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新春の真清田神社 その3


境内でまだ見ていない神社がありました。それが別宮・三明神社です。別宮と言うからには非常に重要な神様が祀られていると思えます。早速見に行きたいところですが、鎮座場所が本殿の真裏となっているようで、鍵の付いた鉄柵に阻まれ立ち入りできません。参拝者がいない時期なら神職の方に鍵を開けてもらい特別にお参りすることも可能なようです。けれども参拝者の多いこの時期に、個人的な便宜をお願いするなど失礼で不可能です。

困ったことですが、これでギブアップしていては話も前に進まないので、神社を一旦出て敷地の外から境内の裏手に向かってみます。神社境内の裏手は公園になっており、幸いそこから三明神社を拝することができました。

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裏見の三明神社。小高い位置にあるのでほぼ全体が撮影できました。

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もう一枚。

三明神社がどのような神社なのかを追及する前に、真清田神社の全体像を考えていきたいと思います。真清田神社は尾張国一宮であり、主祭神は尾張氏の祖となる天火明命で、摂社の服織神社には天火明命の母神・萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)が祀られています。尾張国一宮の神様が尾張氏の祖神とその母なら、祭神は全く問題なさそうに思えます。

ところが、天火明命が主祭神とされたのは実質的には明治時代となります。それ以前を調べると、中世が大己貴命、近世には国常立尊となっていました。国常立尊は根源神であり、抽象的な存在なので検討対象から省いてもいいでしょう。となると、大己貴命が真の祭神である可能性が浮上してきます。尾張国最上位の神様は尾張氏の祖神なのか、或いは出雲系の大己貴命なのか、少々厄介な問題を様々な視点から検討してみます。

いつものことですが、歴史の謎を調べるにはまず地名から入ります。和名抄によれば、一宮市は尾張国中島郡美和郷に含まれます。美和郷の範囲は予想以上に広く、一の宮村を本拠と為し、北は三輪川の酒神社(倭姫命の元伊勢・中島宮所在地)、西は南木、宮地花池、南は妙興寺から氏永、国府輪まで及んでいます。現在で考えると、名鉄の今伊勢駅から名鉄国府宮駅辺り(尾張大国霊神社)までが美和郷の南北軸になりそうです。


大きな地図で見る
美和郷の範囲を示すグーグル地図画像。

美和郷の南北はほぼ画像の範囲と思われます。かなり広い地域に美和郷が広がっていると理解されます。美和郷は「東三河の秦氏」でも出てきましたが、出雲族の土地となります。尾張国最上位の真清田神社は美和郷の本拠地に鎮座しており、そこは出雲族の居住地だったことになります。真清田神社の基層に出雲族が存在するのであれば、奉斎する神が大己貴命であっても不思議ではありません。美和郷の領域図(注:全域ではありません)は「熱田神宮の謎を解く その46」を参照ください。

こちらの記事でも真清田神社に関してあれこれ書きました。しかし、内容は不十分で分析も甘かったと思います。今回で何とか補足して納得のいくものにしたいのですが、どこまで書けるのやら悩ましい限り。まあ悩んでいても始まらないので、真清田神社の祭神に関して検討を続けます。次の取っ掛かりは神社の由緒から始めるのが筋でしょう。

まず以下の真清田神社関連ホームページを参照します。
http://www.jinja.in/single/113981.html

この中に、「尾張氏の一部が尾張国中嶋郡に移住した時に、祖神である天火明命を祀ったのが起源と考えられています」、「当社の鎮座は、社伝によれば神武天皇33年。」と記載ありました。(注:神武天皇33年は前回でご紹介の解説板にも書かれています)

神武天皇33年に尾張氏の一部が尾張国中嶋郡にまで移住して、勢力を伸ばしたとは考えられません。この時代に勢力を持ち得る一族はやはり出雲族と想定されます。もう一つ気になる記事を見ていきます。内容は次の通り。「平成5年には境内裏山に別宮三明神社を御造営し、荒魂を御奉齋しています 」

