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尾張氏の謎を解く その37


今回は息長氏の拠点を見ていきます。目的地は山津照神社で、滋賀県米原市能登瀬390に鎮座しています。


鎮座地を示すグーグル画像。不破地峡帯の入り口に当たるような場所です。

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急な石段。

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巨大な鳥居。

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古墳です。

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古墳解説板。画像サイズを大きくしています。

山津照神社古墳は延喜式内の古社にして古へこの地に勢力を有した息長真人家の先祖を祀りし神なり。かかる名神の鎮座地にこの古墳のあるは尋常貴人の墳墓にはあらざるへし。土地の伝説に神功皇后の父君息長宿禰王の墳墓といふ。…以下略

この古墳は息長古墳群の一つであり、築造は古墳時代の後期にあたる6世紀前半とされています。となると、531年に崩御したとされる継体天皇の時代にほぼ重なっており、神功皇后の父とされる息長宿禰王の墓ではあり得ないことになります。考えられるのは息長真手王(おきながのまてのおおきみ)で、彼は5世紀から6世紀頃の人物です。息長真手王に関しては以下Wikipediaより引用します。

息長真手王(おきながのまてのおおきみ、生没年不詳)は5世紀から6世紀頃の日本の皇族。王女に麻績郎女・広姫。麻績郎女は継体天皇の妃として荳角皇女を産み、広姫は敏達天皇の皇后として押坂彦人大兄皇子・逆登皇女・菟道磯津貝皇女を産んだ。
王女2人が天皇の妃となった以外、さしたる事蹟の記述はない。意富富杼王の弟にあたる息長沙禰王の子であるとの文献もある。
娘の一人が「継体天皇」に嫁ぎ、もう一人の娘がその孫「敏達天皇」の皇后・広姫であるというが、記紀などによって「継体」の生年は西暦450年、一方「敏達」の生年は西暦538年であり、娘が二人の大王に輿入れしたとは考えにくい。伝承が混乱しているのか、或は記紀の編集者が意図的に系図に手を加えた可能性が強い。
広姫の父であることが正しいとすると、広姫は舒明天皇の父である押坂彦人大兄皇子を産んでいるので、息長真手王の血縁は現在の皇室まで続いていることとなる。


息長真手王の娘・麻績郎女が継体天皇の妃になっていることからしても、山津照神社古墳は息長真手王の墓と見て間違いなさそうです。ただもう一人の娘広姫は敏達天皇の皇后とされ、彼女を息長真手王の娘とすると時代が合いません。広姫の墓は山津照神社のおよそ10km北、米原市村居田の息長陵に比定されています。継体天皇は息長氏との説もあり、尾張氏とも親密な関係があって、なかなか複雑ではあります。


息長陵の位置を示すグーグル画像。

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古墳に関するもう一つの解説板。こちらは詳しく書かれており、もの凄い出土物と理解されます。

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鳥居と拝殿。

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拝殿。広々とした芝生の奥に拝殿があります。

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本社。

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もう一枚。流麗な屋根の形状。

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拝殿内部。鏡があります。

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境内図。

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境内には巨大な磐座的と思える岩が鎮座しています。

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反対側から見ると岩壁のようです。

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神社解説板。写真でははっきり読めません。

解説板の内容検討は次回とします。

                  尾張氏の謎を解く その38に続く
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