尾張氏の謎を解く その51


前回に引き続き、陸耳御笠の実像を探るため、倭宿禰命以下の人物像を追ってみます。倭宿禰命は滋賀県野洲市三上に鎮座する御上神社祭神・天之御影神(鍛冶神)と同神とされ、海部氏との関係は薄くなってしまいます。彼は丹波、近江、大和を行き来していたのでしょうか?

「勘注系図」には、倭宿禰命が大和国に遷座したとき、白雲別神の女豊水富命を娶り誕生したのが笠水彦命とあります。笠水彦命と笠津彦命は大和から丹波国に移動したことになりそうですが、笠津彦命の子となる6世孫・建田勢命(先代旧事本記では海部直の祖)は別名が数多くあり、一本に言う小登與命、一に言う建登米の子、亦名大諸過命、高天彦命、大宇那比命などと書かれています。

建田勢命の注記によれば考霊天皇の御代に丹波国丹波郷にいたが、山背国久世郡水主村に移ったので山背直等祖とも言い、大和国に遷って葛木高田姫命を娶ったとのこと。海部氏の祖神たちが大和や丹波を行ったり来たりしているのは、腰が定まらないようで解せません。

建田勢命は尾張氏の系図からすると葛城にいたことにしないと辻褄が合わなくなるので、大和国に遷って葛木高田姫命を娶った形としたのでしょう。系図とその内容にかなり無理がありますし、尾張氏の捏造系図に捏造を重ねたように感じられます。建田勢命の別名・高天彦命に至っては葛城族の祖神とも言えそうな神ですから、一体どうなっているのと言いたくなってきます。

神様は多次元同時存在だなどと言う、わけのわからないご都合主義的理屈を持ち出すのではなく、様々な氏族が多少でも縁のある人物を自分たちの祖神に取り込んだと考えるのが妥当なところでしょう。

「丹後舊事記」には、神服連海部直は皇孫六世と書かれており、これは「勘注系図」や尾張氏の系図からしても建田勢命を意味していると考えられます。また「丹後舊事記」によると、彼の館は川上庄海部の里(現在の京丹後市久美浜町海士)にあったとのことです。直(あたい)などの地位を示す臣連制が導入されたのは第19代允恭天皇の時代からで、建田勢命を海部直の祖とするのならまだしも、海部直そのものと記載されるのは解せません。「勘注系図」の内容が様々な混乱を招いたのではないかと思われます。

ただ、天村雲命が水銀に関係する伊加里姫を娶り、その子の倭宿禰命がこれも水銀関連の豊水富命を娶ったと言う伝承は、大浦半島一帯が水銀の産地であることが背景になっていると考えられ、一定の根拠がありそうです。となると、彦坐王の遠征は丹後の水銀簒奪を目的としていた可能性すら浮上してきます。

大浦半島における水銀を支配していたのが笠津彦命(=陸耳御笠)で、彦坐王はそれを大和王権のものとするため彼らを討伐したと言った推定も成り立ちそうな気配があります。若狭(和加佐)が水銀の集荷地であることも、笠津彦命の名前と関係してきますし、彼が祀られている青葉山は正しく水銀産地である大浦半島の根元となります。

「勘注系図」の倭宿禰命注記によれば、倭宿禰命が大和国に遷座したときに、白雲別神の女である豊水富命を娶って生まれたのが笠水彦命ですが、これと関係しそうな神社が葛城市長尾に鎮座する長尾神社です。同社に関しては以下Wikipediaより引用します。

長尾神社の主祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけのおおみかみ)。祭神は水光姫命(みひかひめのみこと)、白雲別命(しらくもわけのみこと)。
水光姫命は『日本書紀』で神武天皇東征に際し吉野川上(奈良県川上村井光)に巡幸の際、井戸の中から現れた国神(くにつかみ)として記される井氷鹿で、水神・井戸の神である。古事記や日本書紀によると、光って尾が生じていたと記されている。新撰姓氏録では「吉野氏の祖先で、天白雲別命の娘・豊御富登であり、水光姫の名は神武天皇が授けられたもの」としている。


「新撰姓氏録」をチェックすると以下のような記載がありました。

新撰姓氏録 大和國 神別 地祇 吉野連
加彌比加尼之後也。
謚神武天皇行幸吉野。到神瀬。遣人汲水。使者還曰。有光井女。天皇召問之。汝誰人。答曰。妾是自天降来白雲別神之女也。名曰豊御富。天皇即名水光姫。今吉野連所祭水光神是也


神武天皇が吉野に行幸して神瀬に至り、人を遣わして水を汲もうとした。使者は、井光女(いにひかるおんな)と言う女がいたと報告した。天皇はこれを召して、あなたは誰かと問うた。女は、私は天下りした白雲別の女ですと答えた。名は豊御富(とよみほ)と言う。そこで天皇は水光姫(みひかりひめ)と名付けた。今、吉野連が祀る水光神がこれである。

加彌比加尼(かみひかね)に関しては以下に詳しいので参照ください。
http://www.tukinohikari.jp/jinja-nara/topics-yo-kawa-kamihikane/index.html

「古事記」にも井氷鹿(いひか)は吉野首(よしのおびと)らの祖との記述が見られますし、「日本書紀」にも神武天皇が吉野に至るとき、光って尾のある人が出たので、天皇が何者かと問いただすと、私は国神で名前は井光と言うと答えた記事があります。「新撰姓氏録」や記紀に登場するこれらの人物は、明らかに吉野の水銀と関係しています。

