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東三河の秦氏 その76 持統上皇東三河行幸の謎


今回は本宮山の前に見ておきたい場所があるので、そちらを先に訪問します。鳳来寺山から豊川に沿って下ると、長篠城址や信長本陣跡、家康本陣跡など戦国時代の歴史を偲ばせる場所があります。ただ、この時代は酔石亭主の守備範囲ではないので、すっ飛ばして石座神社(いわくらじんじゃ、鎮座地:新城市大宮字狐塚14)に向かいます。


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場所を示すグーグル地図画像。

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神社へと向かう石段と鳥居。

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解説板。

解説板にあるように、当社の創立年代は非常に古く、式内神社であり「三河風土記」には大宝3年(903年となっていますが、703年の誤り)9月奉圭田行神事とあり、長い歴史を持っていると理解されます。始まりは社名からも理解できるように磐座信仰が元になっており、背後の雁峯山には巨石がごろごろしているとのことです。磐座の写真は以下のブログを参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/familyplot1976/e/19f7da09c95ddda5ee455b103332282f

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参道と鳥居。

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鳥居の脇に荒波婆岐社(あらはばきしゃ)が鎮座しています。

祭神は豊石窓命(とよいわまどのみこと)、奇石窓命(くしいいまどのみこと)です。あまり聞いたことのない神様で、愛知県ではここだけでしょうか?アラハバキは門客神(もんきゃくじん)として祀られ、門客神とは神社の門におかれた客人神(まろうどかみ)を意味しています。

ここのアラハバキも門客神の立場通り鳥居の脇に鎮座しています。でも、なぜここに豊石窓命と奇石窓命が祀られているのでしょう?これらの神は天石門別神(あめのいわとわけのかみ)の亦の名であり、詳細は以下Wikipediaより引用します。

天石門別神(あまのいわとわけのかみ)は、日本神話に登場する神である。
『古事記』の天孫降臨の段に登場する。邇邇芸命が天降る際、三種の神器に常世思金神・天力男神・天石門別神を添えたと記され、同段で天石戸別神は又の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)といい、御門の神であると記されている。天孫降臨の段に登場する神の多くはその前の岩戸隠れの段にも登場しているが、この神は岩戸隠れの段には見えない。
天石門別神は古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神である。天太玉神の子ともいう。


Wikiには天石門別神は岩戸隠れの段には見えない、とありますが、それは当然でしょう。神の名を見れば天石門別神は天の石屋戸そのもの(或いはその門、或いは石屋戸を神格化した存在)を表しており、既に岩戸隠れの段に登場しているですから、改めてこの神名を記す必要はないのです。

いずれにしても、豊石窓命と奇石窓命の2神は日本神話の中核となる天照大神の天の石屋戸隠れと天孫降臨のいずれにも係わっている神なのです。それがなぜこんな場所で、しかも荒波婆岐社の祭神として祀られているのでしょう?不可解だとは思いませんか?

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拝殿です。

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神馬舎です。

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中には神馬さんが…。

解説板によれば、この馬は元は白い馬だったが、夜ごとに田畑を荒すので、格子造りの馬小屋に入れて黒く塗ってしまったら、もう田畑には出てこなくなったとの言い伝えがあるとのことです。

神馬さんはともかく、豊石窓命と奇石窓命に関してもう少し考えてみたいと思います。石座神社の祭神は、天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と天稚彦命(あめのわかひこのみこと)です。天之御中主尊は天地の初めの神です。天稚彦命は頂いた神社のチラシによると、穀物神として安孫子神社(滋賀県愛知郡秦荘町)などに祀られているが、祀る神社は少ないとのことです。

天稚彦命は天孫降臨に先立って葦原中津国に派遣されます。ところが高天ヶ原を裏切り復命せず、使いの雉を弓矢で射殺してしまいました。その矢が高天ヶ原まで届き投げ返された矢に当たり死んでしまうのですが、葬儀に訪れた味耜高彦根神(アジスキタカヒコネノカミ)があまりによく似ていたため、天稚彦命と勘違いされてしまいます。

「日本書紀」によれば、天稚彦命が矢に当たって死んだのは、「新嘗して休臥せる時なり」とあります。新嘗は穀物神の死と再生に関連する儀礼であり、天稚彦命の死と、味耜高彦根神の登場は、神の死と再生を意味していると考えられます。穀物神である天稚彦命が死と再生を司る秦氏の拠点秦荘において祀られているのも意味深いものがあります。また、石座神社の末社には保食社(うけもちのやしろ)もあり、穀物神である倉稲魂命が祀られています。

この神社境内には実に多くの摂社、末社があり、神社で頂いたチラシに詳しく書いてあるので他に関係しそうな社を見ていきます。

摂社・須波南宮社は建南方刀美命(たけみたかたとみのみこと、「古事記」では建御名方命)を祀ります。この神は天稚彦命の話に続いて登場する大国主神の子で、建御雷神との力比べに負け、諏訪に逃げて隠れます。その結果、大国主神は葦原中津国を天孫に譲ることになり、ようやく天孫降臨の準備が整ったのです。

末社・神楽社は宇須女命(うずめのみこと)を祀ります。こちらも岩戸隠れに関係する神様ですね。だとすれば、天照大神もいるはずですが、末社・伊雑社(いざわのやしろ)は伊雑大神を祀り、これは天照坐御神御御魂=天照大神となります。

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拝殿に向かって右側には児御前社(ちごぜんしゃ)が鎮座。

祭神は石鞍若御子天神(いわくらわかみこてんじん、石座石を神格化した神)で文徳実録によれば、石鞍の神が仁寿元年(851年)冬10月、従五位下の神階を与えられたそうです。

末社・金刀比羅社には大物主命が祀られています。末社・山神社には大山祇命が祀られています。大山祇命は徐福とされる説があります。

以上、石座神社にはなぜか岩戸隠れから天孫降臨に至るまでの神話に関連した神々が多く集結し祀られていました。他に例の少ない祀られ方と思われます。これは、東三河と言う現実の舞台装置において日本神話の全体を具現化し、心的に追体験しようとした持統上皇の隠れた意図の一端を担っているものと理解されます。

            東三河の秦氏 その77 持統上皇東三河行幸の謎に続く
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