ここで最初に見た三明神社が出てきました。別宮三明神社の神様は荒魂とありますが、どの神様の荒魂なのでしょう。常識的に考えれば、本宮に鎮座する天火明命の荒魂となります。しかし、天火明命の荒魂など聞いたことはありません。ネット上に荒魂は瀬織津姫との見解もありましたが、その場合、元の神様は女神・天照大神となるはずです。現時点で元の神様を特定はしないものの、男神に間違いはなく、男神の荒魂が女神になるなどあり得ません。さらに瀬織津姫は境内社の愛鷹社にて祀られており、三明神社の祭神が同じ瀬織津姫ではおかしな話になります。

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愛鷹社。

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もう一枚。祭神に瀬織津姫が入っています。

三明神社の祭神は後で検討するとして、真清田神社の全体像を探ります。一宮市の図書館は駅ビル内にあって実に便利なので、こちらで調べてみましょう。本棚には、「真清田神社史」や国立国会図書館蔵の「真清田神社御由緒復刻版 天火明命の謎にせまる」などがありました。「真清田神社御由緒復刻版 天火明命の謎にせまる」を開くと、「創立の事」という項目が最初に出てきます。

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創立の事の記事。概要を以下に記載します。

神社神明細帳によれば当社の創建は崇神天皇の御代のこととされるが、当社の社記によれば、神武天皇33年3月3日、天香山命(天火明命の子)がこれを斎き祀った。天香山命の別名は高倉下で、熊野にいて神武天皇東征の折に神剣を献上して大功があったので、天皇の侍臣となり大和の高尾張邑にいたが、尾張国に遷し国を開拓した。父の天火明命を尊び海中島、嶼(こじま)の地を斎き祀られたのが今の中島郡である。往古から毎年3月3日を大祭日と定めた。

以上から、真清田神社は神武天皇33年3月3日に天香山命が父神・天火明命を祀ったのが始まりと理解されます。ところが、別名の高倉下は物部氏であり、尾張には既に書いたように物部系の影響も見られます。例えば、熱田区に鎮座する高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)は熱田神宮の境外摂社で祭神は高倉下です。

また、海中島、嶼(こじま)の表現から、かつてこの地は海に浮かぶ中島であったと理解されます。以前ご紹介した尾張古図も、この記述内容に見合う形となっています。尾張古図はこちらを参照ください。
http://akon.sakura.ne.jp/gojo/ow-kozu.html

さらに、旧暦の3月3日に催された例大祭・桃花祭(現在は4月3日)は、創建月日にちなんで決められたものと理解されます。

以上から、尾張の地も大和とほぼ同様に、出雲族が基層にいて、物部氏が入り、その後勢力を拡大した尾張氏が支配権を得た形になっているようです。尾張氏を天孫系に読み替えれば全く大和と同じ形となりますし、倭姫命の元伊勢も中島郡の現・酒見神社となります。真清田神社鎮座地のありようはほぼわかったのでさらに検討を進めます。「熱田神宮の謎を解く その46」で以下のように書いています。

ところで、一宮市には大神神社(おおみわじんじゃ)が鎮座しています。鎮座地は一宮市花池2-15-28。この神社に関しては以下Wikipediaより引用します。

旧鎮座地の地名は大和町宮地花池(現在の古宮公園の位置)であり、大和国から移り住んだ人々が創始したともされる。他に、天火明命(尾張氏の祖神)の十世の孫である大美和都禰命(オオミヤツネノミコト)が祭神であったとする説もある。神紋は桜井市の大神神社と同じ三杉である。当社が尾張国一宮であるとする説があり、近くには同じく尾張国一宮とされる真清田神社がある。大神神社の社伝では、大神神社と真清田神社を相殿として一宮としたと伝える。


いかがでしょう?大神神社と真清田神社は共に尾張国一宮で、大神神社の社伝では、大神神社と真清田神社を相殿として一宮としたとのことです。両神社は極めて近い関係にあることから、祭神も同じかもしれません。真清田神社における祭神の謎にも迫れそうなので、もっと詳しく調べる必要があると思われます。と言うことで、早速大神神社に行ってみます。一宮駅からはやや遠いものの歩いて行ける距離です。


