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尾張氏の謎を解く その30


尾張氏の謎探求もあっという間に「その30」となってしまいました。なのに、いまだに大和国を抜け出せない体たらくとなっています。あれこれ嗅ぎまわるのもほどほどにすべきなのでしょうが、そうもいかず困ったことです。

さて今回は、秦楽寺の門前に金春屋敷があったとする記述から検討を始めます。前回でアップした金春屋敷跡の解説板の下の方の部分です。内容を以下に記載しますが、読みやすいよう多少書き換えていますのでお含み下さい。

なお、田原本町には、この秦楽寺金春屋敷跡のほかに、西竹田に金春屋敷跡の伝承がある。金春禅竹が竹田(西竹田)に拠点を構えたので「竹田座」と称したこと、元の竹田村(西竹田)から分村した隣村の大字十六面に、昔、十六の面が天降ったと云う地名に関する言い伝えがあることによる。(注:原文には、竹田(西竹田)に構えたので、とあり拠点の文字は入っていません)

上記の文面は秦楽寺の所在地に関連する重要な部分を含んでいそうです。仮に西竹田に金春屋敷跡があったとすれば、秦楽寺の所在地は自動的に西竹田になってしまうからです。秦楽寺が現在地ではなく別の場所にあったとすれば、元伊勢第一号の笠縫邑が現在の秦楽寺一帯であるとする主張の前提自体が崩れてしまい、大きな問題となるのです。

解説板によると、西竹田にある伝承とは、金春禅竹が竹田(西竹田)に(拠点を)構えたので竹田座と称したこと。竹田村から分村した隣村の十六面(じゅうろくせん)に昔十六の面が降ったと言う地名口伝があること、の二つで、この伝承に基づき西竹田に金春屋敷があったとするものです。内容的には一定の根拠を持っているように思えますが、調べてみると十六面の範囲は予想以上に広く、秦楽寺の北、西田原本駅の西側にも飛び地のように十六面が存在していました。

十六枚の面、或いは十六と言う面は、平敦盛が16歳で戦死したことにちなんだものです。この面を付けると気が狂ったようになり、金春の息子は家を継ぐのをあきらめました。面は田原本町十六面の市杵島神社にご神体として祀られているそうです。市杵島神社に関しては以下を参照ください。
http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto2/ichikishima_jurokusen.htm

ここで気になるのが竹田の地名です。竹田(西竹田)とありますが、西竹田はかつての竹田村で明治初年に橿原市の竹田との混同を避けるために、西が付いたようです。詳しくは以下を参照ください。
http://shinsan.blog.eonet.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2013/02/22/042.jpg

上記の西竹田解説板によると、西竹田も秦氏と関係が深いとのことです。また西竹田に鎮座する八坂神社の摂社に笛吹神社があるようです。祭神は当然天香山命でしょう。笛は竹が材料で笛の文字を分解すると竹田になり、笛吹連との関連も窺えるのが面白いですね。


西竹田の位置を示すグーグル地図画像。

西竹田と対照となる地名が橿原市東竹田で竹田神社が鎮座しています。竹田神社は河辺郷竹田村にあり竹田川辺連の氏神で、「新撰姓氏録」によれば、竹田川辺連は火明命五世の後とのことです。また竹田神社は多神社の若宮とされ、秦楽寺境内に鎮座する笠縫神社は多神社の末社とされている点からも繋がりが出てきそうです。竹田神社の詳細は以下を参照ください。
http://www.genbu.net/data/yamato/takeda_title.htm?print=on


東竹田の位置を示すグーグル地図画像。

面白いことに、西竹田から東南に線を引くと秦楽寺を経て東竹田の竹田神社に至ります。秦楽寺の解説板には天照大神の御霊である八咫鏡について記載がありました。天照御霊(魂)とは天火明命であり鏡でもあります。そして竹田神社にも「竹田」の地名と天火明命の存在があることから、竹田とは竹田神社鎮座地の竹田村ではないかと思えてきます。

問題はこの場合、十六面の地名と整合しなくなる点です。どちらも一長一短なので、ここは西竹田が金春屋敷の所在候補地であるとしておきましょう。その場合、秦楽寺も西竹田にあったことになります。ただ、西竹田は現在の秦楽寺に近いので、笠縫邑の範囲内とすることは可能に思えます。

現在のテーマから少し離れますが、「竹田」の地名には興味深いものがあるので簡単に触れてみます。「新撰姓氏録」には湯母竹田連があり、火明命五世孫、建刀米命の後とあります。続いて、竹田川辺連があり同命五世の後とあります。これを系図的に書くと以下のようになります。

