尾張氏の謎を解く その1


今回から尾張氏の謎に挑戦します。一般的に尾張氏の謎と言った場合、古代史に興味のある方なら、それは尾張氏発祥(本拠地、本貫地)に関する謎であるとすぐにご理解いただけるはずです。尾張氏の発祥に関しては、大別して尾張国内発祥説と国外発祥説があって、各説の中にもそれぞれ異なる説が唱えられ、いまだ最終決着に至ってはいません。どうしてこんなに厄介なのか、書き始める前から頭を抱えたくなります。そんな難しさから、「熱田神宮の謎を解く その45~48」で尾張氏について書いた際も、表面を撫でるだけで終わってしまいました。

今回新たな記事タイトルで尾張氏発祥の謎に再挑戦するのは、尾張在住の酔石亭主がこの問題をスルーするなど全く情けない話だと思ったこと。以前尾張一宮の真清田神社について書く中で、尾張氏の祖とされる天火明命や天香山命の存在があまりにも薄いと感じられたこと、などによります。真清田神社に関しては「新春の真清田神社 その1~4」「熱田神宮の謎を解く その45~46」を参照ください。

尾張において天火明命や天香山命の存在感が薄いのはどのような部分でしょう?例えば、真清田神社の祭神が天火明命になったのは明治時代からで、江戸時代の神道家である吉見幸和が主張した説が元になっています。彼の主張はどのようなものか、酔石亭主の理解に基づき書き出してみます。

まず、真清田の真清(ますみ)は曇りのない鏡を意味しています。鏡と言えば、大和の鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)が連想され、天火明命が祭神となっています。さらに、他の祭神である鏡作部の遠祖・天糠戸命(あめのぬかとのみこと)は天火明命と同一神ともされています。この流れに沿って神社側の考え方を以下のように推測・整理してみます。

真清田神社は尾張国一宮→尾張国一宮の祭神は尾張氏の祖神・天火明命であるべき→ではどう筋道をつけるか。真清田神社の真清は鏡を意味する→鏡に関係する神社は大和の鏡作坐天照御魂神社である→同社祭神は天火明命、天糠戸命、石凝姥命(いしこりどめのみこと、鏡作部の祖神)となる→天糠戸命と天火明命は同一神である→真清田神社社名が鏡に関係し、鏡作部の遠祖・天糠戸命と天火明命は同一神で、天火明命は尾張氏祖神→よって真清田神社祭神が天火明命になって不都合はない。

とまあ、こういった思考経路を経て、真清田神社の祭神が天火明命に決められたものと推察します。(注:天火明命が鏡と関係する点は重要なので別途後の回で詳しく考察します)

上記ストーリーの筋道自体はある程度通りそうですが、天火明命は長い期間真清田神社祭神ではなかった訳で、影の薄さは否めないと思われます。(注:天火明命以前の祭神は国常立尊、大己貴命など)

尾張において天火明命や天香山命の存在感が薄い理由は他にもあります。尾張氏にとって最も重要な神社である熱田神宮において、天火明命は主祭神どころか五柱の相殿神(天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命)にも加えられていません。天火明命は熱田神宮境内の摂社孫若御子神社に祀られており、社殿もこじんまりしたものになっています。

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孫若御子神社。

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もう一枚。

この神社は平安時代既に存在し、愛智郡名神大4社の1社となっていることから、しかるべき格式は有しています。けれども、神社の名前から察知されるように、天火明命は天照大神の孫神としての位置付けにおいて重要視され祀られているだけで、尾張氏祖神としての位置付けは皆無なのです。平安時代の史料にも天照大神の御児神と記され、皇室の系列下にあるような扱いとなっています。

天香山命に至っては熱田神宮境内にも祀られておらず、境外摂社である高座結御子神社に高倉下(=天香山命)として祀られており、高倉下は以前に書いたように物部氏系の人物(神)となります。こちらも同様に「御子神社」とあることから、やはり皇室の系列下の神としての位置付けがなされているように感じられます。高座結御子神社に関しては「熱田神宮の謎を解く その23」と「その32」などを参照ください。

