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無量寿寺かきつばた園 その7 東海市の在原業平伝説

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05 /21 2013

今回は東海市の在原業平伝説を別の面からも探っていきます。東海市には荒尾町と言う町名があります。


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荒尾町を示すグーグル地図画像。

荒尾町の地名は荒尾氏に由来すると思われますが、ご住職によれば荒尾氏の家系図には在原業平の名前があるとのこと。荒尾氏が業平の後裔氏族だとしたら、ますます業平伝説が確固たるものになりそうです。これが事実なのか、取り敢えず図書館で調べてみました。「東海市史」は荒尾氏について詳しく書いています。内容は大略以下の通り。

荒尾氏の出自に関しては諸説あり、まず在原氏説があるとのこと。「寛永系図」(1641年~43年成立)など江戸時代の系譜類は家伝を引いて荒尾氏を在原業平の末流とし、太田亮氏の「姓氏家系大辞典」もこれを採っているため最も広く知られているそうです。さらに戦国時代より荒尾氏自らが在原業平末流を称していたのは事実である、と書かれていました。

この記述だけで荒尾氏が業平の後裔氏族であると断定はできませんが、少なくとも、当地に業平伝説が存在していたことから荒尾氏が業平の末流と称した可能性は否定できないと思われます。

「東海市史」には、業平の死後村人たちが五輪の供養塔を建てたと記載あります。供養塔(五輪塔)の設置に関しては、業平自身、藤原道武、村人など諸説あると理解されます。「東海市史」の記述を続けます。別の記録によると、業平は伊勢から船で知多郡大里村に渡り、そこから富田村に辿り着いた。業平は富田村にしばらく留まり、一男をもうけ、在原小次郎と名付けた。小次郎の子が荒尾次郎で、それからこの地方を荒尾と呼ぶようになった。

また荒尾次郎が出家して大野村に一寺を創建した。これが光明寺だという。業平の遺跡はまだ他にもあり、富木島町西才道の車返しとか、御所屋敷と呼ばれる辺りに業平の住居があったという。加木屋町美女の脇には、業平烏帽子塚がある。業平の愛人を葬ったところだという。

「東海市史」を読むだけで、実にたくさんの伝承や遺跡があると理解されます。「東海市史」が「別の記録によると」、と書いているのでどの記録か調べたところ「尾張国知多郡誌」に似通った記述がありましたので、これを主に引いて書いているものと思われます。

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「尾張国知多郡誌」の一部分。やや読みづらいです。

いずれにしても、「張州雑志」、「尾張徇行記」、「尾張国知多郡誌」などの諸史料に在原業平の存在が遺跡や伝説、系図などの形で記されていることが明確になりました。確認はしていませんが他に「尾張志」にも記載あるようです。

在原業平の東下りがたとえフィクションであったとしても、これだけの内容が揃っていることから判断して、三河八橋における業平伝説の本家・本元は東海市であると考えてほぼ間違いなさそうです。

ではここで、まだ解決していない問題を取り上げましょう。在原業平を追いかけてきた女性の名前は、アヤメ、杜若姫のどちらなのかと言う問題です。答えはもちろんアヤメになります。でも、本家・本元は東海市だからアヤメになる、では完全な答えになりません。正解は、アヤメが3文字しかないため五七五七七の頭に読み込めず、業平はやむなくアヤメに似た花で5文字あるカキツバタに変えてしまった、です。(注:これはあくまで酔石亭主の勝手な推測です)

以上で、三河八橋と東海市における在原業平伝説の比較検討は終わりです、と言いたいところですが、まだ一点残っています。そう、秦氏の関係です。在原業平伝説と秦氏の係わりについては次回で検討します。

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酔石亭主

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