大きな地図で見る
大神神社の位置を示すグーグル画像。

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歩いていると、幟立公園に案内板がありました。

案内板にある薬師寺は大神神社の神宮寺だったようです。また大神神社の北西に古宮公園があります。名前からすれば、大神神社のかつての鎮座地はこちらだったことになります。

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薬師寺。

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大神神社の鳥居と石柱。

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拝殿。

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拝殿内部。

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賽銭箱。神紋は三本杉で、当然のことながら大和の大神神社と同じです。

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解説板。内容は以下。

崇神天皇の御代、疫病が流行したときに天皇が祀った神々の一柱。大和の国の一の宮大神神社の祭神で、三輪の神とよばれ、大國主神(大國様)の別名がある。大和の大神神社と同じく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。鎮座地の花池は水が美しく、蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。奈良時代に國司が赴任して、國中の神社を代表として國府宮の「尾張大國霊神社」を尾張の総社に指定、次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」ということで「尾張の一宮」に指定した。「文徳実録」「尾張國帳」には従一位大名神とあり三宮明神、三明神(神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があった)と称せられ、延長五年延喜式神明帳には式内社とあり勅祭神社であったことが判る。尾張の國中には、大名神八座、小一二三座あって、当時の大名神八座の一座である。

大神神社の祭神は大物主神とのことで、解説板には極めて重要な記述が見られます。例えば、『「文徳実録」「尾張國帳」には従一位大名神とあり三宮明神、三明神(神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があった)と称せられ、…中略…当時の大名神八座の一座であるとあります』の部分です、

まず重要なのが、大神神社は三明神と称せられていた点です。真清田神社の別宮・三明神社との関係が想定されます。大神神社は当時の大名神(=名神大社)八座の一座とあります。この八座は、熱田神宮とその摂社の計四社、大縣神社、真清田神社、一宮市大和町於保に鎮座する大神社、そして大神神社となります。

つまり大神神社は尾張国の錚々たる神社に肩を並べており、しかも鎮座地は熱田荘に含まれるため、熱田神宮との関係もあったのです。熱田神宮を尾張国三宮とするのは全く理解に苦しみますが、大神神社を熱田神宮に擬して三宮にした可能性さえ浮上してきます。全く驚きですね。

真清田神社と大神神社の関係をさらに検討していきます。真清田神社を示す尾張名所図会を参照ください。

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尾張名所図会。

画像のほぼ中ほどの上に三本杉とあります。三本杉は大神神社の神紋であることは、既にご存知の通りです。神社の境内に三本杉があるのは大神神社すなわち出雲族の影響と考えられないでしょうか?さらに境内の西に三明神とあります。上記画像でははっきりしないので、拡大します。

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三明神の画像。

画像のほぼ真ん中に三明神が鎮座しています。現在は本宮の真裏ですから、江戸時代における鎮座位置は異なっていたのです。かつては境内の行きやすい場所に鎮座していたのに、現在は隠すような位置にあるのはなぜでしょう?明治以降祭神が天火明命に変えられたのと関係があるのかもしれません。ここで、「真清田神社史」をチェックしてみます。「真清探桃集 巻之第二」に参考となる記事があります。「真清探桃集」は真清田清圓が 1723年に著したもので、彼は尾張藩士ですが、後に真清田神社の神主となった人物です。

「真清探桃集」によれば三明神宮は本宮の荒魂であり、印珠宮とも称され、三種の印珠を秘蔵する故に三明神宮と号すとされます。また、真清と三明は一体としてニ宮、二宮で一徳とされるとのことです。つまり、真清田神社と三明神社は密接不可分なものとされており、この重要性に鑑みて別宮の第一とされているのです。

神記によれば本宮の西二十尺に社があり、これが三明神宮であり、三十歩先に小丘があってそこから鏡など様々な品が出土し、これは神社地鎮の具であろうとしています。三明神宮の位置は尾張名所図会と一致しています。また、様々な祭器が出土したことは三明神宮の重要性を物語っています。

さらに、最も重要な例祭である3月3日の桃花祭において二輛の山車が出るのですが、一輛は西車或いは先車と称し、三明神の車で、三明宮は本宮の西に坐すためそう呼ばれるとのことです。その後に続く車を後車と呼び、また東車と呼びます。これは本宮が三明宮の東に坐すためとされます。この記述は実に重要です。なぜなら、三明宮の車が本宮の車に先んじて動き出すからです。つまり、密接不可分な三明神社と真清田神社の両神社に関して、三明神社の方がより重要な位置にあると理解される内容となっているのです。

