FC2ブログ

英比丸と久松氏の坂部城


このところ阿久比町の歴史をあれこれ探索しています。阿久比の地名が最初に出てくるのは藤原京の木簡であり、「阿久比神社」の記事において以下のように書いています。

「あぐひ」の地名は藤原宮跡から出土した甲午年(西暦694年)9月12日の木簡で、「阿具比里五☐☐部」と記されていたのが初出となります。五☐☐部は五百木部氏(いおきべ)を意味しているようです。


五百木部氏の名前はあるものの、阿久比町にとって最も重要な人物は、やはり菅原道真の孫に当たる菅原雅規(すがわらのまさのり、=久松麿=英比丸=英比殿)であるのは間違いありません。雅規の幼名が久松麿であることから、阿久比に在住する雅規の後裔は久松氏を称し、徳川家康の生母である於大の方が久松俊勝に再嫁します。このため於大の子供たちは家康から松平姓を許され、その分家の末裔が元NHKアナウンサー松平定知氏となって今に至りました。

うんと大ざっぱに見れば、菅原道真→菅原雅規(=英比丸)→久松→松平と言う流れになるでしょう。菅原雅規の生誕年は延喜19年(919年)ですから、現在まで約1100年もの時間が経過していることになります。(注:Wikiには延暦19年(919年)とありましたが、延暦19年は800年となり、Wikiの記載は誤り)

問題は、菅原雅規が本当に阿久比・久松氏の祖となる英比丸かどうかで、この点をまず検討してみます。菅原雅規の官位は従四位上・左少弁とされ、官庁の監督官を務めていました。応和元年(961年)には因幡守を任官し、「類聚句題抄全注釈」によれば、文章博士(大学寮に属して詩文と歴史とを教授した教官)でもあり、山城守や和泉守など各国の国司を務めています。

一方、菅原雅規の父となる菅原高視(すがわらのたかみ、菅原道真の子)は、道真に連座する形で土佐に左遷され土佐介(土佐国の次官)となりますが、5年後には都に戻って大学頭に復帰。従五位上の地位を得ています。当時幼い菅原雅規が一旦阿久比に流されたにせよ、高視の復帰速度からすれば、より短期間で都に戻った可能性は十分ありそうです。けれども、時系列を見ていくと混乱しそうな事態に……。

既にアップした阿久比神社の解説板には以下のように書かれていました。

延喜20年(920)英比丸(麿)が社殿を造営し、60間四方の社地を寄進した。没後、天徳3年(959)「英比丸命」として合祀された。

菅原道真が昌泰の変により大宰府に左遷されたのは昌泰4年(901年)1月となります。道真に連座してその子である菅原高視(生没年は876年~913年)も延喜元年(901年)に土佐国に左遷されました。祖父と父親の左遷から判断すれば、菅原雅規も同時期の901年、阿久比に流されたと考えられます。そして阿久比神社の解説板通り延喜20年(920年)に社殿を造営したなら、その時点における彼の年齢は20数歳となり、ストーリーの辻褄は合いそうに思えます。

ところがです。菅原高視の子である菅原雅規の生誕年は延喜19年(919年)でした。これをそのまま受け入れると、実に珍妙なことになります。まず、菅原高視は913年に亡くなっています。高視が死んだ後の919年に高視の子である菅原雅規が生まれ、生まれた翌年の920年には阿久比神社の社殿を造営していることになってしまうからです。Wikiで菅原高視を検索するとこの矛盾(高視の没年913年、その子である雅規の生誕年919年)がそのまま記載されています。Wikiの内容は以下を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%AB%98%E8%A6%96

菅原雅規の没年が天元2年(979年)であることから、生誕年を道真左遷の901年以前の800年代終盤に持ってくると、寿命が当時としては異例の80数歳に引き伸ばされてしまい、やや辻褄が合いません。さらに阿久比神社によれば「没後、天徳3年(959)「英比丸命」として合祀された。」となるのですが、 菅原雅規の没年は天元2年(979年)であり、959年時点ではまだ亡くなっていないのです。上記のように基本的な部分で矛盾を抱えるのが、英比丸となります。では、この矛盾をどう解けばいいのでしょう?

