尾張氏の謎を解く その43


志楽郷(凡海郷も含め)における彦坐王の動きの検討は前回で終わったことにして、次に進みます。「その42」でアップした残欠の写真画像の二枚目を参照ください。二枚目の最初の記事が高橋郷で、現在の舞鶴線東舞鶴駅周辺に相当します。高橋郷の記事には天香語山命(天香山命)も登場しますが、こちらは後で検討します。高橋郷の記事には興保呂乃里や倉梯川などの項もあって、下の地図画像を拡大いただくと与保呂川や倉梯の地名も見ることができます。


高橋郷に含まれる東舞鶴一帯を示す大雑把なグーグル地図画像。

さて高橋郷の記事の中に、彌加宜社は遠い昔丹波道主命が祀ったところだと記載ありました。丹波道主命=彦坐王ですから、彦坐王の動きとして彌加宜神社を具体的に見ていきましょう。

舞鶴市森井根口871-7に鎮座する彌加宜神社(みかげじんじゃ、弥加宜神社)は丹波道主命(彦坐王)が天御蔭命(倭宿禰命)を祀ったとされています。創建時点は不明ですが、当初は現鎮座地の南の旧行永村小字みかげ谷にて祀られていたようです。

海部氏の系図では倭宿禰命のはずなのに、彌加宜神社では祭神が天御蔭命で、社名もこの神名にちなんでいます。驚いたことに「丹哥府志」によれば、彌加宜神社は松尾寺より廿八丁登った青葉山に鎮座していたとのことです。丹波道主命(彦坐王)が陸耳御笠の討伐に青葉山に登り、その秀麗な山に外祖父(彦坐王にとっては義父)である天御蔭命を祀ったのでしょうか?或いは、天御蔭命(倭宿禰命)が青葉山に住んでいたのかもしれません。丹後国における青葉山の重要性が見て取れますね。


彌加宜神社(大森神社)鎮座地を示すグーグル地図画像。

車では行きにくく、駐車も難しい場所にあります。

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長い参道。

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鳥居と拝殿。

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拝殿。

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本殿。

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解説板。

彌加宜神社(大森神社)は鉄の諸道具を作り始められた金工鍛冶の祖、手工業、産業の祖とも云える天之御影命(あめのみかげのみこと)を御祭神とし、古く十代崇神天皇十一年、青葉山に住む玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を討ち、丹波平定の折、丹波道主命(たにわみちぬしのみこと)により当地に祀られたのが始まりと伝えられています。御祭神天之御影命は丹波道主命の母(息長水依姫、おきながみずよりひめ)方の祖父に当たります。…以下略。

この解説文を読むと作成者の苦労が見えてきます。解説文をそのまま理解すれば陸耳御笠(解説文では玖賀耳之御笠)を討って丹波を平定したのは丹波道主命のように見えてしまいます。残欠と「古事記」のいずれも陸耳御笠を討ったのは彦坐王としており、もちろん解説文の作成者はこのことを承知していたはずです。

ところが彌加宜神社を祀ったのは丹波を平定した四道将軍の一人・丹波道主命で確定しており、一方で丹波平定の具体的内容は全て彦坐王が陸耳御笠を討った話になっています。この矛盾に悩んだ作成者は、玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を討ち、とある部分の討った人物を彦坐王と書くことができず曖昧にしてしまったのです。

酔石亭主の主張のように丹波道主命=彦坐王とすればすっきりしたのでしょうが、定説となっていない見解を書く訳にもいかず曖昧な文章にせざるを得なかったのでしょう。このように誤魔化さざるを得なかった部分から逆に、丹波道主命=彦坐王の正しさが浮き彫りになってきます。なお「加佐郡誌」は丹波道主命が御父彦坐王の力を借りて陸耳御笠を追い払ったと書き、何とか辻褄を合わせています。でも、丹波道主命が陸耳御笠を追い払ったとする史料は、知る限りでは見当たりません。

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杜清水。

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杜清水解説板。

当社の御霊水は丹後風土記に「弥加宜社は往昔、丹波道主命の祭り給う所にして社中に霊水有り世に杜清水と号す」と記載されており一般に称せられております杜清水の中心であります。往昔より延齢泉とも称し(延享4年本社再建記に記載)長命を授かる御霊水として尊ばれております。尚崇神天皇の御代(今から2000有余年前)に四道将軍の一将丹波道主命が当社御際神天御影大神をこの霊水の上に鎮座された当社由来について、木造建築である我が国神社建築様式としては水神以外には殆どその例無く神社としては異例中の異例であり格別の由来がある事と思いますが遺憾ながら詳細は不明であります。

天之御影神は鍛治・製鉄の神である天目一箇神と同一神とされ、「古事記」にも「近つ淡海の御上の祝がもちいつく天之御影神」の記事があり、滋賀県野洲市三上838に鎮座する御上神社で祀られています。同社の社伝によると孝霊天皇6年6月18日三上山山頂に天之御影命が出現し御上祝が三上山を盤境と定めて祀った。その後養老2年(718年)3月15日に現在地に藤原不比等が勅命により榧の木で社殿を造営したとのこと。

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三上山。

神体山に相応しい秀麗な山容で磐座もあるように見えます。

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御上神社本殿。画像サイズを大きくしています。

実に素晴らしい建物でもちろん国宝に指定されています。本殿の詳細は以下Wikipediaより引用します。

本殿は鎌倉時代後期の造営で、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。神社・寺院・殿舎の様式を混合させたような形になっており、その独特な構造から「御上造」と呼ばれることもある。裏側には扉があり、三上山の遥拝所であった名残といわれる。国宝に指定されている。


御上神社の位置を示すグーグル地図画像。

御上神社は近江国に鎮座していますが、同国は息長氏の拠点でもあり、彌加宜神社の当初は現鎮座地の南の旧行永村小字みかげ谷で、行永が息長と相通じるように見えるのが気になります。丹波道主命の母が息長水依姫であることに関係しているのでしょうか?御上神社は既に訪問済ですが、詳細は別の機会にアップする予定です。

今回の登場人物は丹波道主命でしたが、丹波道主命=彦坐王なので、陸耳御笠を追う彦坐王が凡海郷、志楽郷から西に向かい高橋郷に入ったところまでを見てきたことになります。次回はさらに西に進んで大内郷に入ります。彦坐王の動きは一応酔石亭主の想定に沿っているようです。

            尾張氏の謎を解く その44に続く
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