真清田神社と三明神社は密接不可分で、桃花祭の催行手順から三明神社の方がより重要に見え、真清田神社と大神神社も密接不可分な関係にあり、大神神社は三明神と呼ばれていたことになります。よって、真清田神社と大神神社は三明神社を介して密接不可分な関係にあると言えそうです。では、真清田神社と大神神社にとって三明神はどのような位置付けになるのでしょう?

ここで、津田正生著の「尾張国神社考」を参照します。真清田神社に関して、「或人曰(いわく) 真清田の本社は大国主、花池(大神神社)は大物主」とありました。大神神社に関しても記載があります。この中に「天野信景曰 当社は一旦荒廃したので、御正体を真清田宮に蔵す。別宮の故なり」と記載ありました。

なお、大神神社の方の話では御正体はその後戻ったとのことです。(注:天野信景は江戸時代中期の国学者、尾張藩士で、「尾張国神名帳集説」(本国神名帳集説)の著者です。御正体は神仏習合の本地垂迹説に基づく考え方で、本地仏を表し、平安末~鎌倉初期ごろ鏡に仏像を浮き彫りにして神社に奉納されたもの。三明神社の三明も仏教的な匂いがします)

さらに「里人曰 三明神の舊地は今の宮地より乾二町ばかりで畔名を舊宮とも呼ぶあたり」と書かれています。やはり、古宮公園の辺りが旧鎮座地だったのです。

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古宮公園。

神社跡地を示すような痕跡は何もありませんが、地名が残り公園の名前になったため、神社旧地が特定できました。いかに地名が大事か理解される好例です。

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「ふるみやこうえん」の表示板。

ここまでを纏めてみます。真清田神社(本宮)の別宮である三明神社は本宮の荒魂を祀り、桃花祭の催行手順からして、本宮よりも重要な存在として位置付けられています。その三明神社は三明神と呼ばれている大神神社の御正体が遷されたものでした。大神神社の祭神は出雲系の大物主神となっています。

別宮三明神社と大神神社の上記関係を踏まえれば、三明神社の祭神は大物主神となってしまいます。一方、三明神社には本宮(天火明命)の荒魂が祀られているとされます。でも、天火明命の荒魂など聞いたことがなく、有力候補となる大物主神は大国主命の幸魂奇魂であり、荒魂ではありません。相互に矛盾しどちらの神も当てはまりそうにない問題をどう理解すればいいのでしょう?

真清田神社と大神神社の関係から真清田神社の祭神を大物主神と仮定してみます。すると、大物主神の荒魂が大国主命となり、三明神社は本宮(大物主神)の荒魂である大国主命を祀る形になって筋が通ってきます。(注:荒魂の逆は和魂で、和魂に幸魂奇魂が含まれるとも解されていますが、荒魂の逆を幸魂奇魂するにはややずれがあります)

次に、このような形となる経緯を推測してみます。真清田神社に遷された御正体はいつの頃か大神神社に戻されました。すると、三明神社は空っぽになります。困った真清田神社は、三明神社に大物主神の荒魂である大国主命を祀ったのではないでしょうか?当時の真清田神社本宮の祭神は大己貴命ですから、三明神社祭神が大国主命であっても、「真清探桃集」によれば真清と三明は一体であり特に問題はなさそうです。

上記の解釈が正しいか100%の確信はありませんが、いずれにしても原初の真清田神社は出雲系の人々が祀っていた社と考えて間違いなさそうです。時代が下り尾張氏が勢力を尾張北部まで伸長させた時点で、この神社も尾張氏の関係する神社としての扱いになったのでしょう。

まだ微妙な部分が残るものの、以上から真清田神社本宮の本来の祭神は出雲系の大己貴命で、三明神社の祭神は大国主命としておきます。

今回も単なる真清田神社の紹介ではなく謎解きとなってしまったので、記事カテゴリを「熱田神宮の謎を解く」に含め「その50」としておきます。
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