まず英比丸伝説の核にあるのは、901年の道真左遷だと考えられます。それは道真の子である高視が土佐に左遷されたことからも、裏付けられます。この時点で菅原雅規はまだ生まれていません。だとすれば、901年時点で菅原一族或いはその関係者の誰かが、阿久比に左遷され、その中に幼少な童子がいたことになります。例えばその童子の生誕年を897年前後に設定すれば、阿久比に流された時点が4~5歳となります。

そしてその童子が立派に成人し、920年になって阿久比神社の社殿を造営するのは十分に考えられることになります。また、897年前後に生まれた英比丸が阿久比神社解説板通り959年時点で既に没しているとすれば、年齢的な辻褄も完全に合ってきます。

仮に英比丸が菅原高視の子である点を重視した場合、どんなストーリーが考えられるでしょう?高視は895年に三河掾(みかわじょう、下級官僚で国司の三等官)として三河国に下っています。その折に阿久比に立ち寄り、地元の女性と親しくなって翌年の896年に子供が生まれ英比丸と名付けられたとは考えられないでしょうか?その場合、時系列的には十分な整合性を保てることになります。また筋立てとしても、菅原道真→菅原高視→英比丸の流れとなり、英比丸が菅原雅規ではない点を除き、きちんと整ってきます。

結論として、英比丸は菅原高視の隠し子で菅原雅規とは別人、或いは菅原一族の誰か、或いはその関係者であったことになります。いずれにしても、菅原雅規=英比丸ではなかったのです。

菅原雅規は平安時代の貴族で文章博士であり、各国の国司として相当高い地位を得た人物です。そうした人物が阿久比にいたとしたら、阿久比に伝わる久松麿、英比丸、英比殿など、幼名か単に阿久比の男、久松の男と言うだけの具体性に欠ける名前ではなく、菅原雅規その人として事績が伝わるはずです。ところが阿久比に菅原雅規の名前は一切伝わっていません。それこそが、菅原雅規=英比丸ではなかった事実を表しているものと思われます。

ちょっと残念ですが、英比丸が菅原雅規でなかったとしても、阿久比における彼の重要性はいささかも減じることはないでしょう。ただ久松氏としては、自分の始祖を、隠し子か、名前のはっきりしない菅原氏系の誰かより、筋のしっかりした菅原雅規に繋げたかったのでしょう。そこで英比丸=菅原雅規となってしまったのです。

と言うことで、久松家創業の地である坂部城址(阿久比城址)を見に行きます。坂部城址は既にアップした「洞雲院」の目と鼻の先にあります。


大きな地図で見る
坂部城址を示すグーグル画像。

阿久比図書館の東隣の空き地が坂部城址で、お隣の阿久比町図書館もかつての坂部城に含まれるそうです。城址は現在城山公園として整備されています。

044_convert_20140222133104.jpg
城山公園入口の案内柱。久松家創業地と刻まれています。

045_convert_20140222133139.jpg
坂部城跡の解説板。

坂部城は久松俊勝の居城で、徳川家康の生母於大の方は天文16年(1547年)に俊勝と再婚、15年間ここで暮したとのことです。天正5年(1577年)には俊勝の長男である久松信俊(のぶとし)が佐久間信盛におとしいれられ、大阪の四天王寺で切腹。城も信盛の手勢に攻められて落城炎上したと伝えられます。切腹させられた久松信俊の墓も洞雲院にありますが、久松家や於大の方の遺髪墓がある場所ではなく、本堂裏手の墓でひっそりと眠っています。

057_convert_20140222133219.jpg
久松信俊の墓。

久松氏の系図はかなりややこしく以下のWikipedia記事を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E6%9D%BE%E6%B0%8F

以下のホームページは比較的わかりやすく纏められています。
http://kingendaikeizu.net/matudairasadatomo.htm

052_convert_20140222133259.jpg
城山公園です。

047_convert_20140222133347.jpg
城山公園の一角に畑地が。

046_convert_20140222133414.jpg
解説板。

048_convert_20140222133459.jpg
松平定知氏御来山記念の石柱。

定知氏の家系は、徳川家康の異父弟・松平定勝を祖とする伊予松山藩主久松松平氏の傍流で、明治維新後も久松姓に戻さず松平姓を保ったとのことです。

051_convert_20140222133534.jpg
磯村尚徳氏の石碑。

松平定知氏は磯村氏のいとこに当たります。定知氏の父である松平定堯の妹和代が陸軍中将磯村武亮と結婚し生まれた子供が尚徳氏となります。

049_convert_20140222133609.jpg
三つの石碑。

読みにくいのですが、左から英比大明神、大自在天(ヒンドゥー教の最高神格であるシバ神)、天照皇太神のようです。英比丸はここでも大明神として祀られているのですから、阿久比にとっていかに重要な存在か見て取れます。それほど重要な人物なら彼のお墓或いは供養塔があってもいいはずですが、ネット検索しても出てきません……。どうなっているのでしょう?

053_convert_20140222133644.jpg
阿久比古城址碑記。読みにくく長いので内容は書きません。

英比丸のお墓を探すため、阿久比町図書館に行ってみます。
スポンサーサイト



コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
01 | 2020/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる