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熱田神宮の謎を解く その25 五社大明神社

熱田神宮の謎を解く
11 /28 2012

高蔵寺から少し歩けば五社大明神社に至ります。

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神社の入口。

右手の道は高倉山ふれあい遊歩道と表示あります。実は高座山は水晶山とも呼ばれ、かつては水晶がたくさん産出した場所です。なので、遊歩道を少し歩いてみました。すると、砂防ダムの工事が行われているため通行禁止となっています。残念ながら、奥に行く道はありません。まあ、水晶は相当数持っていますので別に残念でもありませんが…。では、神社に戻りましょう。

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鳥居です。大きな石柱に五社大明神社とあります。

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左右に石灯篭が並ぶ石段。例によって蕃塀もあります。

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蚕霊尊の石碑。 この地域で養蚕が盛んだったのでしょうか?

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拝殿。

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本殿。

まずどんな神様が祀られている神社なのか知る必要があるので、境内を見回します。すると、解説石板に祭神が刻まれていました。

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解説石板。

祭神はスサノオ、大碓尊、日本武尊、菊理比賣命、天目一個命の5神で五社大明神社と言うことでしょう。社名からすると本来は別々の5社が合体したように思えます。相殿神として高倉地命、大己貴命とあります。高倉下命がここでは高倉地命となっています。音は同じ「たかくらじ」になるので特に問題はありません。しかし、相殿神ではちょっと格が低そうです。神社の由緒を探してみると立派な解説石板がありました。

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解説石板。

祭神がいずれも尾張氏の祖神であることから創立は古いとあります。この解説にはやや違和感を覚えます。スサノオと日本武尊はいずれも―酔石亭主の独自解釈で―建稲種命であることから尾張氏ですが、大碓尊は日本武尊(小碓命)の双子の兄であり、菊理比賣命は白山神社の祭神です。五社大明神社の西隣は白山町となっているので、菊理比賣命はこちらから遷座してきた可能性があります。

天目一個命(通常は天目一箇神と表記)は製鉄・鍛冶神であり、天津麻羅(あまつまら)と同神と考えられます。そして天津麻羅は物部造等の祖、天津麻良(あまつまら)と同神なので、天目一個命は物部氏系となるでしょう。尾張氏と物部氏の関係がここでも出てきました。ただ、この神社の天目一個命は一目連かもしれません。一目連に関しては以下Wikipediaより引用します。

一目連(いちもくれん、ひとつめのむらじ)は多度大社(三重県桑名市多度町)別宮の一目連神社の祭神の天目一箇神と同一視されるが、本来は片目が潰れてしまった龍神であり、習合し同一視されるようになったという。一目連は天候(風)を司る神とされ、江戸時代には伊勢湾での海難防止の祈願と雨乞いが盛んに行なわれた。


大己貴命はもちろん出雲系です。以上から、この神社の祭神は尾張氏の神とは言えません。しかし、由緒の終わりの部分は注目されます。「昔、熱田神宮の高倉明神を祀っていたので高倉地と呼ばれた。又、熱田高蔵宮の奥宮であったとも伝えられる」と書かれた部分です。なお、熱田高蔵宮は高座結御子神社を意味します。

解説石板には創立当初の位置は不明である。と記載されていることから、当初は高倉明神を祀る神社が別の場所に鎮座していて、後年になって五社大明神を祀るこの場所に遷座したと考えて良さそうです。もしかしたら、子安の井戸の関係からして高蔵寺が創建当初の鎮座地だったのかもしれません。いずれにしても高倉下命は蔵に関係することから、当初は山麓ではなく平地に鎮座していたものと推定されます。

「張州府誌」にも「俗云是熱田高蔵宮之奥院也」とありますが、本家の熱田神宮も元宮は大高の氷上姉子神社で、元々宮が松炬島(酔石亭主の独自解釈による)ですから、熱田高蔵宮(=高座結御子神社)も本家に倣ったのでしょうか?高倉明神は蔵の神様なので、この地には熱田に供給する穀類などの食料品貯蔵庫があったと考えられます。正しく高倉ですね。

高座山は194mの低山ですが、庄内川を挟んでほぼ南側に標高もほぼ同じで198mの東谷山があります。東谷山は尾張氏の本貫地ともされ多数の古墳があって、山頂には尾張戸神社が鎮座しています。


大きな地図で見る
高座山と東谷山を示すグーグル地図画像。

こうしてみると、川を挟んで二つの山が対峙しているようにも見えます。山の上なので大変ですが、宮簀媛命が勧請したとされる尾張戸神社も見に行く必要がありそうです。尾張戸神社に行くには、高蔵寺駅前の通りを歩き、庄内川に架かる東谷橋を渡ります。

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東谷橋より見た東谷山。

橋を渡ろうと思いましたが、下の河原に石が見えます。神社へ行く前に、庄内川で探石を…。

               熱田神宮の謎を解く その26に続く
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コメント

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No title

はじめまして。高蔵寺ニュータウンに住んでいたものです。白山信仰や菊理姫は高句麗と関係ありそうだと思うのですが。高倉氏は高句麗王家出身ですね。物部や天孫族、高天原も高句麗ではないかと思います。高倉下も高句麗人ではないでしょうか。

Re: No title

峰様

コメント有難うございました。
高倉下の検討は現在中断したままですが、もうしばらくしたら再開する予定です。
高倉下の遠い祖先が渡来人である可能性は高いと思います。
ただ、この人物が半島の渡来人かどうかは半島側で物証が出ない限り確定できません。
なので、日本における高倉下の出自という観点からのみ追及する予定です。
またご意見を頂ければと思います。

酔石亭主

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