尾張において天香山命は小塞神社(一宮市浅井町)、尾張神社(小牧市大字小針)、三社大明神社(瀬戸市中水野町)、尾張戸神社(瀬戸市十軒町)、比良賀神社(犬山市)の5社(高倉下は除く)に祀られていますが、この神を祀る神社は越後、信濃、出羽などに多数存在し、本当に尾張氏の祖神なのか疑わしくもなります。

上記5社のうち尾張氏系神社と言えるのは尾張神社と尾張戸神社のみと思われます。(注:あくまで現段階における見方です。尾張戸神社は「熱田神宮の謎を解く その29」を参照ください。尾張神社はかなり後の回で登場する予定です)

小塞(おぜき)神社祭神は天火明命と天香山命で、正しく尾張氏系の神社と思えます。ところが、神社境内の古墳は小塞宿禰弓張のものと伝えられていました。小塞宿禰弓張は、「続日本紀」延暦元年(782年)12月条の記述によると、庚寅の歳(持統天皇4年で西暦690年)以降、居地の名にちなみ小塞の姓になっているので、小塞姓から元の尾張姓への改姓を奏上し、許されています。
 
小塞の姓は彼らの居住地にちなんでいることから、尾張国中島郡小塞を拠点とした在地豪族が尾張氏を名乗り、神社の祭神も天火明命と天香山命にしたものに過ぎないと考えられます。仮に彼らが尾張氏であるとしても傍流に過ぎません。また弓張は奈良時代の終わり頃の人物です。よって、(尾張氏系の)小塞神社祭神が天火明命と天香山命だから2柱の神は尾張氏の祖神だと主張しても、根拠はあまりに薄弱ではないかと思えます。

天香山命に関する疑問はこれだけではありません。尾張国における尾張氏の拠点は尾張南部地域の年魚市潟周辺とされています。ところが、上記の天香山命を祀る神社はいずれも尾張北部地域に集中しているのです。偶然と片付けるには無理があると思えませんか?この矛盾が生じた背後にも考慮すべき事情が秘められているはずで、検討を要する課題となるでしょう。

尾張氏の祖神の問題は後でじっくり考えるとして、尾張氏国外発祥説を大雑把に見ていきます。尾張氏国外発祥説の中には、大和葛城の高尾張邑発祥説、吉備・播磨発祥説などがあり、有力視されているのは尾張氏高尾張邑(現在の奈良県葛城市笛吹周辺)発祥説です。

葛城市笛吹には天香山命を祭神とする葛木坐火雷神社が鎮座しており、尾張氏国外発祥説を主張する論者は誰もがこの場所を取り上げています。そして周辺各村(南花内・薑・新町)には同社から分祀されたと思われる笛吹若宮神社が鎮座していることから、一帯が尾張氏の祖神(とされる)天香山命の拠点であるのはまず間違いなさそうです。(注:ここでは仮にそうしておきます)


葛城市笛吹の位置を示すグーグル地図画像。

葛木坐火雷神社の解説板には、天香山命は石凝姥命(いしこりどめのみこと、鏡製作など金属加工の神)とも言い、天香久山の金(かね、鉄や銅の意味)を採り八咫鏡(やたのかがみ)を鋳造した、と記載ありました。(注:この場合の天香久山は大和ではなさそうです)

石凝姥命は天糠戸命の子に当たり、天照大神が天岩屋戸に隠れたとき鏡を製作した神で、鏡作部の祖神となります。よって、天火明命だけでなく、鏡作部の祖神・石凝姥命と同一視されている天香山命も鏡と深い関係を持つことになります。

天香山命は後で詳しく書きますが、鉱山から製鉄、鍛冶、鏡作りに関連する金属系の神と理解されます。また、鏡を媒介として天火明命と天香山命は属性的にマッチしそうです。(注:尾張氏の系図によると両者は親子の関係です)それにしても、尾張氏は元々海人系であるはずなのに、なぜ祖神は真逆な鉱山・金属系の神様なのでしょう?疑問に思えませんか?

