはご記憶にあると思います。熱田神宮が日本武尊を天皇扱いしたのは、その実体が建稲種命であったからではないでしょうか?

「その6」で書いたように「尾張志」の松姤社に関する記述は建稲種命と十握剣を結び付けています。つまり、尾張側においては八岐大蛇を退治したのは建稲種命で、尾から出て来た神剣は十握剣との認識があったように見えてしまいます。これは、建稲種命の子孫の話を実質的な尾張の祖である建稲種命に置き換えたものと思えます。

これらの話が組み合わさって、建稲種命(=東国版日本武尊)が出雲において八岐大蛇を退治するストーリーが完成されたのでしょう。しかし完成段階では、朝廷の指示で退治するのはスサノオノミコトになり、尾から出て来たのは天叢雲剣と逆にされてしまったのです。

以上の検討結果から、驚いたことにスサノオノミコト=日本武尊=建稲種命となってしまいました。(ここにおけるスサノオノミコトは、あくまで神剣を三種の神器の一つとする創作ストーリーにおけるスサノオであり、他の場面では別のスサノオとなります)

さて、建稲種命がスサノオノミコトであるとすれば、さらに話は面白くなってきます。一般的には建稲種命の妹が宮簀媛命とされています。宮簀媛命(=真敷刀俾命)は女性神官(巫女)としての普通名称が宮主媛命であり、かつ政務能力を持っていたため尾張国造の祖ともされています。

(注:乎止與命が初代尾張国造とされるのに、宮簀媛命(=真敷刀俾命)が尾張国造の祖とされている矛盾は、宮簀媛命(=真敷刀俾命)の子である建稲種命が実質的な尾張氏の祖と考えられることに由来していると思われます)

巫女であり政務も司る人物が他にもいたことは「その5」で既に書いています。そう、かの有名な卑弥呼です。そして卑弥呼が太陽神に変身したのが天照大神でした。だとすれば、宮簀媛命こそが卑弥呼(天照大神)に擬せられる存在だったのです。兄の建稲種命がスサノオノミコトで妹の宮簀媛命が天照大神なら、記紀とは兄妹の関係が逆になりますが、筋も通りそうに思えます。天皇家と尾張氏の祖神を対比すれば以下のようになります。

天皇家:卑弥呼(太陽神を祀る巫女)―天照大神(太陽神:女神アマテラス)
尾張氏:宮簀媛命(太陽神を祀る巫女)―天火明命(太陽神:男神アマテラス)


いかがでしょう?尾張氏は天皇家に匹敵する太陽信仰を持っているように思えませんか?でも、熱田神宮境内にそれらしき痕跡は見当たりません。そんな場合はまた境内の外へ飛び出すしかなさそうです。熱田神宮の摂社を見ると青衾神社(あおぶすまじんじゃ)と言うちょっと変わった名前の神社がありました。鎮座地は名古屋市熱田区白鳥2となります。早速行ってみましょう。


大きな地図で見る
神社の位置を示すグーグル地図画像。

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青衾神社の鳥居と境内。

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青衾神社。

とても小さな神社なのに境外摂社ですから、かなり重要な位置付けになっていると思われます。(注:摂社とは本社に付属し、その祭神と縁故の深い神をまつった神社のこと)ではどんな重要性がこの神社にはあったのでしょう?

かつては「あおぶすま」と称する神社が二社あり、青衾、白衾と表記されていたようです。そして青衾は太陽神を祀り、白衾は月神を祀っていたとのこと。青衾神社は明治になって廃絶し、白衾神社が青衾神社に名を変えたと言う複雑な経路を辿り現在に至っています。

この神社は、高座結御子神社の祭神高倉下命(=天香語山命)の母である天道日女命(大己貴神の娘で出雲との関連が出てくる)を祀っています。しかし、祭神に関しては饒速日命(にぎはやひのみこと)や天火明命などの異説もあります。

「先代旧事本紀」において天火明命は天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と表記され、饒速日命は物部系の祖神であり太陽神でもあります。よって異説として、饒速日命や天火明命が入っているのは良く理解できます。と同時に、尾張氏が太陽信仰を持っていること、天火明命が男神アマテラスであることも納得されます。

なおWikiによれば 祭神に天白王月神と言う神が入っています。月神の名残でしょうか。
いずれにしても、極めて重要と思われる青衾神社の実態がわからないよう改変され、社も小祠になっているのは、熱田神宮のありようが捻じ曲げられた一例かもしれません。

以上から熱田神宮の主祭神であり相殿神とされる天照大神の実体は宮簀媛命と天火明命であったと理解されます。

長々と書きましたが、これで熱田神宮における祭神の解体と再構成が終わり、尾張氏としての登場人物(神)が出揃いました。熱田神宮の祭神を再構成すると以下のようになります。

主祭神:天照大神(=宮簀媛命=真敷刀俾命)
相殿神:天火明命(=天照大神)、スサノオノミコトと日本武尊、建稲種命は三位一体。


上記をさらにわかりやすく整理すると、尾張氏の最重要人物(神)である天火明命(=男神天照大神)、宮簀媛命(=真敷刀俾命=宮主媛命=巫女アマテラス)、建稲種命(=スサノオノミコト=日本武尊)の三神が熱田神宮における真の祭神となります。以上で、主祭神が天照大神であり、相殿神も天照大神である謎は完全に解消され、祭神も尾張氏系だけになるので本来の姿に戻ったことになります。

なお熱田神宮は草薙神剣を祀る神社であることから、天火明命ではなく、その鎮座に最も貢献したと思われる宮簀媛命を主祭神として書きました。(注:上記の内容は酔石亭主の独自解釈であり、これが真実と主張するものではありません。また「勘注系図」は原文に当たっていないので、内容の正確性を保証できません)

熱田神宮の祭神を整理し直したので、謎解きも終わったと思ったのですが、まだまだ難物が控えていました。それが熱田神宮における楊貴妃伝説です。

                熱田神宮の謎を解く その12に続く
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