若狭探訪 その10


小浜市矢代は小さな漁村ですが、孝謙天皇(718年~770年)の御代、矢代に唐の王女一行を乗せた唐船が流れ着いたそうです。船には8人の美女が乗っていて、村人も最初は歓待したが、王女たちの財宝に目がくらみ一行を襲って惨殺したという歴史があるとのこと。

祟りを恐れた子孫たちは唐船を解体した木材で福寿寺を建立。そして、悲運の最期を遂げた唐の女性たちの霊を慰め、こうした蛮行を二度と繰り返さないよう諫めるため、襲撃の様子を再現した手杵祭(てぎねまつり)を行うようになったとのことです。

さてそこで、若狭彦神社の社伝によれば若狭彦姫の二神は和銅7年(714年)遠敷郡下根来村白石の里に示現し、その姿は唐人のようであったとされます。時代の近さからして、白石の里に示現した唐人のような姿の二神とは、もしかしたら、唐船に乗って矢代に漂着した唐人たちの二人だったのかもしれません。或いは彼らのイメージが投影された結果、白石の里に示現した若狭彦姫が唐人の姿だったとされた可能性もあります。

矢代にはもう一つ面白い伝説があります。以前「東三河の秦氏」シリーズで源頼政の鵺退治を詳しく取り上げました。その退治に使った矢を作ったのが自分の所領である矢代だったと言うものです。詳細は以下を参照ください。

http://umason.jp/?page_id=32

ただ、亀岡市にも似たような話があり、頼政は鵺退治の恩賞に獅子王という名剣と矢代庄(現在の亀岡市矢田町)を賜ったとされています。いずれにしても、以前書いた記事と関連する伝説が遠く離れた小浜市にあるとは、実に不思議でなりません。

今回の訪問先である明通寺とは関係ない話から始まりましたが、若狭小浜が秘める歴史の奥深さを実感させてくれると理解されます。では、明通寺に向かいましょう。


明通寺の位置を示すグーグル画像。

小浜湾に注ぐ川に北川があります。北川から最初に分流する川がまた分流して、一つが遠敷川となり、もう一つが松永川となって狭い谷戸地形を流れています。そのほぼどん詰まりに位置するのが明通寺となるのです。明通寺に至る道は実にのどかで、気分のいいドライブが楽しめます。次第に山が狭まってくると明通寺に到着です。

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石段の下から見上げる仁王門。

この場所に立った瞬間にこれは凄いお寺に違いないと実感しました。天を突くような杉の巨木と豪壮な仁王門に圧倒されてしまいます。写真ではとても表現できませんが…。

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仁王門。

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下から見上げる仁王門。

明和九年(1772年)の建築とのことです。仁王像は鎌倉時代となります。仁王門へと登る石段の左手下にはよく整備された広く新しそうな庭園もありました。桜や紅葉の時期にはさらに趣を添えると思われます。

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境内側からの仁王門。大きな杉の木が二本立っています。

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杉の木立越しに見る向かい側の山。

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解説板。

本堂と三重塔が国宝で四体の像が重文となっています。これほどのお寺が谷戸地形の奥深くにあるとは、さすが若狭は懐が深いと唸らされます。創建も大同元年(806年)坂上田村麻呂によるものとされ、1200年以上の歴史を持っています。

                    若狭探訪 その11に続く
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