尾張氏の謎を解く その39


伊吹山山麓周辺には幾つもの伊福部氏系神社があるようです。近江側で調べてみると、滋賀県米原市伊吹603に伊夫岐神社(いふきじんじゃ)が鎮座していました。


鎮座地を示すグーグル画像。

地名も伊吹で、そこに伊福部氏の伊夫岐神社が鎮座していることになります。

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伊夫岐神社に向かう途中。伊吹山とソバ畑。

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もう一枚。

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さらに一枚。目的地が近くなってきました。

道路の左側を姉川が流れています。姉川石の産地で、虎石も出るようです。

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鳥居と社名を刻んだ石柱。

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拝殿。

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拝殿と背後に聳える伊吹山。

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拝殿と本殿。

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本殿と狛犬。

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巨杉の切り株。

全部で5本程度の巨杉の切り株がありました。これらがそのまま残っていたらさぞ素晴らしかったと思え、残念でなりません。

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境内から外に出て歩いていると、姉川の虎石を発見しました。

では、伊夫岐神社の検討に入ります。神社で頂いた由緒記はかなり長いものの由緒的ではない部分もあるので、内容を付け加えて以下のように纏めてみます。

まず祭神ですが実にややこしく、伊富岐大神、多多美比古命、霜速比古命、素盞嗚尊、八岐大蛇、天之吹男命、気吹男命などがあるようです。整理するために神様をグループ分けしてみましょう。伊富岐大神は伊吹山の神と言うことで、霜速比古命や多多美比古命も同じグループ神のように思われます。

次のグループは素盞嗚尊、八岐大蛇となります。「日本書紀」には、日本武尊が近江の伊吹山に荒ぶる神がいると聞き、草薙神剣を置いたまま伊吹山に向かう。伊吹山に至ると山の神が大蛇に化けて道を塞いでいたので、日本武尊はこれを神の使いと思い、どうせ神を殺すのだからと捨て置いて、蛇を跨いで進む。すると、山の神は雲を起こして氷を降らせた。などとあります。

「平家物語」には、素盞嗚尊によって殺された八岐大蛇の霊が伊吹山の神となって不破の関を塞いでいたとあり、「源平盛衰記」には、素盞嗚尊が八岐大蛇を切ると尾から剣が出た。それを天照大神に奉ると、「私が天の岩戸に籠ったとき、近江国胆服嶽に落ちた剣です」と言って大いに喜んだ。彼の大蛇と言うのは胆吹(いぶき)の大明神の御体である。と書かれています。また「本朝神社考」は胆吹の神を八岐大蛇の変化と記しています。これらの話から祭神に素盞嗚尊と八岐大蛇が登場したのでしょう。

天之吹男命と気吹男命はいずれも伊福部氏の職掌に関係する名前で、蹈鞴製鉄において蹈鞴炉に火を吹き込む作業を象徴する名前と考えられます。伊吹山周辺は冬場に強い風が吹き込むので、たたら製鉄には適した場所でした。この神社の祭神には様々な要素が入っているように見えますが、素盞嗚尊を除きいずれも最終的には伊福部氏に収斂すると考えられます。

「近江国風土記逸文」にはこの神社の祭神に関連する記事が載っています。以下はWikipediaより引用しました。

また云へらく、霜速比古命(しもはやひこのみこと)の男(こ)、多々美比古命(たたみひこのみこと)、是(こ)は夷服(いぶき)の岳の神といふ。女(むすめ)、比佐志比女命(ひさしひめのみこと)、是は夷服の岳の神の姉(いろね)にして、久恵(くえ)峯にいましき。次は浅井比咩命(あさいひめのみこと)、是は夷服の神の姪にして、浅井の岡にいましき。ここに、夷服の岳と、浅井の岡と、長高(たかき)を相競いしに、浅井の岡、一夜に高さを増しければ、夷服の岳の神、怒りて刀剣(つるぎ)を抜きて浅井比賣( - ひめ)を殺(き)りしに、比賣の頭(かしら)、江(うみ)の中に堕ちて江島(しま)と成りき。竹生島と名づくるはその頭か。

やや読みづらいので以下のように整理し直します。

霜速比古命の子が多々美比古命で伊吹山の神。その姉が比佐志比女命で久恵峯にいた。多々美比古命の姪が浅井比咩命で浅井の岡にいた。伊吹山と浅井の岡が高さを競っているうちに、浅井の岡が一夜にして高さを増したので、多々美比古命が怒って浅井比咩命の首を刀で切り落としたところ、その頭が琵琶湖の中に落ちて竹生島となった。

面白い伝説ではありますが、浅井の岡はどの山なのでしょう?標高1,377m伊吹山の北には金糞岳(かなくそだけ、標高1,317 m)が聳えています。金糞は鉱石を溶精する際に生じる滓を意味しています。この山から流れ出る草野川流域には鍛冶屋(長浜市浅井町鍛冶屋)の地名がありました。

地名も浅井の岡と同じ浅井で、しかも鍛冶に関係しているので、浅井の岡とは金糞岳のことに間違いありません。滋賀県で標高が伊吹山に次いで二番目なのも、「近江国風土記逸文」の記述と整合しています。金糞岳に伊福部氏の地名や神社は見られないものの、関連性はあると推定されます。金糞岳に関して、Wikipediaには以下のように書かれていました。

金糞岳(かなくそだけ、きんぷんだけ)は、日本の近畿地方最北東部、中部地方西部に位置し、滋賀県長浜市上草野地区と岐阜県揖斐郡揖斐川町の境界に所在する、標高1,317 mの山。伊吹山地に属する。
かつて滋賀県側の麓では「ノタ」または「ミタニ」と呼ばれていた。草野川東俣谷に古い鉱山跡があり、周辺には製鉄遺跡がある。鉱石を溶精する際に生じる金屎(かなくそ)が、山名の由来であるとする説がある。1824年(文政7年)の『古絵図』には「カナスソガ嶽」と記載されている。民話の『竹生島の話』で伊吹山に首を切られて、伊吹山より低い山になったと伝えられている。


「ノタ」は多分鍛冶用語で、ノタ打ちは小槌で鋼を叩くことを意味しているようです。上記の記事には伊吹山との関連性、鉱山跡や製鉄遺跡の存在など、伊福部氏がいたことを暗示するような内容が数多く含まれていました。それにしても、まだ近江国の段階なのに伊福部氏に関連した痕跡が驚くほど多く見られますね。

伊夫岐神社に関し歴史史料にはどう書かれているのでしょう?(注:伊夫岐神社に関する史料であると断定はできません)「文徳天皇実録」嘉祥3年10月壬子(8日)条(850年)には、近江国伊富岐神従五位下とあり、また「日本三代実録」貞観元年正月27日甲申条(859年)に従五位下伊富岐神。「日本三代実録」貞観9年4月2日辛未条(867年)に遣二神祇大祐正六位上大中臣朝臣常道一。向二近江国伊福伎神社一。奉二弓箭鈴鏡一。などと記載されています。但し、上記の内容は志那神社の由緒と重複しており、どちらのものを指すのか酔石亭主では特定できません。ここで重要なのは、伊福部氏の移動経路が彼らの関与する神社鎮座地から推定できる点にあります。と書きましたが、この考え方に対し何となく不安感が湧き出してきました。

不安を抱えつつ、伊夫岐神社を辞して次の目的地に向かいましょう。

                   尾張氏の謎を解く その40に続く
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