尾張氏の謎を解く その38


今回は前回でアップした山津照神社の解説板から見ていきます。内容は以下の通り。

鎮座地 滋賀県坂田郡近江町大字能奥瀬
祭神 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
御由緒 創祀の年代は詳らかでないが、この地は開化天皇の皇子彦坐王三世孫息長宿禰王の在住の地としてその子孫が連綿として栄えたところで、明治十五年に発見された境内の古墳は息長宿禰王の墳墓と伝えられている。称徳天皇の天平神護二年神封六戸を寄せ奉られている。清和天皇の貞観は八年従四位上より正四位下を授けられ、宇多天皇の寛平九年の太政官符には、坂田郡山津照名神の名がみえ、醍醐天皇の延喜の制には、坂田郡五座の一にして名神の小社に列せられている。中古、鎮座地を青木の里と呼ぶことより当社を青木大梵天王、また青木大明神と称せられていた。…以下略。


ここで彦坐王の名前が出てきました。彦坐王の子である丹波道主命は四道将軍の一人で、東方派遣部隊のリーダー候補になります。彦坐王自身も候補になり得ますが、それはさて置き、同神社はかつて山の麓に鎮座していたそうで、現在地に遷座するため参道を整備していて古墳の発見につながったそうです。旧鎮座地には青木神社が鎮座しています。

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青木神社の鳥居。179

かなり立派な鳥居だったので、最初はこれが山津照神社の鳥居かと一瞬勘違いしそうになりました。

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青木神社拝殿。

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お寺のような門が…。山津照神社の境内にあります。

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本堂です。

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解説板。

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神社からの光景。

山津照神社を見終わったので、志那神社に少しだけ戻ります。志那神社は伊福部氏、息長氏、龍田大社の3者が同じ風のキーワードで重なり合った結果、由緒が混乱し不詳となってしまったのです。いずれにしても、志那神社は当初伊福部氏が祀る神社だったと考えて間違いなさそうです。

以上のように、大和を出た伊福部氏は、志那神社の鎮座地すなわち近江国の南部にまずやって来ました。彼らはここからさらに北上していきます。すると伊福部氏の一大拠点である伊吹山山麓に至ります。

                     尾張氏の謎を解く その39に続く
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