知多四国第55番法山寺


何日か前に野間大坊と源義朝について書きましたが、法山寺も義朝と深い関係のある場所です。所在地は美浜町野間字田上50となります。


法山寺の位置を示すグーグル地図画像。

車を東に走らせ次に左折すると法山寺となります。その左折する場所の右手に小さな橋が架かっていました。

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橋です。石碑がありました。

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石碑。読みにくいのですが、橋の名前は乱橋です。

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解説板。

義朝謀殺の大事を聞いて家臣の渋谷金王丸たちが湯殿に駆けつけるとき、長田の家臣と橋の辺りで乱戦となったことから、後に乱橋と言われるようになったようです。ところが、「平家物語」では違う書き方となっています。概略は以下の通り。

金王丸が湯殿で剣を持って控えていたため、敵は義朝を討てなかった。しばらくして金王丸が「御帷子を持ってくるように」と言っても誰も来なかった。腹を立てた金王丸は湯殿から走り出しした。その隙を見て、三人の者どもが湯殿に走り込んで義朝を刺殺。事態を察知して走り帰った金王丸は三人を湯殿の入り口で斬り伏せた。と言うのが「平家物語」の内容となっています。まあ、有名人にはいろいろな伝説が付き物ですから、どれが正しいのかはわかりません。さて、法山寺へは急な坂を登ります。

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坂を登るとやまのかみ大明神が鎮座していました。

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かわいいお地蔵さん。

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法山寺の境内。狭い敷地です。

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解説板。

解説板には、行基が725年頃に開基して、弘法大師が9世紀初めに密宗開山、夢窓国師が14世紀初めに開山とあります。ビッグネームばかりが並んでいますが、どんなものでしょうね。真偽の程はともかくも、知多半島においては歴史の古いお寺となりそうです。ところで、肝心の湯殿跡はどこにあるのでしょう。

一旦坂を下りてお寺の前の細い舗装道路を少し歩くとありました。

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石柱です。湯殿水跡となっていました。

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義朝の像。お隣に池のようなものが…。

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池でしょうか?

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解説板。

池のように見えたのが実は露天風呂で、かつては温泉が湧いていたそうです。金王丸に関しては以前に書いていますので、以下を参照ください。

http://suisekiteishu.blog41.fc2.com/blog-entry-1505.html

義朝の首を取った長田忠致は意気揚々と清盛に報告し壱岐守に任ぜられますが、平家は凋落していきます。忠致は頼朝から、平家を討ったら褒美に美濃尾張をやると言われ、頼朝のために働きました。ところが忠致は平家を滅ぼした頼朝に殺されてしまいます。死に際して忠致は以下のような辞世の句を詠んだそうです。

ながらえし命ばかりは壱岐守 美濃尾張をばいまぞたまわり

壱岐守になり、もっと命ながらえて美濃尾張を賜るところが、今は身の終わりを賜って しまった、トホホ…。とでも言う意味でしょうか?美濃尾張に身の終わりをかけた随分うまい辞世の句だと思いますが、後世の誰かが作ったのかもしれませんね。
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