FC2ブログ

熱田神宮の謎を解く その45

熱田神宮の謎を解く
04 /13 2013

日本武尊は景行天皇の子であり、彼が持つ草薙神剣と尾張氏の祖である宮簀媛との関係が熱田神宮の創始へと繋がっていきます。ところが草薙神剣は物部氏のものであったとも想定され、その大元は出雲族の剣であったと考えられます。つまり、朝廷、尾張氏、物部氏、出雲族などの錯綜した関係が熱田神宮の謎をさらにややこしくしているのです。

ここまで、そうした状況を解きほぐす形で議論を進めてきました。あまりなじみのない問題を取り上げたのでうまく行ったかどうかは神のみぞ知るですが…。

いずれにしても、熱田神宮の謎に最も深く関与するのは尾張氏です。その肝心の尾張氏の出自に関して、まだ明確な答えがありません。と言うか、諸説あって答えを出すのは不可能な状態です。本シリーズの最後に、尾張氏の出自に関する諸説を取り上げます。大ざっぱに見て、尾張氏の出自には8説あるので(あり過ぎじゃないかと思いますが…)、以下順を追って書いていきます。

説その1:太田亮氏の唱える説によれば、尾張氏は大和葛城の高尾張から美濃へ移り、大高、熱田へと移動したというものです。この説はかなり強力です。美濃への移住部分は、垂仁天皇の時代に尾張大海媛(崇神天皇の妃。別名の葛城高名姫は葛城高尾張に由来?)が生んだ皇子八坂入彦を奉じて美濃に入ったとするもので、岐阜県可児市久々利にある景行天皇の泳宮(くくりぐう)近くに八坂入彦陵があります。「日本書記」によれば、景行天皇が美濃に行幸し、八坂入彦の娘八坂入媛を娶ったとあります。大高は尾張氏の祖である宮簀媛の居住地であり、尾張氏はその後熱田に移って定着したとするものです。

久々利に関しては以下Wikipediaより引用します。

可児市の南西部、久々利川が形成したごく小規模な扇状地の上に位置する小集落である。「くくり」という地名は、かつて当地に景行天皇堯幸の際、当地の八坂入彦皇子の娘弟媛を見初められ、口説き落とすべく滞在。その際造営された仮の宮「泳(くぐり)の宮」からきていると言われる。「泳の宮」の由来は、庭の池に放した鯉の泳ぐ様子「水くぐる」からきているらしい。


八坂入彦に関しては以下デジタル版 日本人名大辞典より引用します。

記・紀にみえる崇神(すじん)天皇の皇子。母は尾張大海媛(おわりのおおしあまひめ)。「日本書紀」によれば,景行天皇4年美濃(みの)行幸のおり,天皇は八坂入彦の娘の弟媛(おとひめ)を妃にしようとしたが,弟媛は辞退し,姉の八坂入媛(やさかのいりひめ)を推した。八坂入彦皇子ともいい,「古事記」では八坂之入日子命としるされる。

岐阜県の土岐川流域を中心とした一帯には、日本武尊も含め上記のように大和王権の皇族が入り込んでいます。彼らが土岐川に沿って下り東谷山に至って4世紀中頃に白鳥塚古墳などを築造したと考えれば、これらの古墳が畿内地方のものと類似している点も説明が付きます。また時代的にも、地理的にも整合性があると思われます。

問題は大和王権の皇族の美濃への流入は確かだとしても、それに尾張氏が同行しているとの確証はないことです。また太田説は、尾張氏は尾張の在地豪族が発展したものではなく、外部よりの移住者であったとするものです。その根拠が大和にある高尾張の地名です。でも、この地名由来は逆に考えることも可能です。すなわち、尾張氏が朝廷と密接になって大和に出先の屋敷を構えたので、その地を高尾張と名付けたとも考えられます。

