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東三河の秦氏 その73 持統上皇東三河行幸の謎


持統上皇は宮路山を頓宮にして、しばし滞在したとされます。高天ヶ原は神話全体の主要な舞台ですから、それも当然ですね。と言うことで、標高362mの宮路山山頂に行ってみましょう。車を駐車場に入れ、歩き始めます。

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すると宮路古道切通しの案内板が…。内容は以下。

この地は、古代・中世の頃から東海道(古道)の宮路越えの通路に当たっていました。このことは更科(級)日記はじめ多くの紀行文に載っています。今から約530年前、応永20年(1413)に現在の東海道ができてから、宮路越えは無くなりました。


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古道切通し。

こんな場所を古代の東海道が通っていたのでしょうか?音羽の谷を抜ける方が簡単なはずなのに、古代の人々の考えはよくわかりません。そもそも、宮路山の前後はどう繋がっていたのでしょう?実地調査しないと何とも言えませんが、西は五井山へ、東は新宮山から広石方面になるのでしょうか?

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山頂。

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宮路山聖跡の石碑。

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裏面。逆光となって写真では読めないので以下に記載します。

此地往古官道ニ當ル且眺望絶佳ナルヲ以テ歌詠頗ル多シ
傳エ云ウ大宝二年持統上皇行幸ノ時御駐蹕ノ地ナリト
大正五年十一月建之


駐蹕(ちゅうひつ)とは天子が行幸の途中、一時乗り物をとめること。また、一時その土地に滞在することを意味しています。内容は「宮路山の地が古官道に当たり眺望も絶佳なので詠歌に数多く取り上げられた。言い伝えによると大宝2年持統上皇が行幸の時、一時滞在した場所であるとのこと」と言ったところです。

高天ヶ原である宮路山山頂からは、豊川や豊橋の平野が見渡せます。高天ヶ原から邇邇芸命は豊葦原中津国に天下りしました。東三河には「豊」の付く地名が異常なほど多いのはご存知ですね。豊橋には芦原の地名もあります。そして中津国(仲津)は秦王国である豊前国に存在した郡の名前です。東三河には豊前国同様秦氏の拠点があります。これだけ相似していたら偶然とは言えず、持統上皇が宮路山を高天ヶ原に擬したのは正しそうに思えます。

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山頂からの眺望。残念ながら霞んでいます。

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宮道天神社奥宮。この辺りに草壁皇子の住居があったのでしょうか?

さて、高天ヶ原である宮路山に天孫降臨に関係する持統上皇(=天照大神)、草壁皇子(=天忍穂耳命)、文武天皇(=邇邇芸命)が勢揃いし、宮路山から下った新宮山には出雲神話部分の大国主命、事代主命、建御名方命まで揃っています。岩戸隠れから天孫降臨に至る主要メンバーが東三河にいることは確認できました。

            東三河の秦氏 その74 持統上皇東三河行幸の謎に続く
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