FC2ブログ

人類進化の謎を解く その4

人類進化の謎を解く
06 /10 2010

前回、どれだけ外的な変化があっても、内的な変化がなければ、ヒトへ移行したとは見做せないと書きました。例えばチンパンジーはある種の自己意識を持ち、道具も使用でき、多少の二足歩行さえするので、外的にはほとんどヒトと変わりありません。

ところが彼らは自分を取り巻く世界内の存在に過ぎず、その存在は、自然界の許容能力の範囲内に限定されてしまいます。彼らがヒトのように、自然界と調和した段階を超えることはないのです。サルは自然界の範囲内にあるが、ヒトは自然界の範囲を超えてしまった。そうなる決定的要因は内的変化にあったのです。

では、内的な変化はどのようにして発生したのでしょう?そこで前回説明した性に関する部分をもう一度思い起こして下さい。発情期を察知できなくなったヒトは、視覚回路を介して性欲を常時起動できるようにしました。

発情期に限定された性交渉から常時発情への変化は、ヒトの脳内に性を司る内部領域すなわち心的な領域が形成されたことを意味します。絶対の危機に直面したことで飛躍が起き、ヒトの脳内に性に関する観念の領域が形成されたのです。脳内に一旦この領域が形成されれば、最終的には、性的な想像や妄想だけで性欲の起動が可能となるのです。

このように、自然界においてありのまま存在できなくなるという絶対の危機は、自然界と自分自身を自己内部で分離、加工して、加工された環界(=身体と自然界の双方)に対して新たな心的領域が対応するような構造を、ヒトの祖先の内部に生み出していきました。

ヒトは自然界とその中に存在する自分自身をも対象化し、客観視することで、サルより高次の意識領域を持ち、その領域の存在により、環境改変の能力を持つのです。

以上のような経緯で、動物では決して見られなかったある種の抽象化された内部領域、言い換えれば心的な領域=自我や観念の領域、がヒトの内部で形成されました。ヒトの祖先は、身体と自然界の双方から疎外された領域を、自分の内部で自己分離し、確定したのです。

話が少しややこしくなりましたが、簡単に纏めると、本能を基盤とする行動規範が、大地溝帯の発する気により崩壊したことで、自然界と自分自身はいずれも客観的な対象物として認識されるようになり、それに対応する心的領域がヒトの内部に形成された、ということです。

こうした経緯を経て、ヒトは本能的行動規範が崩壊した世界の中で、自分を保持するための新しい規範を獲得しました。また、自己を世界の中で客体視することにより、自らの中に自己認識が芽生え、遂にヒトとしての自己意識を獲得する段階へと至ります。

自己認識や自己意識の発生は、それを媒介として、他者も同様な認識・意識を持つとの理解に繋がっていきます。と同時に、既にご説明したような理由で言葉が発生し、同様な理解を持つ他者とのコミュニケーションにより心的領域は循環的に深化します。

それは二足歩行や道具の使用と相俟って、必然的に文明を生み出す道に連結し、この瞬間、ヒトは他の動物とは本質的に異なる方向へ歩み始めたのです。

ヒトとチンパンジーの全塩基配列の違いは1.23%で、重複配列、並び替えを考慮しても全ゲノムレベルで4%弱しか差がなく、同じ属であると判断されます。外見上、遺伝子分析上では差異がないも同然です。

従って、ヒトと、チンパンジーも含む他の動物との違いは―環界すなわち身体と自然界の双方から疎外された心的領域を内部に持つかどうか―ということに帰せられます。動物は自然界においてその範囲内で予定調和的に存在しますが、ヒトは自然界において予定調和的に存在できなくなった唯一の動物なのです。

ここまでの説明でまだ飲みこめない部分があろうかと思います。それは本能的行動規範が崩壊し、心的領域なるものが突然出現する経緯です。本能的行動規範の崩壊と心的領域出現の間には飛躍があるため、両者を論理的に繋げられません。ではこの問題にどう説明を付けるべきなのでしょう?唯一の答えは次の通りです。