説その2:西村大民氏(「尾北の歴史」の著者)の説は、本貫地が高尾張で、その後尾張一宮となる真清田神社に尾張氏の遠祖である天火明命を祀り、小牧市小針辺りが本拠だったとします。小針に鎮座する尾張神社には「尾張名稱発源之地」と刻まれた石碑があります。解説板は以下の通りです。

小針は、尾張名称発源の地と言い伝えられている。江戸時代に尾張藩が編纂した『尾張符誌』によれば、小針村は、古くは尾張村であって、尾張の名称はこの地から起こったとしている。 『尾張志』によれば、 小針は、古代には「小冶田」、「小墾」、「尾冶」とも書いたという。 小針の中心に「尾張神社」があるが、この周辺には、古墳時代を中心とする遺物散布地が濃密に分布していて、小針には、早くから大規模な集落が営まれていたと考えられる。また、かつて土器田・鏡田・一色畑・政所などの地名が存在しており、古代社会の存在を物語るものと言われている。
「尾張名稱発源之地」の石柱碑は、昭和十五年十一月に北里村青年団の献金によって建立されたものである。

尾張には高針、平針、大針など同じ系統の地名があり、小針が尾張の地名発祥地とは考えにくいと思われます。尾張氏がこの地にまで勢力を拡大した結果、例えば尾冶と表記されそれが小針に転じたのではないでしょうか?

続いて西村説に基づき、尾張一宮となる真清田神社(ますみだじんじゃ)を見ていきます。


大きな地図で見る
神社の位置を示すグーグル地図画像。

087_convert_20130412105806.jpg
名鉄一宮駅です。

一宮市の人口約38万人からするとあまりにも立派すぎる駅舎です。藤沢市は約41万人なのに駅は小さく、とても比較にはなりません。一宮の一つ手前の駅が妙興寺で物凄い巨刹であるため、「 尾張に杉田(過ぎた)の妙興寺」との言葉が生まれました。杉田はこの一帯で多い名前だそうです。となると、「一宮に杉田の一宮駅」なんて言葉も生まれそうです。

いい加減な言葉を作ってはいけないので念のため調べてみると、愛知県全体で杉田姓は653人で、最も多いのが岡崎市の150人。次いで豊橋市の59人。一宮市は僅か10人との結果でした。杉田姓の主力は三河に多いと理解されます。「 尾張に杉田の妙興寺」と言う言葉はちょっとおかしいですね。

駅前の広い歩道を歩くとイスラムの教会みたいな建造物が見えてきました。

086_convert_20130412105835.jpg
ドーム状の建造物。

085_convert_20130412105902.jpg
実はアーケード街でした。その先に真清田神社が見えています。

073_convert_20130412105923.jpg
真清田神社。さすが尾張一宮。ただただ立派の一言に尽きます。

075_convert_20130412105949.jpg
神門の手前に神橋があり、渡ってはならぬと刻まれています。

076_convert_20130412110018.jpg
拝殿です。

080_convert_20130412110042.jpg
解説板。

創建の由緒が書かれています。神武天皇33年とは紀元前628年となるので、恐ろしく古い神社となります。社伝では、天香山命がこの地を開拓した天火明命の御霊を勧請したのが始まりとされ、祭神は天火明命です。解説板には八頭八尾の龍に関する記載もありますが、木曽川水系の流れをそう表現したようにも思えます。いずれにしても、典型的な尾張氏の神社に見えるのですが…。

081_convert_20130412110105.jpg
摂社の服織神社。


一宮は織物が盛んだったので服織神社が鎮座しているのでしょうか?祭神の萬幡豊秋津師比賣命は天火明命の母神で、機織りの祖神とされ、社殿は昭和40年(1965年)に造営されています。

真清田神社を見終わりました。さて、天火明命は御子である天香山命を伴って神武33年に大和葛城の高尾張邑から一宮の地に降臨したのでしょうか?

                 熱田神宮の謎を解く その46に続く
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

酔石亭主

FC2ブログへようこそ!