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東三河の秦氏 その30 養蚕と機織り


今回から「東三河の秦氏」シリーズ第3部・養蚕と機織りに突入します。当初は養蚕と機織りなど秦氏や徐福の謎よりずっと簡単だと高をくくっていましたが、取り掛かってすぐ予想以上に手強いテーマだと思い知らされました。

また記事の内容が東三河限定のローカル的なものと受け取られそうで、秦氏や徐福の話ほど面白くない印象を与えそうです。(実際には様々な古代史の謎と連結していて普遍性があり、とても面白いのですが…)。まあ、第4部の前段として触れざるを得ないテーマでもあるので、長くなりそうな気もしますがお付き合いください。

さて、死と再生を司る一族・秦氏の職掌・得意技の一つに養蚕や機織りがあります。具体的には、秦酒公が養蚕を広め庸、調の絹や絹織物を朝廷にうずたかく積んで献上し、雄略天皇から太秦の姓を賜ったとの記事が「日本書紀」に見られます。詳細は「記紀・風土記の秦氏 その5」にも書いているので参照ください。

また、京都の太秦には秦氏の神社・蚕ノ社が鎮座しています。蚕ノ社に関しては以下を参照ください。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/konoshima-jinjya.htm

上記から秦氏と養蚕・機織りの関係は明確です。一方秦氏の存在が確認される東三河においても、古くから養蚕や機織りが盛んであり、変態を繰り返す蚕は死と再生の象徴とされています。このように繋げれば、東三河の養蚕と機織りに秦氏の関与があると言えそうですが、事はそう簡単ではありません。

機織りは天照大神の死と再生の場面にも登場してきます。天照大神が忌服屋に座して、神御衣(かんみそ)を織っている時、スサノオが天の斑馬を投げ込み、驚いた天の服織女は梭(ひ、機の横糸を通す道具)で女陰を突いて死んでしまいます。これに激怒した天照大神が天の石屋戸にお隠れになり、世界は真っ暗闇になりました。ここは日本神話における最も重要な場面ですね。(注:文脈からすれば死んだのは巫女段階のアマテラス自身)

このストーリーと関係するのか不明ですが、秦氏の神社である蚕ノ社の正式名称が木嶋坐天照御魂神社であるのも象徴的です。以上のように、太陽神・天照大神の死と再生ストーリーに機織りが関係し、死と再生を司る秦氏は養蚕や機織りを自らの職掌としていることから、天照大神と秦氏は深層部において密接な関係にあると推定されます。

そこで、東三河における養蚕・機織りの検討から、秦氏や天照大神の存在が浮き彫りにできるのではないかと考えました。もちろん狙い通りうまく行くかどうかは何とも言えません。でも、どこにとっかかりがあるのでしょう?東三河に秦氏の存在は確認されましたが、秦氏と養蚕との関係を示す史料などなさそうです。

そんな場合には、いつものように地図とにらめっこします。地名に何らかのヒントが隠されている場合が多いからです。地図を見ていると、豊橋市の嵩山(すせ)の奥に神畑と言う地名がありました。神畑は神服が転じたものに違いないので、ここから始めたいと思います。


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嵩山、神畑を示すグーグル地図画像。この南の山を越した場所(同じ嵩山町)にも神畑の地名があります。

富士山麓の秦氏 その31」で山梨県の大幡川流域に加畑と言う地名があり、この地名は神服が転じたもので、秦氏の影響がある点を詳しく論じています。

さらに神畑は八名郡和太郷内かその近くにあり、和太は和田である点からも秦氏との関係が想定されます。問題は、こんな山奥に秦氏関連と推定される地名があることです。なぜかなと思いあれこれ調べてみると面白い情報が得られました。神畑=神服は、何と東三河の範囲を越えて浜松市に繋がっていたのです。

三ヶ日町には初生衣(うぶぎぬ)神社が鎮座し、小和田哲男監修の「静岡県謎解き散歩」(新人物往来社)には秦氏が関係する神社と書かれていました。けれども、創建の伝承からは秦氏の関与は窺えません。秦氏との関連は一旦横に置いて、初生衣神社に関して大雑把に見ていきます。