この種の新しい領域の獲得には、常に、ある種の必然的な飛躍が伴います。絶対的ピンチに直面したときだけ発現するようなプログラムが刻印されていると言っても良いでしょう。新しい世界を開くためには、一旦死に直面し、その上で再生を果たすようなプロセスが不可欠です。死は一種の特異点。この特異点を経由することで、再生が果たされます。そのため、外部的観察からは、飛躍としか受け取れないのです。

例えば、非生命から生命への進化が起きた際も同じ構造が発現しています。意味がややわかりにくいと思いますが、この問題は別の機会に詳しく触れます。

言い換えれば、共通祖先がヒトへ進化するとは、ある存在が前とは全く違う存在に変容した、つまり相(フェーズ)が転移したということを意味しています。死と再生の象徴である蚕は、繭の中で仮死状態となり、蛾に変容して繭を割って外に出るのですが、このケースが相転移の説明にかなり近いと思われます。(そして蚕ノ社は秦氏の神社でした。彼らは死と再生の秘密を知っているのかもしれません)

いずれにせよ、種の崩壊に直面したヒトの祖先は、心的領域の形成により環界を改変することで、何とかこの危機を克服し、打開しました。けれども、自己の存立基盤が不安定である事実は、依然ヒトにとって大きな恐怖でした。ヒトは自己の存立基盤が崩壊する恐怖を隠蔽、抑圧し、自我を保護する目的で、環界の改変を加速していきます。

それは同時に、あるがままの自分として生きる道、つまり動物のように本能的行動規範に従う予定調和的生き方の放棄で、いばらの道になってしまいます。この過程をうまく乗り越えられなかったヒトの祖先の多くは、消滅を余儀なくされ、最終的にホモサピエンスのみが残存しました。

間断なく襲う危機と恐怖。この恐怖は、多少の努力により環界を改変しても、なお克服できるものではなかったはずです。ヒトの祖先は環界の改変をしゃにむに押し進め、自らの心的領域に対応する人工的環境までも形成していきました。

ヒトは自己の観念や共同なる幻想を際限なく生み出し、この世界に己が存立する場を作り出してきたのです。このようにして形成されていった自己観念や幻想の所産こそが、私たちの文化や文明、あるいは宗教なのではないでしょうか。

言い換えれば、ありのままでは生存を脅かされるという不合理な恐怖を隠蔽し抑圧することで、ヒトとしての進化の道筋が定まりました。文明や文化とは、ありのままでは存立できない自己を、この世界の中で存立させるために、ヒトが生み出した心的領域・幻想領域の実体化であり、自然の際限なき疎外と対象化であり、恐怖からの逃走やその抑圧だったのです。

文明というヒトにとって不可欠なものは、自己の存立基盤の崩壊という恐怖を隠蔽し抑圧することによって発生しました。これが、ヒトの経験する最初の抑圧で、原抑圧とも第一次抑圧とも呼べるものです。

ようやく私たちは、人類発祥の場面から文明社会へと至る筋道を見出したようです。ここまでに要した時間はおよそ500万年。気の遠くなるような長さですが、宇宙の歴史150億年に比較すればとても短く感じられますね。

また、「パワースポット探訪記」と「人類進化の謎を解く」の記事は、当初別個のカテゴリーとしてスタートしましたが、実は背後で密接にリンクしていました。秦氏や伊勢神宮の謎も先々これらとリンクしていきますが、その前に解明すべき謎が数多くありますので、しばしお待ちください。

近年パワースポットがブームとなっています。なぜかくも私たちはパワースポットに惹かれるのでしょう?私たちは、それが自分たちの出自に繋がっているということを無意識裏に理解して、惹かれているのかもしれません。

          ―『旧約聖書』創世記の謎を解く その1に続く―
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

酔石亭主

FC2ブログへようこそ!