天火明命―天香語山命―天村雲命―天忍人命―天戸目命―建刀米命

そして、建刀米命の子である竹田折命(=建多乎利命)が景行天皇から菌田連(たけだのむらじ)姓を賜り、後に湯母竹田連に改姓したとされます。具体的には次の通り。「男竹田折命。景行天皇御世。擬殖賜田。夜宿之間。菌生其田。天皇聞食而賜姓菌田連。後改為湯母竹田連」

いかがでしょう?こんなところで葛木坐火雷神社に登場した笛吹連の祖・建多乎利命(たけたおりのみこと)が姿を見せていました。建多(たけた)は竹田であり、既に書いたように竹田を一文字にすると笛になり、笛の原材料はもちろん竹となります。笛吹連と湯母竹田連、竹田川辺連はとても近い位置にあると理解され、だから西竹田には笛吹神社があるとも考えられます。

その竹田と金春屋敷、ひいては秦楽寺が関係していたのかもしれないとは、実に不思議な巡り合わせのような感じがしてなりません。どこか奥深いところで繋がりがあるのでしょう。なお、湯母竹田連の湯母(ゆおも)とは、乳児に湯を飲ませる役目の女性を意味し、皇子や皇女の守り役となる壬生部(みぶめ)を職掌としていた一族と考えられます。

話を元に戻します。次に検討する内容は、解説板にある「また、村屋坐彌冨都比売神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)に関わる「楽戸郷」や、世阿弥が参学し、世阿弥及び妻・寿椿が供養田を寄進した味間・補厳寺など、田原本町には大和猿楽や能・狂言に関わる歴史的遺産が多く残されている」の部分です。これも文面は読みやすいように書き換えています。

村屋神社の鎮座地は磯城郡田原本町蔵堂(くらんど)426となります。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

田原本町のホームページには次のように書かれていました。

村屋神社周辺エリアである「社屋(もりや)」の地は平安時代に伎楽(ぎがく)や舞楽、 散楽の選り抜きの楽人たちが住む楽戸郷(がくとのさと)が存在したと、延喜式に記されています。

ホームページは以下を参照ください。
http://tnguide.jp/nr/tawaramoto/

秦の楽人が住む楽戸郷が村屋神社周辺エリアにあったとすれば、ここに秦楽寺があったのかもしれず、その門前に金春屋敷があっても筋は通りそうです。蔵堂の地名にしても蔵人が転じたものと思われ、秦氏の職掌であった大蔵官僚に関係しています。例えば「平安遺文」には秦貞世が内倉寮蔵人(うちつくらりょうくろうど)とあります。と言うことで調べてみると、田原本町のホームページには以下のように書かれていました。

室町時代になると、大和には、金春・金剛・宝生・観世といった有力な4つの猿楽の座、大和四座がおこりました。上島文書(もんじょ)の「観世系譜」によると、観阿弥の嫡流は「蔵堂」の名がつくことから、観阿弥・世阿弥は、もともと「杜屋」の人ともいい、「秦楽寺」や金春屋敷ももとは村屋神社にあったという説もあります。

ホームページは以下を参照ください。
http://www.yamataikoku.jp/nogaku.html

う~ん、これはどう考えたらいいのでしょう?他に参考資料はないでしょうか?再度「四天王の鷹」の「秦楽寺と楽戸」の項を開いたところ、びっくりするような内容が書かれていました。

秦楽寺は現在田原本町秦荘にある。その秦楽寺はもとは田原本町大字蔵堂(くらんど)杜屋(もりや)に置かれていたが、杜屋から秦荘に移された。そこで杜屋にあったもとの秦楽寺は新楽寺と改名した。したがって杜屋の新楽寺のほうが、秦荘に移された秦楽寺よりも古い寺なのである。
ところで杜屋には楽戸があった。「延喜式」の雅楽寮式の「伎楽」の「楽戸郷」には、「大和城下郡杜屋に在り」という原注が施されている。楽戸は楽生を出すために設定された戸で、雅楽寮に所属している。雅楽寮式では、四月八日、七月十五日の斎会の折の伎楽人を、杜屋にある楽戸郷から選びあてる、としている。蔵堂は蔵人、大蔵、財人とも書いて、秦氏系の伎楽伶人のことであり、したがって、蔵堂に属する杜屋の楽戸郷は秦姓の伎楽戸の在所であった。
ここで秦楽寺と楽戸がかつて同じ杜屋郷(蔵堂)に所在していたことを考えると、秦楽寺は楽戸秦氏の氏寺であったことは間違いない。秦河勝の後裔を自称する伎楽人が楽戸にいたと推定するのは自然である。
秦楽寺は楽戸秦氏の氏寺であったが、その楽戸が分裂した。そこで秦楽寺は一方の秦氏(金春の祖か)が自領の秦荘に移したと薮田嘉一郎は推測している。杜屋郷の旧寺は新楽寺を名乗ったが、享保十九年に廃絶した。一方秦荘に移された秦楽寺も享保十九年の前に退転してしまった。そのあと20年経って再興されたが、それは秦楽寺の寺名を名乗るだけの新寺だという。(「新楽寺鏡銘と大和猿楽」)