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初生衣神社の場所を示すグーグル地図画像。

鎮座地は静岡県浜松市北区 三ケ日町岡本698。但し神社の名前は最大限画像拡大しても出てきません。静岡県神社庁にも記載あるのに妙ですね。具体的な場所は301号線の川を渡ってすぐ右手となります。

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初生衣神社です。神社の詳しい紹介はもっと後の回とします。

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解説板。内容は以下の通り。

当社は往古より浜名神戸(かんべ)の地に鎮座、伊勢神明初生衣神社または浜名斎宮(さいぐう)とも称され、機織(はたおり)の祖天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)を祭る。神服部家(かんはとりけ)の旧記によれば、久寿(きゅうじゅ)二年(1155)以来、境内の「織殿」において、三河の赤引の糸をもって御衣(おんぞ)を織り、八百年の長い間毎年皇大神宮に奉献した古例を有する他社に比類のない古社であって、当社が遠州織物の発祥の地として遠近の崇敬を集めているも偶然ではない。先年奉献の古例が復興された。…以下略

由緒の中に浜名神戸とあります。神戸(かんべ)とは、伊勢神宮へ貢物を奉献する神領地を意味しており、「神宮の封戸」の略称です。浜名神戸の名前から、浜名郡は伊勢神宮との関係が深い地であったと理解されます。御衣(おんぞ)は天照大神の着衣用の布で、その原料となる「赤引の糸」は三河産(三河大野)となります。東三河における養蚕と生糸がもう伊勢神宮にリンクしてきました。

初生衣神社の近くには濱名惣社神明宮(鎮座地:浜松市北区三ヶ日町三ヶ日大輪山122)があり、神社鎮座地は浜名神戸の本拠地とされています。鎮座地は初生衣神社の地図画像を参照ください。摂社・天羽槌雄神社と記載ある場所が濱名惣社神明宮に当たります。これもちょっと妙ですが、画像をさらに拡大すると出てきます。

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濱名惣社神明宮。拝殿が新しく神域もすっきりしすぎています。

濱名惣社神明宮に関して静岡県神社庁のホームページには以下の記載がありました。

浜名の惣社として又浜名神戸の本拠地として崇敬されてきた。延喜式神明帳(901~922)の遠江国浜名郡、英田神社に当り式内社である。本殿は浜名神戸より伊勢神宮へ貢進品の収納庫として使われたと云われ板倉造(井籠造)という全国でも類の少ない古式の形式で国の重要文化財に指定されている。特殊神事「夜半の御饌」がある。又、特産である「三ケ日みかん」を伊勢神宮に献納する神社でもある。

静岡県神社庁の濱名惣社神明宮のホームページは以下を参照。
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4415060

濱名惣社神明宮をざっと見たところで、初生衣神社に戻ります。

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初生衣神社の織殿に関する解説板。織殿は初生衣神社の写真にある茅葺の建物。

史跡 織殿 往古「加止利」ト称スル文帛(シドリ)ヲ織リテ伊勢神宮ニ納メタコトガアッタガ、後年ハ生糸ヲ三河国大野ニ取リ神衣料荒妙絹ヲ織リテ之ヲ献ズル例トナッタ…以下略

遠い昔は「加止利(かとり)」と称する布を織って伊勢神宮に納めたことがあったが、後年は生糸を三河国大野より調達して、神衣用の荒妙絹を織ってこれを献ずるようになった。(注:荒妙とは一般的には麻布を意味しますが、ここでは荒く織った絹を意味している模様)

初生衣神社と濱名惣社神明宮について大雑把に書いてきましたが、これだけでは何もわからないのと同じです。初生衣神社の創建も1155年と比較的新しく、もっと古い時代がどうであったのかも調査が必要でしょう。ただ、秦氏地名かもしれない神畑は神服部氏と伊勢神宮の関係に由来している可能性が高いことになります。

これはかなり錯綜しそうなので、相当視野を広げた上で見て行かないと木を見て森を見ずの状態になりかねません。そうならないよう、ストーリーを組み立て直して考えたいと思います。神畑→神服は伊勢神宮や機織りと関係している点を視野に入れ、最も古い時代から整理し直していきましょう。

                東三河の秦氏 その31 養蚕と機織りに続く
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