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無量寿寺かきつばた園 その4


在原業平の伝説で有名となった三河八橋には、東海道や鎌倉街道を行きかう人々が数多く訪れ、紀行文や和歌・俳句を残していきました。伝説がこうした人々の手により歴史として固定化されたのです。

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在原業平の銅像。

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から衣の歌に関連する石碑。

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から衣の歌碑。達筆過ぎて歌を知らなければとても読めません。

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業平の井戸。ここで本当に水を汲んだのでしょうか?

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八橋の地名由来に関する解説。

「知立市史」には、伊勢物語はあくまでも物語であり、説話であるので、歴史上の人物としての業平が実際に東下りしたというのは疑わしい。と書かれています。しかしほとんどの方は、八橋が業平にちなんだ史跡であり、長い歴史を持つ名勝であると信じて疑わないでしょう。これは、八橋の地名由来と業平の伝説が千年の時を経て歴史となり、史跡・名勝となる経緯を示す好例とも言えそうです。

ところで金春流の能に伊勢物語から材を取った「杜若」があります。「杜若」の作者は金春禅竹(こんぱるぜんちく、1405年?~1470年?)で、金春の名は彼の曽祖父に当たる26世毘沙王権守(びしゃおうごんのかみ)の童名を取ったものです。「杜若」に関しては以下を参照ください。
http://www.tessen.org/dictionary/explain/kakitubata

禅竹は大和猿楽の祖である秦川勝の子孫を自称しており、村上天皇の御世に川勝の末裔である秦氏安が紫宸殿で「翁」を演じました。この氏安が猿楽大和四座の一つ円満井座の中興の祖となります。円満井座の中心的な太夫として活躍したのが毘沙王権守で、その子金春権守は流儀の基礎を築き、権守の孫が金春禅竹となります。

円満井座の系図は以下を参照ください。
http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y01/htmls/nou/html/N20/p001.html

毘沙王権守が秦氏安より26代目で、長子・光太郎が27代、その子毘沙王次郎が28代と続き、毘沙王権守の三男金春権守の子・弥三郎が29代、弥三郎の子である氏信が30代で、この氏信が禅竹となるようです。七郎元氏は禅竹の子となります。

毘沙王とは毘沙門天のことと理解され、当時は毘沙門天=秦川勝との考え方があったようです。なお、毘沙門天は以前にも書いたと思いますがミトラ神であり、ミトラ神は弥勒菩薩であり、秦氏の信仰に係わってきます。

八橋の地名が八幡と似ていること、八橋の地名由来には秦氏と思われる羽田玄喜の名があることなどから、禅竹は「杜若」を書いたと考えるのは穿ちすぎでしょうか?

三河八橋における在原業平ストーリーや杜若姫の話は史実なのか伝説なのか、また秦氏は関係してくるのかなどを、次回で全く別の視点から考えてみます。
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