谷川健一氏は秦楽寺が田原本町蔵堂にあったと考えておられるようです。よって、現時点における金春屋敷跡の候補地は現在の秦楽寺門前、西竹田、田原本町蔵堂(くらんど)の三か所となります。「庭訓徃來」に「金春は春日に宮仕えして、先祖のために秦楽寺を建てた。」と書かれている部分は、蔵堂にあった秦楽寺を秦庄に移転して建てたことを意味しているのかもしれません。あれこれ突っついているうちに、実にややこしい話になってしまいました。資料に当たるのはほどほどにした方がいいのでは、とも思ってしまいます。

ついでに解説板にあった世阿弥や猿楽に関係する他の場所も見ておきましょう。味間(あじま)の補巖寺(所在地:田原本町味間847)は世阿弥が第2代竹窓智厳(ちくそうちごん)から教えを受けていた場所で、夫妻の菩提寺でもありました。詳細は以下の田原本町ホームページを参照ください。
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/town_cultural_asset/huganzenjinoutyou.html

味間の地名はニギハヤヒの子で、「先代旧事本紀」に味間見命(うましまみのみこと)と表記される物部氏の祖にちなんだ地名となります。つまりこの辺りは物部氏系のエリアとなるのです。

そう言えば、杜屋(もりや)は守屋で物部守屋を連想させます。Wikiによれば、村屋坐彌冨都比売神社の末社には市杵嶋姫神社(いちきしまひめじんじゃ)・物部神社(もののべじんじゃ)があり、「祭神 炊屋姫命・宇麻志摩遲命、配祀 物部守屋連。由緒は不詳で、社家・守屋家の祖神を祀ったものという。」と記載ありました。

この記述通りだと、物部氏のエリアに秦氏がいたことになり疑問も湧いてきます。587年に聖徳太子は仏教を巡る争い(丁未(ていび)の変)で、蘇我馬子と共に物部守屋と戦い守屋の軍勢を打ち破っているからです。

この戦いで秦河勝が聖徳太子に従っていた可能性を考慮すると、金春の時代ならともかく、秦河勝が物部氏のエリアに秦楽寺を建てたとは考えにくいのです。(注:「上宮聖徳太子伝補闕記」には、軍政秦河勝軍を率いて、太子を護り奉る云々の記述があります)ただ、秦氏と関係の深い四天王寺も物部守屋と関係があり一筋縄ではいきません。いずれにしても、田原本町は狭いエリアに歴史がぎゅうぎゅう詰めとなっていますね。

法貴寺(ほうけいじ)村の舞庄(まいのしょう)は舞楽に関係ある名前で室町時代の翁面(おきなめん)が発掘されています。各場所の詳細は以下の田原本町観光協会ホームページを参照ください。
http://www.yamataikoku.jp/nogaku.html

実は竹田の地名に関して別の見方があります。かつては田原本町八田、法貴寺一帯が竹田だったようで、角川の日本地名大辞典には以下のように書かれていました。

竹田(古代~中世)
平安期から見える地名城下郡東郷のうち現在の田原本町八田・法貴寺を中心とする一帯を指したらしい当地の荘園のうち,雑役免竹田東荘・竹田南荘・竹田北荘…以下略


八田は秦に通じますし、地名として残っている法貴寺は、「法起寺」とも言って、秦河勝が聖徳太子から賜った薬師三尊を献上して創建され、河勝の子で秦明高の墓とされる五輪塔が建っているとのこと。(注:現在は千万院だけが残っています)法貴寺は秦河勝が武芸を伝えた子の子孫となる長谷川党の氏寺です。詳細は「秦さんはどこにいる? その20」で書いていますので参照ください。


田原本町法貴寺の位置を示すグーグル地図画像。

秦楽寺と似たような由緒を持ち、舞庄があり、翁面まで出土した法貴寺の辺りが竹田で竹田座があったとすれば、金春屋敷もここにあったのかもしれません。となると、秦楽寺と法貴寺は同じ場所にあったことになり、秦楽寺の候補地も四か所にまで増えてしまいます。もうこうなると混乱の極み。これ以上の追及は次回としておきましょう。

いずれにしても、田原本町は過去から現在に至る能楽の歴史が詰まった土地と理解されます。周辺一帯をくまなく見て回りたいところですが、残念ながら時間がありません。いずれ機会があれば、能楽や伎楽に関係する場所を全て訪問してみたいところです。このエリアの全体的イメージは文字だけではなかなか表現できないので、「田原本町 都市計画マスタープラン」と言うタイトルのPDFファイルを検索いただき参照ください。それぞれの位置関係が把握できると思います.。

                  尾張氏の謎を解く その31に続く
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