尾張氏の謎を解く その53


丹後における彦坐王と陸耳御笠の戦いは由良川が主戦場となっていました。但馬に入ってからは海岸沿いに西へと戦場が移っているようです。ただ、赤淵神社は円山川沿いに鎮座しており、赤淵神社の由緒の中に名前が出た粟鹿神社も同様で、円山川の支流・与布土川のさらに支流となる粟鹿川に沿っています。となると、円山川流域は陸耳御笠との戦いを終えた彦坐王が移動した経路になりそうです。古代における移動には川が重要な役割を果たしていると理解されますね。

ただこれらは、関東圏の方にはほとんどなじみのない場所ばかりとなるので、グーグル地図と文章、写真だけでは土地のイメージが十分把握できないのではないかと少し心配になります。酔石亭主も関東で鎌倉や富士山麓を探索している頃には、丹波一帯に関する知識はほとんどありませんでした。尾張氏の謎解きを始めたことで、若狭から丹後、但馬にかけてのエリアの素晴らしさや奥深い歴史を多少なりとも理解できた次第です。

と言うことで、今回は前回で中途半端になっていた赤淵神社の紹介に戻ります。境内へと向かう石段を登って行くと、おや、どう見てもお寺の楼門ようですが…。

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楼門です。

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解説板。

なるほど、かつての神宮寺である神淵寺の山門が楼門となっているのです。

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これは神門でしょうか?

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さらに進むとまた門が…。

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かなり立派な門ですが閉じられています。

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解説板。勅使門とのこと。格の高さが窺えます。

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拝殿と本殿。なぜか拝殿の正面写真撮影を漏らしています。

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横から撮影。木々の間に境内社が幾つか並びいい雰囲気の境内です。

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解説石板。

赤淵神社由来記
仰 赤淵大明神 人皇始以来第九代開化天皇御代也 是時皇子四道将軍祀彦坐王  是粟鹿大社之流也 彦坐王為但馬國造子孫代々國造而 司神事執行政務開 拓國土劃治水振興農業以愛民生偉業烈烈恩澤普及 自是營一祠祀歴代國造赤淵大明神是也
號日下部表米宿禰命 赤淵宿禰五世孫而忠功有奉聞 丹後丹波但州三箇國可為 守賜宣使本國也
…以下略

読みにくい由来記です。ポイント部分を意訳すれば、第九代開化天皇の御代に開化天皇の第三皇子である四道将軍・彦坐王を祀り、これは粟鹿大社の流れである。彦坐王の子孫は代々但馬国造となり、歴代国造を祀る祠を自ら営んだものが赤淵大明神である。日下部氏は彦坐王の後裔で、但馬国造家の後裔となる。赤渕宿禰の五世孫が日下部氏の始祖とされる表米宿彌命で、日下部表米宿禰命と号した。と言ったところでしょうか?なお日下部氏の出自に関しては諸説あります。

石碑に刻まれたの由緒は前回で書いた最初の解説板とは内容が異なっています。石碑の解説では彦坐王を祀るのが第一段階で、次の段階で歴代国造を祀る赤淵大明神になったように見えます。どうもよくわかりませんが、彦坐王の存在が大きいのは間違いなさそうです。

石碑の由緒で重要なのは宇都野神社の由緒と同じく彦坐王が四道将軍とされている点です。どうやら但馬から西の地域においては、四道将軍は彦坐王であると言うのが一般的な見方のようです。次に粟鹿大社(粟鹿神社)の流れと書かれている点も重要です。粟鹿神社と赤淵神社は距離的にも近いので、関連性があるのは間違いなさそうです。粟鹿神社の由緒に何が書かれているか気になりますが、こちらは後の回で詳しく見ていきたいと思います。

             尾張氏の謎を解く その54に続く
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