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尾張氏の謎を解く その25


前回で書いたように、天火明命や天香山命が大和の高尾張邑から尾張に来たと言う話は、誰かが鏡を尾張に持ち込んだことを意味しています。となると、次の検討課題は誰がどのような経路で鏡を尾張に持ち込んだのかと言う点になります。これに関しては既に一つの想定を持っているので、その答えを書く前に少し話をそらせます。

そもそも鏡は天照大神と密接な関係がありました。「日本書紀」の一書に曰くにおいては、伊弉諾尊が左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を取ったとき、化(な)り出る神があって、それが大日孁尊(おおひるめのみこと、=天照大神)である、と書かれているほどですから…。

また記紀によれば、天照大神が天の岩屋戸にお隠れになった際、岩屋戸からお出ましいただくため、石凝姥命が作った八咫鏡を天香山から掘り取った真坂木(=榊)に懸けたとの記事が見られます。神の死と再生の最重要場面に鏡が関係していると理解される内容です。

天火明命の子孫は「天孫族」と呼ばれています。天火明命が鏡であり、鏡は天照大神の依代(或いは天照大神そのもの)だったことが、そう呼ばれる本当の理由なのでしょう。依代とは、既に書いたように天上界にいる神様が地上に降臨される際の目印(媒体)となる事物を意味し、鏡や巨木など目印にふさわしい物が依代となります。広く捉えれば、神社の建物や神域自体も依代と言えます。この依代がなければ神様は降臨できず、天照大神でさえも鏡(=天火明命)がないと降臨できなくなるのです。鏡の持つ意味合いの奥深さが窺えますね。

三種の神器の中で八咫鏡が最も重要視されていることは既によく知られています。それは今まであれこれ書いてきたように、八咫鏡が皇祖神天照大神の根源にかかわっているからなのです。

横道にそれた記事内容を元に戻します。崇神天皇の時代における重要事項の二つ目は、四道将軍が各地に派遣された話でした。四道将軍の派遣は大和王権が日本各地に遠征隊を出したことを意味しています。その流れの中に、伊福部氏が大和から尾張に向かったことが含まれていたと考えられませんか?

つまり、四道将軍に象徴される皇族に率いられた遠征部隊の主力・伊福部氏が、鏡(=天火明命)を奉じで美濃や尾張に向かったことに起因して、天火明命や天香山命が高尾張邑から尾張に来たとの伝承が生じたと考えられるのです。これは現時点における仮説ですが、今後はこの仮説をベースに尾張氏発祥の謎の検討を進めたいと思います。(注:遠征の時点においては、天火明命は鏡そのものであり伊福部氏にとって崇拝の対象ではありますが、祖神としての位置付けにはなっていないと考えられます)

「その21」において、「同じ伊福部氏なのに、因幡国と美濃・尾張では祖神が全く異なっている点にも、尾張氏の謎を解くヒントがありそうです」と書きました。葛城の伊福部氏も当初は因幡国の伊福部氏同様に大己貴命やニギハヤヒを祖神としていたのかもしれません。しかし、東方遠征部隊として出征するに当たり、鏡(=天火明命)を奉じて進軍したので、天火明命は彼らを象徴するような存在になったと言えるでしょう。

時代が下り、尾張氏は天火明命を自らの祖神に取り込みました。この操作により天火明命は単なる鏡ではなく、特定の人物であるかのような位置付けを得る段階に至ったのです。当時美濃や尾張で尾張氏の下に位置していた伊福部氏は、天火明命の位置付けの変更に伴い、自動的にこの神を自らの祖神とせざるを得なくなったのです。

以上のような経緯により、因幡国と美濃・尾張の伊福部氏は異なる祖神を持つ結果になったと推定されます。なお、葛城の伊福部氏と因幡国の伊福部氏の関係はさらなる考察が必要なので、追って検討します。

既に書いたように、真清田神社の創建に関して「真清探當證」には、尊神(天火明命)鎮座の際八頭八尾の龍(=八岐大蛇)に乗りたまふ、とありました。一般的に八岐大蛇は伊福部氏のような製鉄・精銅など金属精錬に従事する民を象徴しています。この伝説も、伊福部氏を主力とした遠征部隊が尊神(=天火明命=鏡)を奉じて大和から尾張に向かった経緯を神話的に表現したものと言えそうです。

いずれにしても、上記のような視点においてのみ、「その21」で提起した「高尾張邑に尾張氏の痕跡はない、しかし尾張には天火明命やその御子の天香山命が大和の高尾張邑から来たとの伝説が残されている。」と言う矛盾が解消され、再構成されて、筋道の通ったものとなるのです。

崇神天皇の時代に八咫鏡が宮中を出たため、宮中にて祀る別の鏡を鋳造して、それが天照大神の御魂として内侍所の神鏡になりました。天皇家にとって鏡は最も重要なアイテムである以上、崇神天皇の勅命を受けた遠征部隊が天照大神の御魂である鏡(=天火明命)を奉じて進軍するのは当然のことのようにも思われます。以上のように、崇神天皇期における元伊勢の始まりと四道将軍に象徴される遠征部隊の派遣は、天火明命のありようと密接に絡んでいたのです。

別の視点から見ると、天照大神が宮中を出て各地を流浪し伊勢の地に鎮まられた元伊勢伝説と四道将軍の派遣の話はどこか深いところで連動しているようにも思えてきます。すなわち、元伊勢は大和王権の宗教的支配権の確立を目的としたものであり、四道将軍の派遣は政治的軍事的支配権の確立を目的としたものだったと考えることができるのです。

当時は祭政一致に近い段階だったので、政治的軍事的に地方豪族を臣従させ支配権を確立する場合にも宗教的神具である鏡は必須アイテムだったのでしょう。もうご存知のように、倭国が中国皇帝に朝貢し見返りに鏡を贈られる例は邪馬台国の卑弥呼以前からありました。大和王権もこの例に倣い、王権に恭順の意を示した地方豪族には鏡を下賜したのです。もちろんこれは一般論にすぎず、尾張においても当て嵌まることを証明する必要があります。

と言うことで、崇神天皇の時代に大和から持ち込まれた鏡が尾張に存在するか調べてみましょう。すると…、思った通りありました。犬山市の東之宮古墳から出土した三角縁神獣鏡は何と鏡作坐天照御魂神社の三角縁神獣鏡の同笵鏡(どうはんきょう)だったのです。同笵鏡とは、同一の鋳型または原型を使用して鋳造した複数の鏡のことです。しかも、東之宮古墳の築造時期は4世紀の初め頃。正しく崇神天皇の時代となるのです。これらが偶然の一致とは考えられません。

                   尾張氏の謎を解く その26に続く
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