さてそこで、「勘注系図」には、笠水彦命の母は豊水富命でまたの名は井比鹿とあります。ここまでの内容をベースに、吉野と丹波の水銀族の対応関係を見ていきましょう。

吉野:豊御富、丹波:豊水富命(井比鹿)で、両者は同一人物と理解されます。
吉野:井光女、丹波:伊加里姫(井光)で、両者は同一人物と理解されます。
吉野:白雲別、丹波:残欠における笠水の項の白雲山が対応します。


この部分は既に詳細に検討された方がおられました。内容は以下を参照ください。
http://www.dai3gen.net/tango_yosi.htm

吉野に登場する人物たちと丹波に登場する人物たちは同一と見て間違いなさそうです。では何が吉野と丹波を繋げているのでしょう?彼らが水銀に関係する以上、水銀のキーワードで繋がっていると理解するしかありません。もちろん、海部氏が吉野の水銀関係氏族を自分たちの中に取り込んだ可能性もありますが…。水銀とは関係ないものの、建田勢命の亦名は高天彦命であり、高天彦神社の神体山は白雲峯でした。

丹波の海人系と融合した若狭の笠氏が吉野の水銀族と繋がり丹波の水銀を押さえたので、大和王権はそれを自分たちのものとするために彦坐王を派遣。笠氏と激しい戦闘が繰り広げられた結果、彦坐王の敵対勢力は陸耳御笠と言う名前になったと考えればいいのでしょうか?どうもすっきりしないので、もう一度原点に返って考えてみます。

原点は多分、志楽郷における青葉山の項にあると思われるので、この部分を再度見直してみます。内容は以下の通り。

青葉山は、一山で東西に二つの峯がある。名神(みょうしん)があり、共に青葉神と号している。東峯に祀る神は若狭彦の神、若狭姫の神の二座である。西峯に祀る神は笠津彦神、笠津姫神の二座である。これが若狭国と丹後国の境となり、…以下略。

青葉山には東西二つの峯があって、青葉神が共に鎮座していました。この記述からすると、どちらも同じ神様だったことになります。ところが次の文面では、東峯は若狭彦神と若狭姫神の二座が祀られ、西峯は笠津彦神と笠津姫神の二座になって、これが若狭と丹後の境界となっています。よく読んでみると、上記の二つの文面には時間差があるように思えます。

つまり、原初は同じ青葉神が祀られていたものが、時代が下り若狭と丹波の境界がはっきりしてくるにつれて、若狭側は若狭彦神と若狭姫神、丹波側(後の丹後側)は笠津彦神と笠津姫神と言った形に分化したと考えられるのです。

元は同じ神だったとして、まず若狭彦神と若狭姫神に関して検討してみます。「若狭探訪 その1」で若狭神宮寺の由来を書いていますが、若狭神宮寺で頂いたちらしには両神は遠敷明神(おにゅうみょうじん、小丹生明神)だとありました。遠敷明神の名前は水銀にちなむことから、若狭彦姫の二神は水銀の神であると理解されます。

一方の笠津彦神と笠津姫神はどうでしょう?笠津彦神は笠水彦神と豊水富命(別名は井光鹿)の子で母は水銀の神です。笠水彦神の母も伊加里姫で水銀の神です。このように対比すると、東峯の二座と西峯の二座の共通項は水銀である事実が浮き彫りになってきます。

後代において付けられた神様の名前を消し去って、原初の青葉神の実体を見た場合、いずれも水銀絡みの神となるのです。そして青葉山に住んでいたのは陸耳御笠でした。この名前には既に書いたように様々な要素が混入し融合していますが、結論的には、陸耳御笠は大浦半島一帯の水銀を押さえていた人物と言えそうです。笠津彦神=陸耳御笠とまでは断定できないものの、笠津彦神の要素は入っている人物になります。

但し、遠敷明神には間違いなく秦氏要素が入っていました。そう言えば、陸(久我)の地名は「久我山の秦氏」で書いたように秦氏と深く関係し、玖賀媛の丹波国桑田郡にも秦氏が多く、山城国の松尾大社は秦氏の神社ですが、桑田郡には秦氏が堰を造った大堰川(桂川)があり松尾神社も数多く鎮座しています。青葉山にも松尾寺があり青葉山を開山した泰澄は秦氏です。さらに山の麓には青郷があり秦氏が多く居住していました。ストーリーの全体に秦氏の網がかぶせられているような気がしないでもないのですが…。

まだ曖昧な部分は残すものの、陸耳御笠とは大和王権の抵抗勢力として創作された人物像であり、水銀を主軸に置きつつも様々な要素が混在していると考えられます。陸耳御笠の実像に迫る検討は以上で終了です。次回からは、「但馬故事記」の記事から彦坐王と陸耳御笠の戦いを見ていきます。これにより彦坐王の動きが、もっと明確になるでしょう。

          尾張氏の謎を解く その52に続く

注:次回以降分については現地を訪問の上書く必要があるので、それまでの間本シリーズはお休みとして別の記事を書いていきます。なかなかストーリーが前に進まず、この調子だと尾張氏の謎解きを全部書き終えるのは年末か下手をすると年越ししそうな雰囲気です。
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