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鎌倉の谷戸を巡る その21


『鶴岡八幡宮の謎を解く』で歩いた折、気ままに撮った写真をご紹介します。

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若宮大路にぽつんと置かれた人力車。

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若宮大路沿いにある酒屋の三河屋さんです。出桁造りの堂々とした商家建築です。

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鶴岡八幡宮境内にある斎館の庭です。

斎館は国内外の賓客をおもてなしするところで、流鏑馬馬場に沿っています。苔の緑がしっとりと落ち着いた雰囲気を醸し出しています。この季節、埃っぽくなくて鎌倉散策には向いています。多少雨でも降っていた方が風情も増すでしょう。

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若宮大路幕府旧蹟の解説石板です。

鶴岡八幡宮の東側を南に下ってすぐの場所にあります。近くには大仏次郎旧宅が・・・。現代で言えば、鶴岡八幡宮が皇居で幕府が国会議事堂と言ったところでしょうか。そんな場所に居を構えられたなんて、さすがに大仏次郎ですね。

ところで、藤原鎌足は由井の里で霊夢を見て、鎌を鶴岡八幡宮のある場所に埋めました。その後鎌足は鹿島神宮に向かいます・・・。
彼の行程に沿って、由井の里の白山神社と鶴岡八幡宮を結ぶ矢の軸のラインをそのまま延長して見ましょう。エッと声を上げそうになりますが、何と鹿島神宮と直線で結ばれてしまいました。これって偶然でしょうか?偶然にしてはあまりにも出来過ぎています。

そもそも鎌足は『大鏡』によれば、常陸国の出身で鹿島に氏の神を住まわせたとされています。また藤原一族が祀る奈良の春日大社は、鹿島神宮の分霊を奈良に迎えて造立されました。鎌足の出身は大和国説と常陸国説の二説があるのですが、彼の鎌倉での行動を見る限り、常陸説を採用したくなります。

しかも、鹿島神宮は中央構造線の最東端部に位置し、境内にある要石は地震を押さえているとされています。また鹿島の地下には蛇紋岩の巨大な岩体があって、磁気異常を引き起こしているとのこと。古代の最強氏族である藤原氏も、秦氏同様気の力を知る一族だったのでしょうか?

急に話題を変えます。島津氏は秦氏に連なる惟宗氏の流れを汲み、子孫の惟宗忠久が源頼朝から島津荘の地頭に任じられ島津と称したのが始まりとされているのですが・・・、この忠久、頼朝の側室である丹後局の子であるとの説もあります。今となってはどれが真実か不明ですが、頼朝と秦氏の系統があらゆる場面でニアミス寸前にまで接近していたのは事実でしょう。

           ―鎌倉の谷戸を巡る その22に続く―

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