ところで、天火明命も天香山命同様葛木坐火雷神社で祀られているのでしょうか?チェックしたところ、葛木坐火雷神社の境内末社に空室神社があり、祭神は火須勢理命(ほすせりのみこと)、火明命、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)とのネット情報がありました。ただ、神社側にお聞きしたところでは不明との回答です。(注:葛木坐火雷神社の由緒内容は後の回で別途詳しく検討する予定です)

奈良県吉野郡吉野町三茶屋143には久須斯神社が鎮座しています。同社解説板には、「この神社は、久斯之大神を祀る三茶屋集落に住む人々の氏神です。大井の大水上之神と笛吹の天照国照日子火明之命の二柱を合わせて祀って、俗に三社大明神とも呼ばれています。」との記載がありました。久須斯神社詳細は以下を参照ください。
http://kamnavi.jp/as/yosino/kususi.htm

上記から葛木坐火雷神社の元となる笛吹神社との関係も想定されますが、「吉野町三茶屋、笛吹」でネット検索すると三茶屋の南にある笛吹バス停が出てきました。なので、かつて三茶屋に近い笛吹に天火明命が祀られていたと理解されます。

笛吹と天火明命の間に関連性があること、天火明命を祖神とする製鉄・鍛冶氏族の伊福部氏は吹部(笛吹部)としての職掌もあることなどを勘案すれば、アクロバット的ではありますが、伊福部氏を介して笛吹と天火明命が結び付く可能性は十分にあります。また「新撰姓氏録」の河内神別には笛吹連に関して火明命の後なりと記載されており、葛木坐火雷神社の公式ホームページには以下のように書かれていました。

当社に伝わる旧記には、『笛吹連(ふえふきのむらじ=当社の祭祀を代々受け継ぐ持田家の先祖)の祖櫂子(かじし)は火明命の後にして崇神天皇の十年建埴安彦を討ちて功あり 天皇より天磐笛を賞賜せられ笛吹連の名を命ぜられる』とあり、崇神天皇の御代にはすでに当社が鎮座していたことが伺える。

同社ホームページは以下を参照ください。
http://www.eonet.ne.jp/~fuefukijinja/yuisyo.html

笛吹連櫂子は天火明命の後裔であること、明治7年(1874年)の「郷社取調帳」は同社祭神について天火明命、天香山命など計5柱の神を挙げていることなどから、総合的に見ると天火明命も同社祭神となる可能性は高いと思われます。

以上より、高尾張邑に鎮座する葛木坐火雷神社の祭神は尾張氏の祖神(とされる)天火明命及び天香山命と判明しました。(注:神社の公式ホームページによれば主祭神は火雷大神と天香山命で、天火明命は相殿神にも入ってはいません)

この前提において尾張氏高尾張邑発祥説を否定した場合、ある問題が表面化します。そう、尾張氏高尾張邑発祥説を否定し尾張氏国内発祥説を支持すれば、天火明命、天香山命のいずれも尾張氏の祖神ではないことになってしまうのです。尾張氏国内発祥説の論者はこの点を踏まえて主張を展開しないと論理矛盾に陥ってしまいます。

酔石亭主は尾張氏国内発祥説を支持していますので、この2神は尾張氏の祖神ではないとの前提に立って議論を組み立てるしかありません。今まで誰も検討しなかった視点で最後まで進められるのか心もとない部分もありますが、まあやってみるしかないでしょう。(注:既にご存知のように尾張氏の系図にはこの2神が最初に出てきます。よって、後代の尾張氏が2神を自分たちの祖神に取り込んだことは肯定されますので、この点は誤解なきようお願いします)

なお、大和岩雄氏の著作は歴史関連記事を書く際いつも参考にしていますが、同氏は尾張氏高尾張発祥を支持しておられるようで、「神社と古代王権祭祀」(白水社)において、「尾張氏は、尾張国の土着氏族というよりは、葛城(高尾張)を中心とした氏族で、のちに尾張国に定着したのではないかと思われる。」と書かれています。残念ながらここは賛同しかねる部分です。

今回は尾張において天火明命や天香山命の存在感が薄い点と、尾張氏の発祥地を考える上での前提を書いただけで終わりました。次回も別の前提部分を書いていきたいと思っています。

                       尾張氏の謎を解く その2に続く
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